神の聖剣
それはまさに一瞬の出来事だった。
ジュードたちはルルーナを除き、その全員が足元から伸びてきた植物のツタのようなものに絡みつかれ、その場に拘束されてしまった。その一瞬のことにさすがのシルヴァでさえ反応できず、容赦なく絡みついてくるそれを見下ろして瞠目する。
ルルーナはその光景を目の当たりにすると、弾かれたように母を見遣った。
「お母様! 何をするの!? それにお久しぶりって……」
すると、娘の疑問の声にネレイナは口端を吊り上げるなり、ゆったりと軽く小首を傾かせた。「ふふ」と楽しそうに笑う様は淑女に見えるが、ルルーナはざわざわと胸の中が何かに掻き回されるような嫌な予感を感じていた。
「ジュード君は覚えていないでしょうけれど、わたくしはジュード君が子供の頃に一度会ったことがあるのよ。だって、魔法に拒絶反応を起こすように彼に呪いをかけたのは、このわたくしですもの」
ネレイナが嬉しそうに語るその言葉にルルーナはもちろんのこと、ツタに拘束されたジュードたちも絶句するしかなかった。だが、何度思い返してみてもジュードには覚えがない。小さい頃にネレイナに会ったことがあると言われても、該当する人物は記憶の中には存在しなかった。
「ジュード君の中に流れている二つの血は魔族が最も恐れているものであると同時に、最も欲すべきものでもある。……でも、その顔を見る限り、精霊たちはまだあなたに本当のことを話したわけではないのね」
「――や、やめるに! お前、魔族と繋がってるに!?」
饒舌に語るネレイナの言葉を止めたのは、ジュードの服の中に潜り込んでいたライオットだった。ポケットから慌てたように顔を出して短い手をバタバタと動かすが、ネレイナはそんなライオットを嘲笑い、ひとつ高笑いを上げた。
「あはははッ、繋がっているだなんて人聞きが悪いわね。過去に少し情報共有をしただけよ、そのお陰でヴェリアはメチャクチャになったけど」
「ど……どういうこと!?」
「そのままの意味よ、巫女様。魔族がヴェリアを襲撃した本来の目的はジュード君を――あなたの王子様を奪うのが目的だった。それがなくても、その後はヴェリアを滅ぼしていたでしょうけれどね」
カミラはネレイナの聞き捨てならない言葉に声を上げたが、当の彼女本人は相変わらず饒舌に語る。しかし、その言葉の中には決して聞き逃せない情報がいくつも含まれていた。ジュードと同じく頭のデキがそれほどよろしくないマナにだってわかる。
「ね、ねえ、待って……ヴェリアを襲撃した目的がジュードって、それってつまり……」
「あら、精霊たちはそんなことさえ教えていないというの? そうよ、ジュード君は十年前に命を落としたとされているヴェリアの第二王子、ジュード・エル・ヴェリアス本人。巫女様の愛しい愛しい王子様でしょう?」
あっさりと告げられた言葉とその情報に、カミラは思い切り殴られたような錯覚に陥った。自由にならない身を動かしてジュードの方を見遣れば、彼の衣服のポケットから顔を出すライオットやノームが悔しげに口を噤んでいる。ジュードの親のことを知っているはずのライオットが否定しないということは――ネレイナの言葉は真実なのだろう。
なんで、どうして――カミラの中にはそんな言葉が繰り返し駆け巡った。
ジュードにだってわけがわからない、この中で一番混乱しているのは他の誰でもなく、ジュード本人だ。自分が死んだはずのヴェリアの第二王子だなんて、そう言われてはいそうですかと信じられるわけがない。
誰もが困惑する中、ネレイナはにこりと笑いながらカミラの真正面まで歩み寄ると、右手に淡い光を纏わせ始めた。そうして、その手をカミラの胸部に思い切り叩きつける。
「――! カミラさん! ちょっとおばさん、何すんのよ!?」
「お母様、やめて!」
けれど、ネレイナのその一撃は攻撃ではなかったらしく、血は一切出なかった。代わりにカミラの中にずぶずぶと手が沈み込んでいき、程なくして胸部に手を突き刺されたままの彼女の身がびくりと跳ねる。ネレイナはクスとまたひとつ笑うと、今度は勢いよくその手を引き抜いた。それと共に光り輝く何かがずるりと抜け出てくる。
カミラの中から抜き出されたもの、ネレイナが握るそれは――煌々とした純白の光に包まれた剣のようだった。
「レーヴァテイン、ゲイボルグ……神器が二つも顕現したお陰で見つけやすかったわ、お礼を言うわね。さあ陛下、これこそがかつて伝説の勇者が使っていたとされる、神の聖剣エクスカリバーです。魔族に奪われるのを恐れて、ヴェリアの民が巫女の中に封印したのでしょう」
「おお……ッ! こ、これが! なんと美しいのだ、まさに世界の王に相応しきものだ!」
「や……やめて……っ! それは、ヘルメスさまに……!」
ネレイナは静かに踵を返すと、待ちきれないとばかりに立ち上がった国王ファイゲの前へと歩み寄る。そして、カミラの中から抜き取った聖剣をその手に渡してしまった。
ライオットとノームは慌ててジュードの服の中から飛び出したが、即座に伸びてきたツタに早々に叩き払われた。そのもっちりとした身とぷよぷよの身はころころと転がり、やがてルルーナの足元で止まる。ルルーナはその場に屈むと、その手触りのいい精霊二匹の身を抱き上げた。正直、彼女の頭だって混乱しっぱなしだ。
「やめろに! 聖剣がそんな連中に渡るなんて絶対駄目だに!」
「返すナマァ!」
「まあ、精霊って本当に失礼な生き物ね」
ライオットとノームのその訴えも、ネレイナやファイゲには痛くも痒くもないらしい。わざとらしく困ったように笑いながら「やれやれ」とばかりに頭を振ると、早々に意識と視線を外してそのままジュードを見据えた。
「この世界は、そろそろ“伝説の勇者”という呪縛から解き放たれるべきよ。でも、世界に蔓延る勇者伝説のせいで、それも一気にとはいかない……だからジュード君、あなたはヴェリアの王子としてわたくしたちに協力してほしいの。勇者の子孫が聖剣を手になさった陛下に協力するとなれば、情勢は一気に変わるわ。共に新しい世界と歴史を創りましょう」
ネレイナの言葉は聞こえてくるのに、ジュードは俯いたまま何も答えられなかった。先ほどから声は聞こえても、その内容はほとんど頭になんて入ってこない。考えるのが疲れた、頭を使うのが億劫で面倒くさい。
そんな中でもただひとつハッキリしていたことは――敬愛する伝説の勇者が扱っていた聖剣を、ファイゲやネレイナに渡すなんて冗談ではないということだけだった。




