他のみんなには見えないもの
ガタゴトと揺れる馬車の中、マナはひとつため息を零した。
馬車内部に設置された簡素な窓からは山々が連なる風景ばかりが広がる。それは大層見事なものなのだが、今の彼女の心を晴れやかにするには聊か足りないらしい。アレナの街を出てからと言うもの、マナは既に五回ほどため息を洩らしていた。
そんな様子を近くに座っていたリンファは心配そうに眺める。とは言っても、その顔はいつもと変わらずにほとんど無表情なのだが。
「……マナ様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。うん。ごめん、大丈夫よ」
「……みなさまのことが心配なのですね」
「そりゃあね……シルヴァさんは怪我しちゃったし、カミラさんやルルーナが付いてると言っても……またいつ地震が来るかわからないんだしさ」
心に抱える不安を吐露して、マナはそこでまたひとつため息を零した。これで六回目だ。
あの後、ジュードの話に特に強い反応を返したのはライオットだった。彼にしか聞こえない助けを求める声、それはもしかしたら精霊が呼びかけているものかもしれないというのだ。その声が聞こえた直後にあの地震が起きたのなら、その精霊が今回の大地震に関与している可能性がある、とも。
そのため、現在ジュードたちはパーティメンバーを二つに分けて行動していた。
ジュード、ウィル、マナ、リンファ、そしてちびにライオットが精霊に会いに行く組。残りのカミラ、ルルーナはシルヴァが怪我をしたのもあってアレナの街に残り、怪我人の手当てにあたっている。サラマンダーには彼女たちのサポートを頼んだ。
アレナの街からずっと東に行くと、トレゾール鉱山という場所があるらしい。地下深くには精霊が住まう神殿に通じる入り口があるらしく、もし精霊がいるのならそこだろうとライオットが言ったため、現在はそのトレゾール鉱山を目指している真っ最中だった。
「けど、ルルーナが残るって言い出した時はビックリしたわ」
「……ノーリアン家と言えば地の国の最高位の貴族ですから、やはり心配なのでしょう」
ルルーナは、アレナの街で生存者を捜すと自らの意思で決めた。
貴族令嬢が泥にまみれるような行為を、と誰もが思ったことだが、それだけ彼女が母国の民を心配している、大切にしていると言うことだ。放っておけないのだろう。
そのため、負傷したシルヴァはもちろんのこと、カミラとルルーナはアレナの街に残ることになった。戦闘で怪我をしても、カミラの治癒魔法で治療できないのはかなりの痛手だが、今回ばかりは仕方がない。
「それにしても、マナたちはよく先に動けたな。オレたちしばらく動けなかったよ」
「ああ、うん。それが……ここにいちゃダメだから逃げようって、カミラさんが突然言い出したのよ。最初は何を言い出すのかと思ったんだけど、その直後にあの地震でしょ、もうびっくりしちゃって」
「カミラさんが? 地震が起きるのを予知したってこと……かな?」
「カミラ様は姫巫女様なので、もしかしたら予知能力のようなものがあるのかもしれませんね」
確かに、事前に危険を察知できるのならジュードたちよりも先に避難できたことにも頷ける。姫巫女にそのような能力があるなど聞いたことはないが、歴史に残っていない、語られていない力があったとしてもおかしくはない。今はとにかく――
「カミラさんやルルーナはもちろん、街の人たちのためにも、もう一度地震が起きる前に何とかしないとね」
「はい、あれだけの規模の地震がもう一度来れば……街は本当に崩壊してしまいます、必ず阻止しなければ」
マナの言葉に対し、リンファはしっかりと頷きながら応えた。表情こそ常と変わらぬ無ではあるのだが、微かな緊張が見て取れる。
地震が起きる原因が本当に鉱山にあるのかどうかはわからないし、精霊が関わっているのかも不明だ。しかし、可能性があるのならやらなければならない。
そんな彼らのやり取りを腹這いになって見守っていたちびは、「くぅん」と小さく鳴いた。
* * *
じわじわと夜が明け、太陽の下に晒されたアレナの街の状況は思っていた以上に悲惨なものだった。昨日はハッキリと存在を主張していた数々の建物は半分以上が倒壊し、完全に壊れはしなくとも、今にも崩れ落ちそうな半壊の建物ばかりが残りを占める。
宿は一応原型こそ留めているが、柱が折れて倒れてくるくらいだ、もう一度あの規模の揺れが起きれば宿の近くも危険だろう。通路が潰れたのか、逃げ遅れた多くの宿泊客が助けを求めて窓から手を振っていた。ルルーナは街の男たちと共に一階のロビーから長ソファを引っ張り出している。二階から落ちても極力怪我をしないよう、衝撃緩和の道具として使おうというのだ。
「(……いない、どうして……)」
そんな中、カミラはあるものを探していた。辺りを見回しても、やはりその姿はどこにも見えない。なんで、どうして、という疑問ばかりが次々に頭に浮かぶ。
昨夜、地震が起きる直前のこと――カミラたちも長旅で疲れているため、雑談もそこそこに早めに寝ようと思っていたのだ。しかし、そんな時だった。不意に耳慣れない声がすぐ間近で聞こえたかと思いきや、傍らにいつかも見た赤毛の――恐らくは青年が立っていたのである。それだけではなく、ハッキリと強く訴えかけてきた、どこか余裕のない様子で。
『仲間を連れて、早く外へ――!』
「え……っ!?」
「カミラさん? どうしたの?」
思わず声を洩らしてしまったが、こちらを見るマナたちの様子はいつもと何も変わらない。仲間にはカミラしか見えていないようだった。
仲間と正体不明の青年とを何度か交互に眺めた末に、カミラは腰掛けた寝台から慌てて立ち上がった。
「……っ、――ここにいちゃダメ! 逃げて!」
その直後にあの地震だ、もしあのまま寝入っていたらと思うとゾッとする。カミラが眠ることになっていた寝台には、剥がれ落ちてきた天井が直撃した。あと少し避難が遅れていたら、大怪我をしていたかもしれない。
「(みんなには見えてないみたいだった……あの人はいったい誰なの……? あれは、わたしがリュートに誘拐された時に脱出できる場所を教えてくれた人だわ、間違いない……)」
どうしてここにいるのか、どうして自分にしか見えないのか、なぜ地震が起きることを知っていたというのか。
考えても答えなど出るはずもないのだが、考えずにはいられなかった。




