力の片鱗
とてつもなく強大な力に吹き飛ばされたジュードたちは、満足に受け身をとることも叶わず床の上を転がった。全身を派手に打ちつけ、それぞれの口からは苦悶が洩れる。
ダメージからいち早く回復したジュードは、持ち前の身軽さを活かして早々に体勢を立て直すが、仲間は床に転がったままだ。
状況を把握すべく視線を辺りに巡らせると、つい今しがた倒れたはずのアロガンがその場に再び立ち上がり、両手を高く挙げていた。恐らく、アロガンが衝撃波のようなものを放ったのだろう。彼の背中側に位置する窓はガラスが割れ、古めかしい調度品の数々は全てが床に散乱している。
「く、くくく……ッ、まさか光魔法の使い手がいるとは思わなかったが、この程度でアロガン様を倒せると思うなよ……!」
アロガンは生きていた。カミラのルクスイグラーの直撃を喰らった箇所から派手に出血しながら、それでも生きていた。血のように真っ赤な双眸にギラギラと殺意をたぎらせて、一歩ずつ近づいてくる。
ウィルは槍を支えに立ち上がったが、マナやカミラは後方支援型ということもあって打たれ弱く、まだダメージから立ち直れずにいる。
「貴様ら全員、生きてここから出れると思うなぁッ!!」
「――!」
アロガンはこれまでの余裕など微塵もなく、強く床を蹴って一気に間合いを詰めてきた。その速度は、動体視力に優れたジュードの目でも追いきれないほど。身構えようと思った時には、もう遅かった。
アロガンが斜め上から振り下ろした爪による攻撃は、ジュードの胸部を直撃。装着している胸当てさえ砕いて、深く肉を抉る。攻撃と、一拍遅れてやってくる灼熱感を伴う激痛に対処する間もなく、続いて蹴り飛ばされた。
「ジュード!」
「貴様もだあぁッ!」
「ぐうぅッ!」
ウィルは咄嗟に援護に入ろうとしたのだが、間に合うはずもなかった。状況を理解した時には既にジュードは蹴り飛ばされ、アロガンは身体ごとウィルに向き直り、今度は彼に爪を叩きつけてきたのだ。矢継ぎ早に両手の爪を振るい、ウィルの肩や腕、胸部に次々に裂傷を刻む。
そうして、トドメに下から思い切り腕を振り上げて彼の身を殴り飛ばした。
「ジュード! ウィル!」
「小娘どもが! 己の無力さを呪え!!」
「そんな……! あれは……!」
アロガンは次に後方でダウンしているカミラたちに目を向けると、そちらに片手を突き出す。宙に浮遊する魔法紋章を目の当たりにして、カミラはサッと青ざめた。
その刹那、カミラもマナも自分の中から魔力が消失していくような錯覚に陥る。アロガンが彼女たちに放ったのは、街中でカミラとルルーナが受けた魔法封印だ。
にたりと厭らしく笑うアロガンとは対照的に、カミラとマナは絶望の渦に叩き落とされるようだった。彼女たちは魔法がなければ、ただのか弱い少女なのだ。
それだけでは終わらず、アロガンは前衛と後衛のちょうど中間辺りに移動すると、振り上げた片手を思い切り床に叩きつけた。それと同時に辺りには波紋の如く突風のような衝撃波が巻き起こり、ジュードたちの身を再び容赦なく吹き飛ばしたのである。その衝撃は、今度は最後方にいたルルーナや少女たちの身をも容赦なく襲った。
「う、ぁ……うぅ……」
防御態勢をとることさえできず、ジュードたちの身は屋敷の激しく壁に叩きつけられた。
意識を飛ばした者はいないようだが、逆に意識を飛ばせた方が楽だったかもしれない。そう思うほどに、力の差は歴然で、まさに圧倒的としか言いようがなかった。
