ヘレティック
その後、旅館の奥の部屋でこってりとルルーナにしぼられた伯爵たち一行は、この旅館とトリスタンたちに今後一切関わらないという誓約書を書かされた。
大丈夫なのか、本当にこの紙切れ一枚で解決したのかとジュードたちは疑ったものの、奥の部屋から出てきた伯爵たちを見れば何も言えない。先ほどまで余裕に満ち満ちていた様相はすっかり変わり果て、げっそりとしていた。心なしか少し痩せたような気さえする。
「ル、ルルーナ、何したのよ……」
「別に何も。私は優しいから、当たり前のことを親切丁寧に言葉で教えてあげただけよ」
さすがに見かねたマナがルルーナに声をかけると、当の彼女はふふんと笑いながら豊満なその胸を軽く張ってみせる。ルルーナが言う「当たり前のこと」がどういったものなのか、マナとカミラは疑問符を浮かべながら頻りに小首を捻った。
「言ったでしょ、私たちノーリアン家は土地のことに口を挟んでるって。だから、この旅館や土地がほしいのなら、まずは私たちノーリアン家かそれに近しい者にこの土地がほしい旨を伝えなきゃいけないの。その上で、現在の土地の所有者と交渉を始めるのよ。間に私たちを挟まないで強引に旅館をよこせだなんて違法でしかないわ」
「そ、そういうものなんだ……ルルーナっていい加減に見えてそういうとこちゃんとしてるのね」
マナが感心したように呟くと、その後ろではカミラやシルヴァが満足そうに何度も頷いていた。ルルーナは片手に持っていたいくつかの書類にパラパラと目を通した後、それを近くにいたメネットに渡す。その書類の数々は、これまで兄妹がちゃんと納税してきたことを証明する書類だ。
「この土地や旅館の所有者が税を納めていないとかなら、差し押さえっていう形で強引な手に出ることもあるけど、この子たちは滞納してるわけでもないみたいだしね。必要な書類は全部揃ってるもの」
「じゃ、じゃあ……この旅館もメネットさんも、伯爵に奪われずに済むんだよね?」
「そうね、もしまだあれこれ仕掛けてくるようなら……グルゼフに住むエピオス侯爵を頼るといいわ、私たちとほぼ同じ仕事をする人よ。都に戻ったら話を通しておいてあげるから」
ルルーナのその言葉にトリスタンやメネットをはじめ、旅館の従業員たちは感極まったように「ありがとうございます!」と深く頭を下げた。そんな様子を見て、シルヴァは改めて何度か頷きながら胸の前で腕を組む。
「ルルーナ嬢のお陰で助かったな、我々だけだと今頃ボコボコにしていたぞ」
「シルヴァさんも案外ジュード寄りなんですね……それは少し意外だったわ……」
シルヴァとルルーナのそんなやり取りを背に、ジュードはロビーの床に力なく座り込む伯爵たちの傍に寄ると、そっと飲み水を渡した。ルルーナにこってりとしぼられていた時間は軽く見ても約三時間ほど。恐らく身体的にも精神的にもヘトヘトだろう。
「伯爵さんたちは、なんでそんな強引なことをしようとしたの?」
渡された水をぐっと一息に飲み干したルーヴェンス伯爵は、すっかり意気消沈した様子で軽く項垂れると、ややしばらくの沈黙の末にロビーの大窓に目を向けた。仕切りこそ設けられているが、外には露天風呂らしきゴツゴツとした岩が見える。
「この旅館の温泉には古い歴史がありまして……その昔、天女やユニコーン、天使などの不思議な生き物たちまでもがこぞって湯に浸かりにきたと言われているのですよ」
「へえ……」
「その中でも、ヘレティックと呼ばれる特殊な種族がいましてな。ワタクシはどうしても、そのヘレティックを一目見たくて仕方がないのです。この旅館を手に入れてジッと見張っていれば、いつか目にすることも叶うのではないかと……思いまして」
耳慣れないその単語にジュードは疑問符を浮かべたものの、伯爵のその言葉に反応したのは彼の後ろに控えていたウィルの方だった。ジュードの隣に屈み込み、何やら目を輝かせながら伯爵に詰め寄る。
「へ、ヘレティックだって!? 伯爵、あんたヘレティックの話を知ってるのか!?」
「お、おお! では、きみも知っているのかね! 若いのに話がわかりそうではありませんか!!」
「なに意気投合してるんだよ、ウィル……」
何やら伯爵と意気投合してしまったらしいウィルを呆れたように見遣りながら、ジュードは改めて思考を巡らせるが、やはりその単語に覚えはない。しかし、普段は冷静沈着なウィルがこうした反応を見せるということは、彼が興味を持っている分野の話なのだろう。ウィルは秘境だとか、実在するかわからない未知のものに並々ならぬ興味を寄せる男だ。
「ヘレティックっていうのは、大昔にいたとされる種族なんだよ。姿かたちは俺たち人間と変わらないのに、とんでもない美しさを持つ生き物だって伝わってるんだ」
「そうなのです! それほどの美しい生き物、ぜひとも一度お目にかかりたいではありませんか! ですので、もしやと思い美しい方々に声をかけていて……」
「彼らは魔を寄せ付けない特殊な体質を持ってて、その昔、魔族でさえ手を焼いたって言われてるんだぜ」
口を挟む隙もなく語られていく話にどうしたものかとジュードたちは思わず苦笑いを滲ませたが、メネットはおずおずと伯爵の傍に歩み寄ると、両手を膝の辺りに添えてそっと伯爵に声をかけた。
「そういうことでしたら、今後はお客様としていらしてください。宿泊代さえお支払い頂けましたら何日滞在なさっても構いませんから。私たちの方でも、その……ヘレティックさんらしい方をお見かけしたら、すぐに伯爵さまに報せるようにします。ね、兄さん、いいでしょう?」
「あ、ああ、それはもちろん……」
「ほ、本当かね! 本当かね!? ああ……ああ……っ! ありがとうございます! ヘレティックを一目見せて頂けたら、何でも望むものをお礼として用意させますので!」
メネットとトリスタンの言葉に、ルーヴェンス伯爵は感極まったように床に伏せて泣き出してしまった。それほどまでに執心なのかと思えば、反対するのも気が引ける。
取り敢えず、今後この旅館に善からぬことをしないのなら一件落着と言ってもいいのだろう。




