あなたはあの人によく似てる
夜に近づくにつれ、タラサの街は賑わいを増していく。大人も子供も何か音の出るものを手に持ち、噴水広場へと集まっていった。タンバリンやカスタネット、他にも砂や小石を詰めたガラス瓶の即席マラカスなど、人々が手に持つものは様々だ。
広場には煌々と明かりが灯され、多くの屋台が出店している。祭り特有の焼きそばだとか、大人のための各種アルコール類など、他にも幅広く取り扱われていた。
住民たちはそれぞれ満面の笑みで歌い、そして踊り始める。決まった形の踊りはない、取り敢えず騒いで楽しければ充分なのだ。街の奥からは簡素な鼓笛隊が現れ、自由気ままに音楽を奏でていた。
ジュードやマナ、ウィルには久方振りになる賑やかな、且つ騒がしい祭り。ウィルは額に片手を添え、賑わう広場を眺める。
「相変わらずだなぁ、賑やかというか喧しいというか……」
「別にいいじゃない、みんな楽しければ満足なんだから」
そんなウィルの隣にはマナが並ぶ。祭りとなると普段よりも機嫌がいいらしく、表情には笑みを浮かべたまま横からウィルの背中を急かすように軽く叩く。ウィルはそんな彼女を横目に見遣り、肩を疎めてみせた。
「じゃあ、ジュード。各自、自由に騒いで来ようぜ」
「明日は朝が早いから、あんまりハメを外さないようにね」
広場に着くと、既に大勢の住民たちがいつものように歌い、踊りながら騒いでいた。様々にある出店からは客寄せの声が響き、ウィルとマナはジュードとカミラを振り返ると、それぞれ気の向くまま人の輪の中へと消えていく。
ジュードはそんな二人を見送ってから、傍らのカミラへと向き直った。
「カミラさん、どこか行きたいところはある?」
「お、おなかすいた……」
ミストラルの祭りは初めてとなるカミラには、右も左もわからない祭り会場だ。ジュードは彼女に同行して案内しようと声をかけたのだが、返る言葉には思わず笑いが洩れる。
カミラは淑やかそうに見えて、実はかなりの大喰いである。ヴェリア大陸は食べ物が豊富ではないのかもしれない――最初はジュードもそう思ってはいたのだが、彼女は純粋に大喰いなのだ。共に生活するようになって理解した。
とにかく食べる量が半端ではなく、最初の頃はマナも口をあんぐりと開けて固まっていたものだ。
「じゃあ行こう、カミラさん。食べるものいっぱいあるから、好きなの選んでいいよ」
「う、うん、ありがとう」
気恥ずかしそうに呟くカミラに、ジュードは「気にしないで」とでも言うように頭を振る。そうして手を差し出すと、カミラはそっとその手を取った。
広場いっぱいに広がる人の輪、人の波。はぐれないよう互いに手を繋ぎ、ジュードとカミラは出店の方へと足を向ける。時刻は祭り開始の夕刻をゆっくりと過ぎ、夜の闇が降りようとしていた。
だが、このタラサの祭りの一帯だけは今しばらく闇に染まることはない。
周囲には弾むように賑やかな音楽が響き、それに合わせて人々は好きに踊り歌い、笑い合う。カミラは足を進めながら、そんな光景を見つめる。
どこまでも陽気で気兼ねしない雰囲気に、薄らと複雑な表情を滲ませた。
* * *
様々な出店を回り、カミラの腹の虫も落ち着いてきた頃。時刻は祭り開始から二時間と少しが経過していた。
出店を茶化して回り、顔馴染みの商人たちにもみくちゃにされ、そしてカミラの手を引いて踊りの輪に加わり、久方振りにジュードは楽しい時間を過ごした。
まだ宿に戻って眠る気にもなれず、ジュードはカミラを連れて踊りの輪を外れると広場の隅にある休憩所に足を向ける。
「カミラさん、大丈夫? 疲れてない?」
「少し疲れちゃったけど、でも大丈夫。わたし、踊ったのなんて初めて」
