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謎の旅人


 泥の中にいるような不快感の中、ジュードは意識が浮上していくのを感じた。身体が異様に重い。そしてだるい。

 言いようのない不快感に包まれながら、ゆっくりと目を開ける。


 寝起きで鈍い思考回路そのままに、暫しジュードは視界に映る天井を見つめる。ややしばらくそのままで留まっていたが、身に感じる肌寒さに徐々に頭と目が覚めていく。むず痒いような感覚に軽く眉を寄せ――



「……っくし!」



 ひとつクシャミを洩らした。

 静かに身を起こそうとすると、身体を動かすたびにあちこちに鈍痛が走った。だが、取り敢えず折れている箇所はないらしい。それよりも――



「……なんでオレ、裸なんだ……服は……?」



 目が覚めたジュードは、裸だった。

 分厚い毛布に包まって眠っていたらしく底冷えしたような感覚はないが、毛布の下の身は裸。衣服がない。辺りを見回してみると、古びた小屋の中だった。鉱山を出てから仲間と共に暖まった小屋かと思いはしたが、多少なりとも内装が異なる。


 ジュードは困惑しながら、意識を飛ばす前の記憶を探る。

 だが、すぐに内側から込み上げてくる嘔吐感にも似た嫌悪に身を震わせた。


 ――真紅の巨大な、そして不気味な目玉が脳裏を過ぎる。


 様々な生物が結合したかのような、気味の悪い生き物。周囲にいた男と少女に『サタン』と呼ばれていたあれは何だったのか。夢に見た光景が現実となり、夢と同じくジュードは『贄』と呼ばれた。


 そしてアグレアスと名乗った男、ヴィネアと呼ばれた少女。魔族だとカミラとウィルが話していたのが微かに聞こえた。魔族が現れたということは、以前カミラに聞いたヴェリア大陸の結界は解かれたということになる。


 けれど、彼の記憶は途中で途切れている。ヴィネアが暴風を巻き起こして得意げに笑っていた――その辺りから、綺麗に記憶がなくなっている。みんなは、仲間は無事なのだろうか。



「……ここ、どこなんだろう」



 そこでジュードは改めて顔を上げる。

 見たところ小屋の中は普通だ、古びた暖炉には火も灯っている。理由こそ定かではないが、魔族はサタンと呼んでいた不気味な生き物にジュードを喰わせようとしていた。

 魔族に捕まったのならこのような場所に放置はされないだろう。ジュードはそう思いながら、毛布に包まったまま静かに立ち上がる。鈍痛があちこちに走るが、取り敢えずは現在地を確認しなければ。


 小屋の中を見回してみると、暖炉の近くに自分の服を見つけた。どうやら、濡れた衣服を暖炉の前で誰かが乾かしてくれたらしい。暖炉の傍に歩み寄って、そこに屈む。濡れただろう衣服に触れてみると随分と乾いていたが、まだ着れるほどではなかった。



「(水に落ちたのか? それとも雪で濡れたのかな……)」



 思い出そうとしても、やはりジュードの記憶には何も残っていない。はあ、と重苦しいため息が口から洩れる。

 だが、その時だった。



「……あら、目が覚めた?」

「え?」



 不意に、小屋の出入り口から聞き覚えのない声が聞こえてきた。

 慌てたように振り返った先には、鮮やかな緑色の髪をした女性の姿。柔らかそうな長い髪を高い位置で結い上げている。表情には穏やかな笑みを浮かべて、まっすぐにジュードを見つめていた。その隣には、対照的に無表情の男の姿も見える。どうやら外に出ていたらしい。扉を閉めて、どちらも肩に積もった雪を叩き払う。


 穏やかに微笑む彼女は、女性にしてはやや低めのアルトの声でジュードに一声かけながら暖炉の傍へと歩み寄る。それを見て、ジュードは思わず顔を朱に染めた。



「え、あ……あの……」



 動くたびにふわりと揺れる髪、優しそうに――労わるように細められる翡翠の瞳、間近に寄せられる顔。しかも、その風貌は非常に美しい。自分自身が裸ということもあって、思わずジュードは軽く後退した。



「あらあら、照れちゃってるの?」

「だ、だって、お姉さん……美人だから」



 困惑したように相手から視線を外したジュードは小さく、本当に小さく呟く。よく聞いていないと聞き逃してしまいそうなほど。すると、ジュードの様子を窺っていた彼女は目をまん丸にして、何度か忙しなく瞬きを打つ。だが、すぐに目を細めて笑うと両腕を伸ばしてジュードに勢いよく抱き着いた。


 予想だにしない行動にジュードは思わず反応が遅れてバランスを崩す。確かに突然の行動ではあったのだが、それにしてはやや力が強い。彼女はバランスを崩したのをいいことにジュードの身をその場に押し倒してしまうと、覆い被さるようにして見下ろす。



「ちょ、ちょっと……!」

「うふふふ、か~わいい! 惚れちゃった?」

「そ、そんなことは……」



 上に覆い被さられる体勢に、ジュードは拒否するように慌てて頭を横に振る。状況を理解して顔には段々と熱と共に焦りが募り始めた。ジュード自身、興味はあってもこういった接触はあまり好きではないのだ。


 ――だが、そこで彼は見てしまった。自分に覆い被さる『彼女』の胸元を。デリケートな部分だ、直視するのは本来ならば躊躇われる。しかし、どうしてもその胸元から視線を外せなかった。



「あら。やぁだ、バレちゃった?」

「――!!」



 頭上から降る言葉に、ジュードは確信した。

 彼の視界に映るその胸元には()()()()()()()()が存在していない。小さいというわけでもないようだ。ジュードの頬に触れる手も女性にしてはなんとなくガッシリとしている。女性の身体は全体的に柔らかいものだが、現在進行形で覆い被さる身には、その柔らかささえも存在していなかった。


 ――つまり。



「お……おと、おと……男……!?」

「そうでぇす、でも心はしっかり乙女だから大丈夫よ♡」

「全っ然大丈夫じゃない!!」



 にっこりと笑う『彼女』は、女性ではなく男――つまり『彼』だった。

 ジュードは途端に蒼褪めると、押し倒されたままの状態で床にそれぞれ両手をつく。そして両手両足を動かし素早く後退して距離を取った。ガサガサガサと効果音さえつきそうなほどの勢いで。すると彼女――否、オネェは目を丸くさせて緩やかに小首を傾げてみせる。



「まあ、失礼ねぇ。ほらほら、怖くないからこっちいらっしゃい、優しくしてあげるから♡」



 四つん這いになりながら手招くオネェに、ジュードは勢いよく何度も頭を左右に振った。依然として自らの身を包む分厚い毛布に包まりながら、戦慄するかの如く身を震わせて縮こまった。

 だが、彼の恐怖の時間はそこで終わりを迎える。



「イスキア、悪ふざけもそこまでにしておけ」

「いだだだッ! ちょっと何すんのよ、シヴァ! ハゲたらどうしてくれるの!?」



 オネェと共に小屋に入ってきた長身の男が、依然として無表情のまま近寄ってきたかと思いきや、結い上げた相棒の髪を引っ張ったのだ。それはもう、遠慮も何もなしに。

 相棒――イスキアと呼ばれたオネェは抗議の声を上げたが、幸いなことにその注意はジュードから外れてくれたようだ。


 取り敢えず助かった、あっちはまともだ。言葉には出さないがジュードは深く安堵を洩らす。

 オネェがイスキア、長身の男がシヴァというらしい。何者かは不明だが――悪人には見えなかった。イスキアの方は色々な意味で怖いが。



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