異常気象の原因
本来、五日ほどかかってもおかしくない雪道を最短距離で進めたお陰で、その日の夕方には水の王都シトゥルスに到着することができた。とはいえ、氷の道では馬に負担をかけることを考えて馬車にも乗れなかったため、一日歩き通しでクタクタである。
時刻は十九時少し前、今から謁見となると時間的にも厳しい。謁見は明日にして、その日は都の宿に泊まることにした。動きにくい正装からいつもの服に戻ったものの、寒い中をずっと歩き通しで身体はあちこちガタガタだ。今日一日ゆっくり休んだ方がいいだろう。
「じゃあ、ジュード。僕は陛下にみんなが来たことを知らせておくから、また明日ね」
「ああ、ここまでありがとなエイル。……あ、それとひとつ聞きたいんだけど、王都からずっと南に行ったところにプラージュって港街あっただろ? あそこって今も船出てるかな?」
「プラージュなら大丈夫だと思うよ、他の小さな漁村とかは雪で駄目だけど……ああ、ヴェリアに渡るって話?」
ロビーで少し早めの夕食を摂ることにした一行は今夜この宿に泊まるが、エイルは別だ。彼はこれから王城に赴き、ジュードたちが来た旨を報告しに行かなければならない。
不意に向けられた言葉にエイルは数度瞬いた後、カミラに目を向けた。彼らの事情は昨夜小屋の中である程度は聞いている、彼女が姫巫女だという話も。納得したように頷いてから、エイルは改めてジュードに向き直った。
「ああ、プラージュにならちょっとした知り合いもいるし、カミラさんも安心かなと思って。船が出てるならよかった、謁見が終わったら行ってみるよ」
「うん、陛下にその話もしておくよ。ヴェリアも今大変なんだろう? もし大陸を出る可能性があるなら、保護する用意もしておいた方がいいだろうしね。それじゃあ、また明日」
手を振って宿を出て行くエイルの背を、ウィルもマナも特に余計な口を挟むことなく見守っていた。
――本当に変わったものだと思う、あの駄々っ子にいったい何が起きたらあんなふうになるのか。どちらも言葉にすることはなかったが、思うことはまったく同じだ。カミラは温かいミルクの入ったマグカップを両手でぎゅ、と握り込んで複雑そうに視線を下げた。
やっと、本当にやっとヴェリアに戻れるのだと思えば彼女としては嬉しい。しかし、その胸の内は複雑だった。
ジュードがヴェリアの第二王子だということは、カミラが幼い頃に愛した王子本人だ。当のジュードはその頃の記憶を綺麗に失っているようだが、カミラは一度たりとも忘れたことなどない。せっかく無事だったのに、生きて再会できたのに何もかも覚えているのは自分だけで、その大事な思い出を否定されたような気にさえなってしまう。
上手くいけば明日にはヴェリア行きの船に乗れる。
だが、カミラの心は一向に晴れなかった。
* * *
夜の二十一時を回った頃、ジュードは宿を出て街の中を歩いていた。街の出入口にある厩舎に向かう途中なのだが、散策も兼ねている。
都の中も大量の雪に見舞われて景観などあってないようなものだが、所々に雪像が見える辺りに雪国に住まう者たちの精神的な強さを感じる。街の中を見回しながら歩くジュードの傍らにふわりとジェントが現れるとそんな彼に声をかけた。
『ジュード、疲れてるだろう。休まなくていいのか?』
「あ、はい。……王都もひどい雪なんだなと思って。この国の王さまには以前お世話になったから、何とか原因を特定できればいいんですけど……」
明日には国王リーブルとの謁見がある。彼とは面識があるし、立派でありながら心優しい寛大な王だということも知っている。だからこそ、できることなら彼の力になりたいとも思うのだ。この異常気象の原因を特定できさえすれば、きっと少しでも彼の役に立つだろうから。
すると、ジェントは困ったように後頭部を掻くジュードを暫し無言で眺めた後、複雑な面持ちで空を見上げた。
『……この異常気象の原因は水の神柱だよ、ライオットたちも当然知ってる。口にしないのは現段階で解決する方法がないからだ』
「水の……神柱?」
『それぞれの神柱たちがどのようにして誕生するかは、聞いているか?』
「ええっと、各大精霊たちが相棒と一体化することで顕現する……ってマナに聞いたような」
トレゾール鉱山から帰る道中でイスキアに聞いた話だ。ジュードとウィルが目を覚ました時にマナが話してくれたその情報を思い返しながら呟くと、ジェントは一度小さく頷いた。
『ああ、それで合ってる。水の神柱は水と氷の大精霊が一体化したものだが、今この地方には水の大精霊の存在が感じられない、シヴァ一人の力で支えているようなものだ。……既に天候を制御することさえできなくなっている、本人は平然としているが、シヴァの力はもう限界まで弱まってるんだよ』
「シ、シヴァさんが……!? ど、どうしたら……水の大精霊を探せば何とか、なるのかな?」
『ああ、それができればこの異常気象も落ち着くはずだ。それまでは……シヴァをこの国から離さないことくらいしか、できる措置がない』
ジュード自身、今までシヴァには幾度となく助けられてきた。雪山での時も、王都ガルディオンでも。それに、勇者が――ジェントが使っていた技を教えてやろうと時間を割いてくれたのも彼だ。そんなシヴァが限界まで弱っていると聞かされて、打ちのめされたような想いだった。それと同時に「何とかしなければ」という気持ちも芽生えてくる。
「水の大精霊は……どこ行ったんだろう、心当たりはありますか?」
『……あいつは繊細だからな、人間に嫌気が差したか何かだろうさ。どこに行ったかまでは……見当もつかないが』
これまで会った精霊たちは誰もが友好的だった。しかし、中には残忍な人間だっているし、そんな一部の人間を嫌い、精霊が嫌悪感を抱いていてもおかしくはないのかもしれない。特に、ジェントが言うように繊細な精霊ならば。実際、ジュードだって地の国では色々な感情を抱いたものだ。
人間に嫌気が差してしまったのなら、果たして戻ってきてくれるだろうか。星や月さえ見えないどんよりとした空は、先の未来でも暗示しているかのようだった。