その言葉通り、カミラの顔にはやや興奮の余韻が残っている。頬はほんのりと上気していて、楽しそうな笑みを浮かべていた。休憩用に置かれた椅子に彼女を促し、ジュードは未だに踊り騒ぐ広場中央を一瞥する。カミラは椅子に腰掛けると、同じように視線を広場に向けた。
「……知らないって、幸せなことなのね」
楽しそうに踊り騒ぐ者たちを見て何を思ったのか、カミラはぽつりと独り言のように呟いた。ジュードは自然とそんな彼女に向き直り、薄く苦笑いを浮かべる。
「今この時にも、世界に魔族が存在してるだなんて……きっと、みんな夢にも思ってないわ」
「……オレもそうだったよ。魔族なんて、勇者さまのおとぎ話でしか知らない生き物だった。正直、まだ実感は湧いてないと思う」
カミラの話を聞いても「魔族が現れた」ということが、未だに夢だとか、どこか遠い世界の話のようにしか感じられないのだ。カミラは改めて広場の方に視線を投げるジュードを見遣ると、暫しの沈黙の末に静かに口を開く。
「……ジュード、わたしね。七歳くらいの頃に、とても好きになった人がいるの」
「え?」
「わたしを色々なところに連れていって、色々なものを見せてくれた人だったわ。わたしは、あの人が誰よりも大好きだった」
突然の話に、ジュードは再度彼女の方に向き直って軽く小首を捻る。当のカミラは広場の方にジッと視線を投げたまま、過去を懐かしむようにそっと目を細めて笑う。
だが、次の瞬間には眉根を寄せて可愛らしい相貌に明確な憤りを滲ませた。
「……でも、十年前のあの日……あの人は魔族に喰い殺されたの」
「カミラさん……」
「ねえ、ジュード。愛する人を突然奪われた者が目の前にいても、それでも実感が湧かない? それでも、魔族は遠い世界の話でしかないの? この世界のどこかで起きてることなのに?」
目にいっぱいの涙を溜めてこちらを見上げる彼女に言えることは、何もなかった。知らなかったこととは言え、無神経すぎたかと内心でほんのり反省しながら大人しく頭を下げる。
「……ごめん」
「わたしは、あの人を殺した魔族が許せなくて戦う道を選んだ、一匹でも多くの魔族を殺してやるって……ッ架空の話でも、遠い世界の話でもないの」
ジュードがそれ以上何もいわないのを見ると、カミラも少しは落ち着いたようだった。目に溜めた涙を片手でそっと拭ってから静かに立ち上がる。
「……ごめんね、ジュード。八つ当たりしたいわけじゃなかったの」
「いや、無神経なこと言ったのはオレの方だから……」
「……わたし、そろそろ宿に戻るね。今日は楽しかった、ありがとうジュード」
「オレの方こそ、楽しかったよ。……おやすみ、カミラさん」
じゃあ、と小さく呟いて宿の方へと歩いていくカミラの背中を見送って、ジュードは複雑そうな表情を浮かべた。彼女の心の傷を抉ってしまったことが何より不甲斐なくて、申し訳なくて仕方がなかった。
賑わう広場に背中を向けると、ジュードはそっと夜空を仰いだ。
そして、カミラも。
宿に戻る道すがら、そっと肩越しに来た道を振り返る。当然ながら、ジュードが追いかけてくるようなことはなかった。それに対してほんのりと寂しさを抱きつつ、力なく頭を振る。
「(……ごめんねジュード。でも、あなたはあの人にとてもよく似ているの。だから、ついあなたにはワガママになってしまう……)」
カミラから見て、ジュードという男は非常に変わった人間だった。彼女が幼い頃に愛した初恋の人に、ジュードはよく似ているのだ。だから、彼にはどうしても我慢も遠慮もできなくなってしまう。
これではいけないと、ちゃんと頭ではわかっているのに。




