カミラの目的
クリフが走らせた馬車が火の国の王都ガルディオンに到着したのは、夕暮れに近い時間帯だった。遠くの空がうっすらと橙色に染まっている。あと数十分もすれば、今日もまた太陽が山の向こう側に姿を消し、夜がやってくる。
さすがに、時間的に今日中の謁見は難しいようだった。カミラと共に王城に案内されたジュードは客間に荷物を置き、疲れたように軽く身を伸ばす。
謁見は難しくとも、クリフの方から女王に話を通しておいてくれるということだった。お陰で、明日は滞りなく用を済ませられるだろう。
「ジュードって、王さまに用事があったんだね」
「王さま? ……ああ、うん。女王さまね」
「女王さま? 火の国は女の人が王さまなの?」
「……?」
同じく疲れたように寝台に腰掛けるカミラからそんな言葉がかかると、ジュードは彼女を振り返ったのだが、続いた疑問には緩く小首を捻る。
カミラもこの王都ガルディオンに来なければならないと言っていたが、彼女の目的は依然として不明なままだ。彼女がどこから来たのか、何者なのか、なぜ危険を冒してまでこの都に来なければならなかったのか。彼女を疑いたくはないが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「……カミラさんは、どこから来たの? ガルディオンに行かなきゃいけないって言ってたけど……」
「ど、どうしてそんなこと聞くの?」
「この国の王さまが女の人っていうのは、小さい子供だって知ってることだよ」
“エンプレス”とは、女帝を意味する言葉だ。
火の国エンプレスは、その名の通り代々女性が王となり国を治めている。このことはジュードはもちろん、小さい子供でも知っていることだ。それなのに、ジュードと同い年くらいだろうカミラが知らないことが不思議だった。
その言葉にカミラは驚いたように目を丸くさせると、膝の上でぎゅう、と軽く拳を握って俯く。まるで責め立てているようで、ジュードの良心は思わずずきりと痛んだ。
ややしばらくの間、カミラはそのままで留まっていたが、やがて静かに口を開いた。
「……ジュードは、どうしてわたしをここまで連れてきてくれたの? あなたから見れば、わたしはとても怪しいと思うのに……」
「悪い人には見えなかったし、困ってるみたいだったから……」
悪人が「悪人です」と看板をぶら下げているはずもないのだが、ジュードの目から見てカミラはどうにも悪人には見えなかった。初対面の時に「嘘をつけないタイプ」だと思ったのもある。それらも含めてジュードを騙す演技だったとしたら、完全にお手上げだ。
すると、カミラはまた数拍の沈黙を要した末に意を決したように顔を上げた。
「……うん、あなたには話してもいいかもしれない。わたし、各国の王都にある神殿に行かなきゃならないの――ヴェリア大陸に戻るために」
カミラが告げたその言葉に、ジュードは一瞬呼吸も忘れたように彼女を見つめるしかできなかった。
ヴェリア大陸は、十年ほど前から音信不通になっている場所だ。
大陸の状況はどうなっているのかと船を出しても、一隻も戻ってこなかった。そのため、現在は何があるかわからない危険な場所として渡航制限が行われている。このヴェリア大陸に渡るためには、火、水、風、地の四カ国にある神殿で渡航許可をもらう必要がある。
恐らく、カミラはその許可をもらうためにこの王都ガルディオンまで来なければならなかったのだろう。
暫しの沈黙の後にジュードの口から出たのは、この世界の誰もが気になっているだろう疑問だけだった。
「……ヴェリア大陸は、王国は今はどうなってるの? 十年前に不気味な光が目撃されてから連絡がつかないって話だけど……」
ヴェリア大陸には五国のうちのひとつ、聖ヴェリア王国がある。
王国は伝説の勇者が魔王を倒した後に創った国と伝えられ、今でも勇者の子孫が国を治めているはずだ。この時――「聞かない方がいい」という嫌な予感が顔を出したが、やっぱりいいと言う気にはなれなかった。
「……ヴェリア王国は、魔族の襲撃を受けて十年前に滅んだの。国王のジュリアスさまは、魔王サタンの腹心のアルシエルという男に……殺された……」
その言葉に、ジュードは思わず言葉を失った。ジュリアスとはヴェリア王国の現国王のはずだ、そのジュリアスがアルシエルという男に殺された。
魔王サタンは、四千年前に伝説の勇者により倒された魔族の長である。そして、その魔王の腹心ならアルシエルという男もまた、魔族ということになるだろう。
「だ、だって、魔族は退治されたんじゃ……! それなのになんで……!?」
「それはわからないわ……でも十年前のあの日、突然魔族が現れて……王国を滅ぼしたの。第一王子さまと王女さまは王妃さまと一緒に逃げ出せたけど、第二王子さまは魔族に……喰い殺されたと……」
「そんな……」
おとぎ話の中でしか知らない魔族が、今この世界に存在している。その事実だけでも充分すぎるほど衝撃的だ。それだけでなく、その魔族により勇者の子孫が殺されてしまったというのだから。
「大陸のみんなは、絶望ばかりで何も信じられなくなっていて、第一王子さまは聖剣を使って外の世界の人たちに復讐するとまで言い出したの」
「ふ、復讐?」
「ええ。“大陸の外の人たちは、自分たちがこんな想いをしてるのに助けにも来てくれない、見捨てられたんだ”、って。このままじゃ人間同士で戦うことになってしまう気がして……それでわたし、噂が本当なのか確かめるためにヴェリア大陸から……」
つまり、カミラは現在のヴェリア大陸で噂されている「大陸の外の人間たちは、自分たちを見捨てた」という思い込みの真偽を確かめるために大陸からやってきたと言うことだ。他でもない、人間同士による衝突を避けるために。
「でも……わたしたちは見捨てられてなんかいなかった。色々な街で聞いたの、各国の王さまたちがヴェリアと連絡を取ろうとしてくれてたこと。だから、わたしはみんなにそれを伝えに戻らないと……人間同士で憎み合うなんて悲しいもの」
「うん……みんなすごく心配してたよ、何隻も船が出たんだ。でも、そういうことだったんだね」
カミラの話から察するに、大陸に向けて出港した船が一隻も戻ってこなかったのは、ヴェリアの民と接触するよりも先に魔物か魔族によって沈められてしまったのだろう。すると、カミラはまっすぐにジュードを見つめながら懇願するように改めて口を開いた。
「でも、お願いジュード。明日の謁見で、女王さまに魔族のことは言わないで。この国は今は魔物のことで大変なんでしょう? それなのに、その上で魔族が現れたなんて聞いたら……」
「……そうだね、わかったよ。報告するにしても、まずは魔物のことが少しでも落ち着いてからかな」
「うん、約束だよ」
そう返答すると、そこでようやくカミラは安心したようにふわりと笑った。
こうしている今も、この世界に魔族がいる。頭でどれだけ考えても、実感など湧かない。しかし、カミラが嘘を言っているようには見えないし、そんな嘘をついたところで彼女に得があるとも思えなかった。
カミラの言うように魔族がこの世界に現れたのだとしたら、その話が多くの者の耳に入ったら――世界は今以上に混迷に包まれる。それがどんな結果をもたらすのか、ジュードには想像すらできなかった。