吸血鬼の男
街の住民たちの言動から察するに、このクリークの街を騒がせているのはこの男に違いないだろう。
こうして現れた目的がまたしても若い娘であるのなら、街の中に入り年若い女性を誘拐するかもしれない。ならば、それを阻止した上で行方不明となった女性たちの安否確認もしなくては。
しかし、そこまで考えてジュードは思わず辺りを見回した。
――若い娘。
カミラやルルーナが心配になったのだ。先ほど彼女たちと別れたのはこの場所だったのだから。場所を移動して安全なところで休んでいてくれたらいい、そう思ってのことだ。
だが、ジュードの心配は的中していた。
「ジュードっ!」
耳慣れた声に、ジュードは男の肩越しに見える黒い馬車へと目を向けた。開かれた窓の部分から馬車の内部が見える。その中に、カミラとルルーナの二人がいたのだ。どちらも馬車の中にいる不気味な黒い騎士らしき人物に押さえ込まれていた。
声を上げたのはカミラの方だ。ルルーナは体調のせいか、それとも意識がないのか彼女の隣でぐったりとしたまま動かない。カミラは逃れようと身を捩りながら必死に声を上げた。
「ジュード、だめ! その男は吸血鬼! 魔族だよ!」
「え……っ!」
「んな……ッ!?」
カミラが上げた声にジュードは怪訝そうな声を洩らしたのだが、ジュードの傍らにいたウィルは思わず驚愕に目を見開く。
様々な知識が豊富なウィルは、当然魔族にもそれなりに詳しい。魔族は魔物よりも遥かに強く、厄介な生き物である。魔物と異なり知恵があるからこそ、人間のような――否、人間以上の策を用いることもあるという。
魔物を相手にするのとはわけが違う。恐らく実力からして違うだろう、戦えば殺されるかもしれなかった。
しかし、だからと言って仲間を差し出すなどジュードにもウィルにもできないこと。ジュードは剣を、ウィルは槍をそれぞれ手に持ち、身構える。それを見てカミラは改めて声を上げた。
「戦っちゃだめ! わたしは大丈夫だから逃げて!」
このまま放置すれば、この吸血鬼の男はこれからも街へ来ては娘たちを誘拐していくのだろう。それに、この男が魔族であるなら、尚のこと放っておくわけにはいかない。
男は武器を手にするジュードとウィルを見ても、余裕たっぷりに笑みなぞ浮かべている。その余裕がなんとも腹立たしい、ジュードは小さく舌を打つと先んじて駆け出した。剣の柄をしっかりと握り締め、持ち前の俊敏さを活かして一気に間合いを詰める。緊張こそあれど憤りの方が強く、その憤りはジュードに躊躇いを捨てさせた。
笑う男を目掛けて迷いなく剣を振るうが、直撃する寸前で足音も立てずに男は後方へと滑った。脇に降ろされていた白い両手を顔の前で交差させた途端、男の爪は獣のように伸び、鋭利な輝きを抱く。
またしても滑るように瞬時にジュードの真正面に滑り込むと、右下から左上へと勢いよく片腕を振り上げた。
あまりの素早い動きにやや反応の遅れたジュードは咄嗟に一歩足を引くことで後退するが、男の鋭利な爪は剣を持つジュードの右前腕を抉る。
だが、傷はそこまで深くはない、まだやれる。そう自分に言い聞かせながら反撃に移るべく身構えるが、その矢先に後方から声がかかった。
「ジュード、避けてろ!」
「……ウィル!」
「貫け、紅蓮の炎―――ランツェフィアンマ!」
普段ならばジュードと共に肉弾戦を行うウィルが大人しいと思えば、魔法の詠唱を行っていたようだ。肩越しに彼を振り返ったジュードは、男に向けて突き出されたウィルの片手に赤い光が集束しているのに気付き、真横へと跳ぶ。両腕を振り上げ、その爪でジュードの身を切り裂こうとしていた男に回避するだけの余裕はない。
ウィルが叫ぶと赤い光は呼応するように更に強く輝き、やがて炎へと姿を変えた。刹那、凝縮された炎の魔力が男に向けて疾走する。
効果範囲こそ狭く、敵を複数巻き込むには向かない攻撃魔法だが、単体に撃つ時こそ絶大な効果を誇る中級クラスの火属性魔法だ。当たれば通常ならかなりの大打撃を与えられる。
ウィルが放った『ランツェフィアンマ』は見事に男へと命中した。辺りに走る熱にジュードは多少の眩暈を感じつつも、武器を握り直してそちらを見据える。もうもうと煙が立ち込め、数拍の後にようやくその煙が晴れ始めた。
だが、煙が晴れた先に男の姿はなかった。それと同時に周囲の住民たちからは悲鳴が上がる。
何事だとジュードは慌ててそちらを振り返るが、視界に捉えたウィルの後方にまさにその姿があったのだ。直撃はしたものの、致命傷どころか満足な打撃になっていなかった。
「ウィル! 後ろだ!」
「今のは少し驚いたぞ、人間風情が……!」
男は両腕を振り上げ、そしてウィルが振り返るよりも早く叩き下ろす。その鋭利な爪はウィルの腰や脇腹を抉り、一瞬意識が飛びそうになった。辛うじて踏ん張り、倒れそうになったのを利用して片手を地面につくと、その手を支えにして身を反転させる。
だが、男の反応速度はジュードやウィルの予想を遥かに上回っていた。男は片足を軸に思い切り足を振り抜き、ウィルの鳩尾へと蹴りを叩き込んだのだ。
彼の身はいとも簡単に吹き飛び、酒場脇に積んであった木箱へと思い切り叩きつけられた。がは、と空咳を繰り返し、腹部に走る痛みにウィルは苦しげに呻く。
「ウィル! ――こいつッ!」
目の前で呆気なく蹴り飛ばされたウィルにジュードは声を上げ、憤りそのままに再び斬りかかる。先ほど同様に一気に間合いを詰めてしまうと、至近距離で素早く剣を振り抜き、攻撃を繰り出した。逆手の短剣と併せて反撃の隙など与えぬよう、矢継ぎ早に。
男は振られる剣と短剣を爪を駆使していなしていくが、ジュードは攻撃の手を休めない。頭は確かに怒りに支配されているのだが、次第に神経が研ぎ澄まされていくのを感じていた。優れた動体視力を駆使して敵の挙動ひとつひとつを窺えば、次にどう動くか、また自分がどう動けばいいかがなんとなく掴めてくる。ほとんど無意識のものだったが。
防戦一方になった男は苛立たしげに奥歯を噛み締めたかと思いきや、右手を思い切りジュード目掛けて突き出した。鋭利なその爪で貫こうというのだ。
「――はぁッ!」
ジュードはそれを素早く身を翻すことで回避すると、回転する勢いをそのまま上乗せさせて勢いよく剣を振り抜いた。その切っ先は男の左頬から右側のこめかみ付近を見事に切り裂く。さしもの魔族といえど、左目さえも叩き斬るその一撃に苦悶の声を洩らした。
両手で顔面を押さえる男はフラフラと後退し、低く呻き声を洩らす。しかし、それには構わずジュードは即座に追撃行動に出た。相手は魔族――様子を見ているような余裕は、こちらにはないのだ。




