好きな人がいるんだ
魔族の襲撃から一夜明け、水の王都シトゥルスにはプラージュからやってきたカミラとヴェリアの王女エクレール、彼女たちが引き連れてきたヴェリアの民が到着した。
確認するまでもなく兵や騎士たちは疲れ切っていて、とてもではないが他国に向かってすぐに出立できるようには見えなかった。彼らには暫し、この水の王都で静養が必要だ。
ジュードは謁見の間には顔を出さず、王城二階のテラスで外を眺めていた。
王都の一角は昨夜の戦闘でメチャクチャな有り様だ、その傍にはフォルネウスが造り出した氷の塊がいくつも並んでいる。死の雨の被害を受けた者たちを救う方法を探すことを思えば気分も落ちるが、それ以上に彼を悩ませているのは――ヴェリアの大臣のこと。
「本物のジュード様は十年前に魔族に喰われてお亡くなりになられたッ、この偽者めが! さっさと聖剣をヘルメス様にお返しせぬか!」
つい先ほど、バッタリと鉢合わせるなりそう怒号を飛ばされたばかりだ。ジェントはそんなジュードの隣にふわりと現れるなり、心配そうにその様子を見つめた。
『今のこの身に肉体があったら口を利けないようにしてやるんだが』
「ジェントさんって見た目に反して力業で解決するタイプですよね」
何を物騒なことを言い出すんだと、ジュードは思わず苦笑交じりにそちらを見遣る。無論、半分ほどはジュードを元気づけようと冗談で口にしているのだろうが。
偽者ではないと証明する方法がない以上、何をどう言われようと受け流すしかない。聖剣はもうジュードにしか使えないのだから。
「ジュード、ここにいたか」
そこへ、ヘルメスとエクレールがやってきた。どちらの顔にも心配の色が浮かんでいるが、やはり兄妹。その表情はどちらもそっくりだ。ジェントは彼らの姿が見えるなり、サッと空気に溶けて消えてしまった。
「申し訳ありません、ジュードお兄様……大臣があのような無礼を……」
「あ、いや。昔のこと覚えてないから、自分でも本物かどうかなんてわからないし……リーブル様はなんて?」
「ヴェリアの民を快く受け入れて下さった、他に頼る場所がないならこの国に住居を用意させると……一部の民はそうさせようと思う」
大臣のことはともかくとしても、リーブルとヴェリア側の話は問題なく進んだらしい。戦い続きで疲弊しているだろう民のことを思えば、確かにこの水の王都に腰を落ち着けるのも悪い話ではない。
「ヘルメス王子とエクレール王女は?」
「私たちは西に向かう、確か……風の国は西にあるのだったな?」
「そうですけど……風の国に用事が?」
「リーブル様には既にお話ししましたが、わたくしたちは二手に分かれて逃げてきたのです。一部は水の国に、もう一部隊は風の国に……お母さまや他の者たちはそちらに行っています」
どうやら、プラージュの街に着いた部隊が全てではなかったらしい。風の国というと、無事に辿り着けたなら恐らくジュードたちも以前立ち寄ったタラサの街に入港しているはずだ。エクレールが「母」と言うのだから、ジュードにとっても母になる。
母親が生きているかもしれないという情報に、どきりと胸が高鳴るようだった。
「ジュード、お前は?」
「ウィルたちがあの大臣様を見返してやるんだって、さっき訓練所に行くのが見えたから発つのは明日になる……かなぁ、多分。オレたちも風の国には行くんだけど、その前に精霊の里ってところに寄ることになりました」
現在、ウィルたちは以前言っていた「神器に自分たちの技術を使う」という話を実行に移している真っ最中だ。大臣の捲し立てるような言葉に余程腹を立てたようだった。
朝食の席で昨夜ジェントに聞いた話をイスキアやライオットにしたところ、ジェントが言っていた集落は現在は「精霊の里」になっているらしい。ライオットと初めて会った時、“精霊族は北の森深くに隠れ住む一族”だと口にしていた。恐らく、その精霊の里が――精霊族の住まう場所なのだろう。
死の雨の被害者を救う方法があるかどうかはわからないが、まずは聖石に尋ねてみてからでも遅くはない。
「わたくしたちがお役に立てることがあればよいのですが……」
「はは、ヘルメス王子もエクレール王女も疲れてるだろうし、ゆっくり休んでください。リーブル様は本当にいい王さまだから、この国にいる限りは危険なこともないと思います、……魔族の襲撃以外は」
「……そのようだ、外の世界の者は……優しいのだな」
ヘルメスは聖剣を使って外の世界の者たちに復讐すると言っていたようだが、今の彼からはそんな素振りはまったく見受けられない。彼らはゆっくり休むことでこれ以上ないほどの戦力になってくれるだろう。
「それと、……ジュード、カミラのことなんだが……私は父上と母上の決定に従おうと思っている。つまり、彼女の婚約者はお前だ」
「えっ、いや、それは……」
その思わぬ言葉に、ジュードは目を丸くさせると複雑そうな表情を滲ませた。昨日のプラージュでの彼の様子を思い返すと、とてもではないが「わかった」とは言えない。エクレールの心配そうな面持ちも手伝って、ジュードは慌てたように頭を振った。
「ヘルメス王子は、カミラさんのこと好きなんじゃ……それにオレ、あの……す、好きな人いるし……」
「まあ……! ジュードお兄様がお慕いしている方って、どの方なんでしょう……!」
「そ、それは言えないけど……」
ジュードの返答を聞いて、エクレールは白い頬をほんのりと赤く染めると両手をその頬に添えた。ヴェリアの王女と言えど、こういうところは年相応の普通の少女だ。
ヘルメスはジュードに負けず劣らず複雑な表情を浮かべると、ゆるりと小首を捻った。
「だが……記憶が戻った時に後悔しないか?」
「……どうかな。その時は思いきり後悔するかもしれないけど……今の自分の気持ちに嘘はつきたくないんだ。……その人がいなかったら、きっと途中で挫折してたと思うから」
苦しい時には、いつだってジェントが夢の中で励まし、背中を押してくれた。それは今でも変わらない。ジュードは基本的に仲間のことは全員大好きだが、ジェントに対しては別の好意を抱いていると今ならハッキリわかる。
ヘルメスは暫し無言のままジュードを眺めていたが、やがて目を伏せて小さく頷いた。
「わかった、お前がそう言うなら……カミラと話をしてみよう、彼女の気持ちも重要だからな。お前に悪いようにはしない」
エクレールはエクレールで、ヘルメスの気持ちを知っているのだろう。彼女は二人の兄を交互に見つめて、それはそれは嬉しそうに頷いた。




