地の男と風の少女
「あはっ、見ぃつけたぁ。ジュードくぅん♡」
ジュードは勢いよく伸びてきた影に両手両足を捕らえられ、その場に繋ぎ止められた。ぞわぞわと、形容し難い不快感が全身を駆け巡る。
あの夢の違ったのは、場の雰囲気に似つかわしくない可愛らしい少女の声が聞こえたこと。
刹那、辺りにやや強めの風が吹き、木々を揺らす。ようやくわずかに射した月明かりが映し出したのは、可愛らしい装いをした幼い少女の姿だった。
頭を覆う黒いボンネットキャップ、フリルをふんだんに使った黒いブラウスに、膝下丈のジャンパースカート。所々に緑色のチェックリボンが結ばれていて、なんとも可愛らしい。顔立ちも美少女と言える風貌をしているが、肌の色は人間と異なり青白い。長い髪から覗く耳は先が尖っていて、一目で人間とは異なる存在だということを伝えてくる。
少女はにっこりと笑い、一度肩越しに自分の後方を振り返った。
「呆気なかったわね、アグレアス。ちょっとは手加減してあげればいいのに」
「そんなことをして何になる、サタン様をお待たせするつもりか?」
そして、少女に続いて大柄な男が暗がりの中から出てきた。声は野太く、非常に低い。アグレアスと呼ばれた男はゆっくりとした歩調でジュードに歩み寄り、目の前に立つと薄く口元に笑みを滲ませた。
ジュードは男を――アグレアスを睨み上げる。全身が悲鳴を上げるかのように粟立っていた。
「小僧、怖いか? なぁに、一瞬だ。すぐ楽になる」
「何を……」
「サタン様、どうぞ」
アグレアスは一歩片足を後ろに引き、後方に視線を向ける。そんな様子を確認して少女も後ろに向き直ると、深く頭を下げた。その先、少女と男が出てきた暗闇の中にはまだ蠢く――巨大な何かが潜んでいたのだ。
まさか、とジュードは思う。あの夢には、まだ続きがある。
正体さえもわからない不気味な何かが、ジュードを喰らおうと襲いかかってきたのだ。赤い目玉を持つ、不気味な何かが。
――その嫌な予感は的中していた。ゆっくりと、何かを引き摺るような音を立てながら姿を現したのは夢で見た合成魔獣に似た不気味な生き物だったのだ。静かに伸びてくる部分は恐らく頭。夢で見たように黒い頭らしき場所に一筋の光の線が走る。
次の瞬間、その線は左右に割り開かれ、中からあの赤い目玉が現れた。右左にと転がるように動き、値踏みでもするかの如くジュードを見遣る。
「贄……」
そして、またひとつ呟いた。複数の声が様々に重なるそれは、頭の中に不気味に響く。ジュードは見開かれた真紅の目玉を前に言葉を失う。夢と同じように確かな恐怖を感じていた。
赤い目玉、その下に見える牙、しとどに垂れる唾液。それらを前にジュードは嫌悪感を覚える。肌が粟立ち、怖気が湧いた。だが、極度の緊張状態と恐怖に身体は相変わらず指先ひとつ動かない。動いたとしても、四肢を拘束されていては何もできないのだが。
しかし、次の瞬間。
ジュードの身を拘束していた影が、サタンの首と思われる部位もろとも勢いよく切断されたのである。それは真横から飛んできた、白い光の刃。暗闇を照らすような眩い輝きを持つ刃だった。
「――何ッ!?」
「サタン様っ!」
アグレアスは背負う大振りの両刃剣に手を添え、少女は切断されたサタンの頭を拾い上げて大切そうに両腕で抱く。そしてアグレアスの見遣る方を忌々しそうに睨み付けた。
「――ジュードから離れて!」
そこには、カミラが片手を突き出して立っていた。先ほどの光の刃は彼女が放った光属性の攻撃魔法だ。
カミラの後ろには、無事に合流を果たしたらしいマナやウィルたちの姿もある。カミラを探しに出たはずのジュードが、彼女と一緒にいないことを心配して探しに来たのだろう。
アグレアスは小さく舌を打つと、静かに身構える。
「チッ、ザコ共が大勢でぞろぞろと。サタン様、ここはお退きください。後は我々が――ヴィネア」
「ええ。サタン様、先にお城へお送り致します、贄は必ずわたくしたちが連れ帰りますわ。アルシエル様とご一緒に吉報をお待ちくださいませ」
ヴィネアと呼ばれた可愛らしい少女は切り離された生き物の、サタンの首を掲げて魔法を発動させる。
続いてサタンの胴体部分の足元に黒い魔法円が出現したかと思いきや、巨大なその身と彼女が掲げる首は闇に溶けるように消えたのである。ヴィネアが使った転送魔法だ。
カミラは視界にアグレアスとヴィネアの姿を捉えたまま、数歩足を踏み出す。その瞳にも表情にも、隠し切れない怒りが滲んでいた。ウィルとマナはそんな彼女をやや狼狽しながら見つめ、しかしすぐにジュードへ視線を向ける。
「ジュード! 大丈夫!?」
ジュードはと言えば、拘束から解放はされたが立ち上がれずにいた。マナの声に数拍遅れで視線を返しはしたものの、その顔色は真っ青だ。
「(あのジュードが……怯えてるの? さっきのあの気持ち悪い生き物に……?)」
あの勇敢と無謀が仲良く同居しているような性格のジュードが、こうまで顔面蒼白になっていることがマナには信じられなかった。
アグレアスはウィルたちに向き直ると、大剣を構えたまま不敵に笑う。肉食獣が獲物でも狙うように彼らを視線で辿った末に、強く地面を蹴って飛び出した。
「人間風情が……俺たちに勝てると思うな!」
その勢いは、クマの突進のようなものだった。
素早さこそあまり高くはないようだが、それでも常人から見れば普通以上に勢いがある。太く鍛えられた腕で大剣を握り締めて振りかぶり、駆けながらウィルへ向けて振り下ろした。
辛うじて真横に跳ぶことで回避したが、剣の斬撃が直撃した地面は雪が蒸発したように飛び散り、その下にあった大地を深く抉る。地面が砕け、大小様々な破片が周囲に飛び散った。
――直撃を喰らえば、ひとたまりもない。
アグレアスは不敵に笑って剣を肩に担ぎ、逆手をウィルに向ける。そして手の平を上に向けて、中指と人差し指を招くように動かした。まるで挑発だ。
「地のアグレアス、参る! 少しは楽しませてくれよ!」
リンファは、傘を持って薄く微笑むヴィネアをまっすぐに見据える。可愛らしく小首を傾げる様は、とてもではないが敵になど見えない。だが、ヴィネアは閉じられていた傘を開くと中から無数の針を出現させ、弾丸のようにリンファへ向けて放った。
それを見たリンファは無数の針の行方と軌道を睨み付けるように見遣り、持ち前の俊敏さを活かし身を翻すことでその全て回避する。
しかし、当のヴィネアは驚いたような様子もなく、クスクスと小さく笑うだけ。
「うふふっ、風のヴィネア――お相手致しますわ。少しでも長く生きていられるように、じっくりゆっくり嬲って差し上げますわね♡」
にっこりと微笑む少女は人形のような愛らしい顔をしているが、顔と言葉がまったくマッチしていない。ウィルとリンファは緊張に固唾を呑み、それぞれ相手の出方を窺った。




