想いの変化
先を急ぎたいところではあるのだが、ジュードたちは結局もう一泊することになった。
それというのも、手下が破壊した屋敷の修繕作業の手伝いと、まだライオットが言っていた契約を試せていないためだ。
もしや、やっぱり思い直してトリスタンやメネットに何かしでかすのではと疑う気持ちもあったのだが、ルーヴェンス伯爵もその手下たちも旅館や兄妹、従業員たちに手を出すことはなく、修繕作業を一生懸命に頑張っていた。これならもう大丈夫だろうと、安心できるくらいに。
「っあ~~! 最高っ! やっぱり疲れてる時はお風呂よねぇ~!」
手下たちによって破壊された部分はそれなりの規模で、無事に修繕作業を終える頃には既に陽が暮れていた。一日力仕事でクタクタだが、露天風呂に浸かるというご褒美のお陰で、力仕事の疲労も旅の疲労も気にならないレベルにまで癒えてくれた。広い露天風呂に浸かりながら、マナは気持ちよさそうに両手を天へと伸ばす。その隣では、ルルーナが呆れたような様子で彼女を横目に見遣っていた。
「ほんとマナは田舎者ねぇ、お風呂くらい落ち着いて入れないのかしら」
「うっさいわね! いいじゃない別に!」
「まあまあ、これほど見事な露天風呂など滅多に入れるものではないのだ。マナちゃんの気持ちもよくわかるよ」
この温泉旅館の露天風呂は広々としていて、実に開放的だ。乳白色をしたこの湯には様々な効能があるらしい。男湯と女湯を隔てるものは岩で造られた仕切りの壁くらいしかないが、現在のメンバーに女湯を覗こうなどという不届き者がいないことは女性陣とて知っている。余計なことを気にせずのんびり疲労を癒すことができた。
「グランヴェルには、こうした温泉があちこちにあるのです。他の街や村でも時間の許す範囲で浸かってみるのもいいかもしれません。……ただ、これほどの立派なものはなかなかないと思いますが」
「そうなんだ、グランヴェルってすごいんだね」
そんなやり取りを交わすリンファとカミラに、ルルーナはちらと盗み見るような視線を投げる。そうして、隣にいるマナにそっと耳打ちをした。
「……ねぇ、マナ。気付いた?」
「何に?」
「カミラちゃん、かなりデカいわよ」
まるで内緒話の如く、普段よりもやや小さく呟かれるルルーナの言葉にマナは目を瞬かせるが、やがて彼女の視線もこっそりとカミラに向けられる。
乳白色の湯のせいでしっかりとは見えないのだが、確かにその胸元はかなりふっくらとしている。ルルーナやシルヴァほどではなくとも、充分に大きい部類だろう。それを確認するや否や、マナはがっくりと肩を落として頭を垂れた。
「カミラさんはこっち側だと思ってたのに……」
「マナにとっては思わぬ伏兵ってとこかしら? リンファもまだ年齢的な問題で控え目だけど、マナよりは大きくなるでしょうねぇ」
「うるさいわね!」
悲しいかな、マナは歳のわりにはその胸が随分と控えめなのだ。それは女性としては払拭し難いコンプレックスらしく、揶揄してくるルルーナに向けてマナはいつものように声を張り上げた。
* * *
一方、マナとルルーナが話す壁の向こう。
その先は男湯だ。高く積み上げられた大小様々な岩で壁を作っているだけの簡素な仕切り。そのため、男湯と女湯の距離は非常に近い。地震でも起きてこの岩壁が崩れてしまえば、隔たりはなくなってしまう。
そんな距離間だ、彼女たちの会話はバッチリと男湯にも届いていた。辺りではちびが犬かきをして湯を楽しみ、ライオットがぷかぷかと浮かびながら極楽気分を堪能している。
ウィルは岩壁の向こうから聞こえてきた会話に思わず苦笑いを滲ませるものの、すぐに隣で湯に沈んでいるジュードの脇腹を肘で小突く。
「おいジュード、聞いたか? カミラって結構デカいみたいだぞ、よかったなあぁ」
「え? ……ああ、うん?」
しかし、肝心のジュードはと言えば、ウィルの言わんとすることが理解できなかったのか頻りに小首を捻るばかり。そんな様子を見て、ウィルは怪訝そうな表情を浮かべた。
ジュードがカミラをミストラルの自宅に連れてきた頃、それはそれは初々しいものだったと記憶している。ああ、弟分にも随分と遅い春がやってきたんだなぁ、と密やかに思ったものだ。だから、ジュードは当然カミラのことが好きなのだろうとも。
それなのに、好きな女の子の――直視するには憚られる部分の話にまったく食いついてこないことが不思議だった。健全な男子なら興味があって当然だろうと、ウィルはそう思っている。他でもない彼だってそうだ、大いに興味がある。
グラムの育て方のせいなのか、ジュードにはややお堅い部分はあるのだが、こういう話題なら顔を真っ赤にして慌てたっておかしくはないはずなのだ。そこまで考えて、ウィルは不意に直感が働くのを感じた。
「お前、もしかして……他に好きな人でもできたのか?」
「んな……ッ!」
考えられる可能性と言えば、それくらいしかなかった。
対するジュードは、その予想外過ぎる問いかけに思わず言葉に詰まる。「他に好きな人」と言われて頭に浮かんだのは、いったい誰のことか。
カミラのことは好きだと思うし、一目惚れしたかもしれないと思ったこともある。
しかし、彼女の生い立ちや、その心に負った傷を知っていくうちに、その感情は恋愛ではなく家族や友愛に近いものへとゆっくり変化していった。
いつか彼女のありのままを愛してくれる人が現れたらいい、彼女がまた心から愛せる人が現れてくれたらいい――ジュード自身も気付かないうちに、純粋にそう思うようになっていた。それは、ウィルやマナに対する感情と同じもので、嘘偽りない気持ちだった。
「(他に好きな人、かぁ……駄目だ駄目だ、何考えてるんだ。おかしいだろ、これは……)」
ジュードは口元まで湯に浸かると、軽く眉根を寄せる。ほんのり浮かんでくる想いを強引に振り払い、見ないようにと己の心に強引に蓋をした。




