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道化師の男


 ここまでの船旅で疲弊しているだろうヴェリアの民のことを思って、ジュードとカミラはプラージュの街の宿に掛け合い、彼らが休めるように部屋を手配した。


 幸い、このプラージュの街は水の国で一番大きな港町、宿の規模もそれなりだ。部屋はすぐに満員になり二人部屋に三人、四人ほどの場所もあるが、いつ魔族に襲われるかわからない船の中よりはずっとマシだろう。ヴェリアの民はその顔に文字通りホッと安堵したような表情を浮かべていた。


 ヘルメスとエクレールは宿のラウンジで事の経緯を聞いた後、向かい合って座るジュードとカミラを見つめる。髪の色に様々に違いはあれど、カミラを除く三人の瞳の色は同じだ。



「そうだったのですか、ではジュードお兄様は昔のことを何を覚えていらっしゃらないと……」

「そうなんです、ヘルメス様やエクレール様と一緒にいたら絶対に何か思い出すと思うんですけど……」

「いや、別に覚えていなくとも私たちは構わないさ。生きていてくれただけで……充分過ぎる」

「そうですわ、生きてさえいればこれから新しく思い出をたくさん作っていけますもの。その前に魔族をどうにかしなければなりませんが……」



 考えるような間もなく返るヘルメスとエクレールの反応と返答に、ジュードの肩に乗るライオットはホッとしたように小さく息を洩らした。ジュードの中には、グラムに拾われるまでの記憶がないのだ。「思い出せ、思い出してくれ」とどれだけ言ったところで、それは本人にとって何よりつらいこと。ヘルメスたちまでジュードにそう強要したら――と心配していたが、杞憂だったらしい。


 カミラはそれでも何か言いたそうにしていたが、相手はヴェリアの王子と王女。いくら姫巫女と言えど、そうそう気軽に口を挟めるようなものでもない。しかし、そこに思わぬ横やりを入れてきたのはまた別の人物だった。



「何を仰られるのです、ヘルメス様! ジュード様は十年前にお亡くなりになったのです、生きておられるはずがありません! どうせジュード様を語る偽物に決まっております!」



 それは、普段はヘルメスの傍に控えている大臣だった。宿のラウンジには大臣の怒声が響き渡り、その場に居合わせた兵士や客の視線が一斉に集まる。エクレールは横目に大臣をじろりと見遣り、ヘルメスは「はあ」と一度だけため息を洩らした。



「それにっ、ヘルメス様の許可なしに聖剣を勝手に使うなど言語道断! それは本来、ヘルメス様が手になさるはずのもの! 仮にもし本物のジュード様であったとしても、許されざることですぞ!?」

「(だよなぁ。ほんと、なんであの時うっかり願いなんて懸けちゃったんだろ……)」



 大臣の言うことは――ジュードにはよくわかった。

 聖剣はヴェリアの第一王子たるヘルメスが本来は振るうべきものなのだ。しかし、地の国の王ファイゲたちとの謁見の真っ最中にあんなことになり、その際にネレイナの言葉に返答したらうっかりそれが「願い」と判断されてしまっただけで。だが、聖剣が所有者を決めてしまった以上、もうジュードにしかこの聖剣は振るえないとイスキアが言っていた。


 つまり、聖剣を返せと言われてもジュードにだってどうしようもないのだ。だからこそ、罪悪感が次々に降ってくる。それはもう雨のように。



「大体、ヘルメス様の婚約の話はいったいどうなるのです!? ジュード様が生きていらしたということは、ジュリアス様の決定が優先されるのですか!?」

「そ……そう、わたしもそれが気になってたんです。わたしの婚約者って、結局どうなるんですか……?」



 そんなやり取りを交わす一角を、フォルネウスは宿の壁に寄りかかりながらうんざりしたように眺めていた。その隣には同じようにイスキアの姿もある。


 ヴェリアの民が大陸から出てきたということは、恐らく大陸は既に魔族の巣窟になっているはず。このままでは全滅してしまうと踏んで、彼らは外の大陸へと逃げてきたのだろう。魔族との戦いが今後更に激しさを増していくことは、想像に難くない。それなのに、聖剣は誰が使うべきだの婚約者はどうなるだの、モメるのはそんな理由ばかり。



「……ああいうのを見てると、あなたの言うこともわかるわ。まあ、もう魔族を倒した後のことを考えてると思えばある意味前向きなのかしら」

「それはお前の捉え方が前向きなだけだ」

「人間って、実際に問題が目に見える場所にないとそういうものなのかもしれないわねぇ。……でも、そんな人間ばかりじゃないことも知ってるはずよ」



 イスキアの言葉に、フォルネウスはそれ以上何も言わなかった。その頭にあるものは何か、無表情の面からはほとんど何も読み取れない。人間に対して快い感情は間違っても抱いていないようだったが。


 けれど、そんな時――イスキアもフォルネウスも、ほぼ同時に背筋が凍るような独特の不快感を覚えた。例えようのないこの感覚には、どちらも覚えがある。イスキアは弾かれたように窓を見遣るが、時刻は既に夕刻。太陽が半分以上山の向こう側に沈んだために目で気配の出どころを探るのは難しそうだった。大精霊たちのその様子に気付いたジュードは静かに席を立ってそちらを見遣る。



「イスキアさん、どうかしたの?」

「ジュードちゃん、王都に戻るわよ。すごく嫌な予感がするわ」



 火のある暖かな宿の中なのに、まるで猛吹雪の中に投げ出されたかのような寒気を覚えた。



 * * *



「ジュード、遅いね」

「イスキアさんが一緒なんだからすぐ戻ってくると思ったんだけどねぇ。……まあ、想い人とお別れなんだし色々惜しんでるんだろうけど」



 水の王都シトゥルスでは、マナとルルーナが用意された客間で外を眺めていた。雪は未だにしんしんと降り、王都を白く染めていく。いくら除雪をしてもキリがないくらいだ。


 好きな人との別れは、誰にとってもつらいもの。ジュードも例に洩れず、カミラとの別れを惜しんでいるために帰りが遅くっているのだろうと、言葉には出さずともマナもルルーナもそう思った。だが、そんな二人の様子を見遣りながらウィルは温泉旅館でのことを思い返す。



「あいつ、カミラのことは好きでも恋愛の好きとは違ったみたいだけどなぁ……」

「えっ!? じゃ、じゃあ、ジュードの好きな人って別にいるってこと!?」

「そ、それはわからないけど」



 あの温泉旅館で聞いた時、確かに顔を赤くしていたことをウィルは記憶している。あの時、ジュードはいったい誰を思い浮かべたのか。カミラでないとすれば――考えてみてもそうそう簡単にわかることではなかった。


 ウィルたちがジュードの好きな人の話題でやいのやいのと盛り上がる中、窓から空を見上げていたリンファは暗くなってきた空にひとつの黒い影を見つけた。寝床に帰る鳥か何かかと思ったが、徐々に王都に近づいてくるようだった。



「……みなさま、あれは……?」

「え?」



 次第にハッキリとしてきたその影は、道化師(ピエロ)のような格好をした男だった。



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