ウィルとリンファ
* * *
それは、今から五年ほど前にまで遡る。
当時、まだリンファは十歳だった。彼女の家族は両親と兄のヤンフェ、そしてリンファの四人家族。
父は昔からある程度名の知れた魔物狩りで、魔物討伐の報酬で生計を立てていた。
母はあまり身体が丈夫ではなく病気がちではあったが、いつでも子供のことを最優先に考えてくれる優しい人で、リンファは両親や兄の深い愛情に包まれて大切に育てられた。
大きくなったら父の仕事を手伝うのだと、兄もリンファも父にいつも稽古をつけてもらっていた。全ては大好きな家族のために。
――だが、そんな幸せな家庭は突然崩壊した。
地の国グランヴェルに、バジリスクと呼ばれる大蛇の魔物が現れたのである。
どのような生き物でもわずか数分で死に至らしめる猛毒を持つ恐ろしい魔物で、その大きな身で人間を丸呑みにすることも多いとされた。
鋭く発達した牙を持ち、咬み付く力も尋常ではない。多くの魔物狩りがバジリスク退治に乗り出したが、誰一人として生きて帰ってくる者はいなかった。
やがて噂は広まり、リンファの父の元にも届くこととなった。
父はグランヴェル全土の安全のために仲間と共にバジリスク退治へと向かったが――彼は、生きて帰れなかった。
彼らの活躍でバジリスクは見事に退治されたが、それに伴う犠牲は大き過ぎたのだ。多くの者が命を落とし、死闘の末にようやく勝利することができたのである。リンファの父は命を落とした者の一人だった。
それからは収入源がなくなり、悲しみに暮れる暇もなく彼女の家庭は崩壊するしかなかった。
税を払えなくなった母は国の兵士に捕らえられ、他の貧民と共に三日三晩の磔の末に火あぶりの刑に処された。親を亡くしたリンファと兄は奴隷へと身分を落とされ、当時まだ数の少なかった闘技奴隷にされたのだ。
「……コロッセオには、私たちよりも幼い子供がたくさんいました。そして毎日……魔物との賭け試合に駆り出され、次々に喰われていったのです」
「……ああ」
「聞けば、そういった子供の方が賭け試合には最適なのだそうです。魔物に勝てるはずのない子供が勝てば、大穴になるらしくて」
ウィルには、到底想像できない光景だ。
まだ親の保護が必要な子供がその親を亡くせば、他国ならどこかで保護されるのが普通のこと。しかし、地の国では違う。子供だからと奴隷になることを避けられるわけでもなく、奴隷に身分を落とされて、更には魔物と戦わされるのだという。そこに人権などというものはない。
地の国は、子供でさえ命を懸けた娯楽に使うのだ。反吐が出そうだと思った、胸の辺りがざわざわして仕方がない。言いようのない怒りが噴き出してくる。
これ以上は聞きたくないと思うのに、彼女が語るのを止められなかった。
誰よりつらいのは、きっと目の前にいるこの年若い少女のはずだから。
* * *
リンファと彼女の兄ヤンフェは、魔物狩りの父から戦い方を教わっていたために魔物との戦いでも命を落とすことなく、大穴を狙える子供として重宝された。貴族たちは大喜びで、リンファとヤンフェに大金を賭けて遊び回ったものである。
そんな日々が続いて、三年後。貴族たちは当時の興奮も忘れ、ヤンフェをつまらなさそうに見つめていた。
彼は強くなり過ぎていたのだ。
どのような魔物と戦わせても必ず生き残る。負けるということは即ち死を意味するのだから当然なのだが。
そこへ、ノーリアン家の当主――ネレイナが貴族たちに提案した。
『強者の戦いほど見ていてつまらないものもない。ハンデとして、五匹の魔物と同時に戦わせてみないか』
興奮を忘れていた貴族たちは彼女のその提案に拍手喝采、大喜びで賛成したのである。
コロッセオでの賭け試合は基本的に一対一で行われるが、ヤンフェは強くなり過ぎており、一対一の試合では物足りないとさえ感じられていたため、反対する者は誰もいなかった。
――翌日、いつものように賭け試合に駆り出されたヤンフェは、目の前に見える五匹の魔物に狼狽した。
後の試合に出る奴隷を入れておく檻の中で、リンファは同じ闘技奴隷たちと共にその光景を見ているしかできなかったのだ。
その光景は、今でもハッキリとリンファの目に焼き付いている。
五匹の魔物が一斉に兄に喰らいつく様。
紙吹雪の如く金をばら撒く貴族たちの大歓声。
そんな中でリンファは狂ったように叫び、兄の死を嘆いた。
「兄はとても強い人でした……いつか出られる日が来るから、それまで一緒に頑張ろう、って……」
まだ十五歳という若い身でありながら、リンファはひどく達観している。それは、彼女がどれほどの人生を送ってきたかを物語っていた。
つい先ほど、ルルーナに地の国の現状を聞いた時から国そのものにいい印象など持ってはいなかったが、地の国にはこれまで想像してきた以上の深い闇が渦巻いているようだった。そんな過去があるのなら、リンファがルルーナを睨みつけていることも納得できる。恨んで、憎んで当然だ。
「……ルルーナも、コロッセオで遊んでたのか?」
「それは……わかりません。私がいつも目にしていたのは、王族の隣に座るノーリアン家の当主だけでしたから……」
「じゃあ、ルルーナは関わってない可能性もあるのか……」
地の国の現状を話してくれたルルーナの様子から考えるに、彼女はコロッセオや賭博試合には関わっていない可能性もある。リンファにとって憎い存在であることは間違いないが、ウィルはどうしても黙ることはできなかった。今のままでは、住む場所と環境が多少変わっただけで結局はオリヴィアの奴隷のようにしか感じない。
「……なあ、リンファ。もしよかったら俺たちと一緒に来ないか?」
「え?」
「あのお姫さんの護衛なんて辞めてさ、もっと……自由に生きたっていいんじゃないか? そりゃあ、ルルーナがいるから嫌だとは思うけど、でも……仲間って、結構いいモンだぞ」
リンファ自身、世界規模で起きている魔物の狂暴化は痛いほどに理解している。誰かに自分と同じような悲しみを経験させないためにも、魔物の脅威を取り除く協力などは望むところである。
ジュードたちがこうして水の国まで来た理由が魔物に関することであるのも、聞いて知っている。狂暴な魔物が少しでも減ればいいと、彼女とて思っているのだ。
――だが。
「……私は、リーブル様とオリヴィア様に恩がありますから」
「リンファ……」
「もう行きましょう、早くみなさまと合流しなければ」
「あ、ああ……そうだな」
それだけ告げると、リンファは早々に踵を返して歩みを再開させた。自分は、水の国の王族に買われた人間。彼らに何の相談もなしに勝手なことなどできない。
言葉には出さずとも内心でそう洩らしながら、リンファはウィルと共に先を急いだ。