身動きさえままならなくなったジュードたちを見回して、アロガンは今度こそ勝ち誇ったように笑う。目を弓なりに細めて満足そうに笑いながら、コツリコツリとわざとらしく靴音を立ててジュードの傍に歩み寄ると、うつ伏せに倒れ込む彼の髪を鷲掴みにして強制的に起き上がらせた。
「貴様だけは許さんぞ、このアロガン様の美しい顔に傷をつけおって……!」
「ジュード……! や、やめて……」
「くそ……ッ、こんな……」
いくら魔族が強くても、まったく歯が立たないなんてことはないはずだ。
マナの魔法を強化すればきっとなんとかなる。
――それがどれほど浅はかな考えだったのか、思い知らされた。
魔族は、人間が抗えるような生き物ではないのだ。
「くはははは! この男をなぶり殺した後は、すぐに貴様らもその後を追わせてやる!」
アロガンはウィルたちに一瞥を向けると、上機嫌に高笑いなぞ上げながら逆手でジュードの右肩を掴んだ。そうして、ぐぐ、とゆっくり力を入れて親指の爪を肩の関節付近にめり込ませるようにして突き刺していく。
途端、ジュードは翡翠色の目を見開くと背を反らせ、声にならない悲鳴を上げた。
それを見て、その声を聞いて、アロガンはそれはそれは満足そうな笑みを浮かべて笑う。隠し切れない愉悦を滲ませて。脳が焼けてしまいそうな熱と、全身の毛穴がぶわりと開くような錯覚に陥りながら、ジュードは固く奥歯を噛み締めた。
「(どうしたら、どうしたらいい……こいつを倒すには、どうしたら……)」
アロガンの強さはまさに予想以上、このままだと全員が殺される。みんなを助けなければ。かといって、今のジュードにできることはもう何もない。
そこまで考えた時、ふと全身から力が抜けるような錯覚に陥った。
それが激痛からによるものだったのか、それとも諦念からくるものだったのかは不明だが、剣と短剣が手から抜け落ちて床に転がる。
「さあ、そろそろ死ぬがいい!」
「や……ッ、やめてえええぇ!!」
アロガンの声に、カミラが叫ぶ。
ウィルもマナも痛む身を叱咤して立ち上がるが、妨害も加勢も間に合いそうにない。
「やめて」と言われて素直に止まるはずもなく、アロガンはジュードの首を目掛けて爪を突き立てた。
――はず、だった。
「な……なにっ!?」
その爪は、彼の身に触れる手前で止まった。――否、止められたのである。他の誰でもないジュード本人に。
男は突き出した手を、その手首を掴まれることで止められていた。自分の腕だというのに、あろうことかビクともしない。当のジュードはと言えば、頭を垂れたまま静かに口を開いた。
「……なあ。オレ、まだ生きてんの……?」
「な……なん、だと……?」
「なんでかな……なんか、おかしいくらい……」
突然向けられた問いかけに、男はさすがに瞠目した。意図が読めず、何を言い出すのかと狼狽する男に構わずジュードはゆっくりと呟き、一度口を噤む。
そして、静かに顔を上げた。
「――身体が、軽いんだ」
ジュードは掴んでいた男の手を解放し、代わりに右手で拳を握る。直後、思い切り男の左頬へと叩き込んだ。突然のことにアロガンは反応どころか受け身さえ取れずに殴り飛ばされ、床の上を何度も転がった。殴られた箇所を片手で押さえ、驚愕に目を見開きながらジュードを見つめる。
今の彼には、起き上がるだけの精神的な余裕さえなかった。頭が状況を理解してくれないのだ。
何が起きたかわからない、そんな表情。
そしてそれは、ジュードを助けようとしていたウィルたちも同じこと。
ジュードは手から落ちた武器を拾い上げると、ゆっくりとアロガンの傍まで歩み寄ってその身を眺め下ろす。
その双眸は普段の穏やかな翡翠色ではなく、輝くような黄金色へと変貌していた。




