憧れは目の前に
王都ガルディオンを出立し、道なりに南下していたジュードたちは二日目にしてようやく神器が眠る神殿まで辿り着くことができた。度重なる狂暴な魔物との戦闘で、さすがの精鋭部隊もクタクタである。神殿前に到着したのが既に夜だったこともあり、神殿内部の捜索は明日に持ち越しとなった。
固い地面の上に寝転がり、夕食もそこそこに眠ってしまう騎士たちを見てカミラは困り顔だ。食べなくて大丈夫なのかと心配になるが、今の彼らの優先順位は食欲よりも睡眠欲なのだろう。少しでも身を休めて体力を回復させなければ。神器を手に入れて終わりではなく、今日まで辿ってきた道をまた戻らなければいけないのだから。
そして、ジュードも。全員で設置した簡素な寝床で既に寝転がっていた。
「もう、ジュードも……ごはん食べなくて大丈夫なのかな……」
「今はゆっくり休ませてやりなさい、鍛えられた騎士たちでもつらい道中だ。いくら若くともキツいだろう」
「そうだにね、ライオットたちは馬車に乗ってたから元気だけど戦い通しのみんなはつらいはずだに」
心配そうなカミラの背中に、焚火の傍に座るメンフィスがひとつ声をかける。彼の足元では同意するようにライオットが頷いていた。カミラをはじめ、治療とサポートのために同行している支援要員は基本的に馬車での移動のため、戦闘要員に比べれば疲労はそれほど強くない。常に最前線で指揮を執り暴れていたメンフィスの顔にも疲労の色は見えるが、完全に疲れ切っていないところはさすがと言える。
カミラはメンフィスや他の支援要員たちを振り返ると、彼らと同じように焚火を囲むようにして腰を下ろした。
「明日はいよいよ神殿の中か……」
「うに、神殿には魔物はいないはずだによ。ここに来るまでよりはずっと楽なはずだに」
「そうなの?」
「そうだに、神殿は精霊たちの家みたいなものだに。そこに知らない魔物がいたら普通は嫌だによ」
言われてみれば確かにそうだ。自分の家に見知らぬ生き物が我が物顔で住んでいたら普通は叩き出すだろう。神殿の中に魔物はいない、ライオットのその言葉はカミラたちを安心させた。
そこで、メンフィスはジュードが眠っている方にちらりと一瞥を投げる。彼らと行動を共にしたことは何度かあるが、メンフィスはこの数日間でのジュードの動きが気になっていた。
「(……水の国で何かあったのか? これまでと比べて格段に動きが……いや、戦い方のレベルが上がり過ぎている。いくら若いとは言え、短期間であれほど変わるとはいったい……)」
ここに行き着くまで、狂暴な魔物の群れと何度遭遇したかわからない。選び抜かれた精鋭部隊でさえ苦戦を強いられるような魔物を相手に、ジュードはほとんど傷を負うこともなく戦い抜いてみせた。戦闘中の彼の動きや戦い方は以前船上で見た時のものとは比較にさえならず、多少の迷いこそ見て取れるものの、的確に急所を叩きほぼ一撃、二撃で沈める様は見事としか言いようがない。
いったい彼の身に何が起きたのだろうと疑問を抱くくらいには、ジュードの成長と変化がメンフィスには疑問だった。
「なあ、神器ってどんなものなんだ?」
「勇者様のお仲間が使ってた武器なんだよな、やっぱりメチャクチャ強いのか?」
そんなメンフィスの意識を引き戻したのは、ライオットに純粋な疑問をぶつける支援要員の部下たちだった。彼らの顔にも疲労が滲んでいるが、古代の至宝となればその好奇心は疲労にも勝るのだろう。ましてや、その古代の秘宝――神器が魔族を打ち破る鍵となるかもしれないのだから、周りが寄せる期待は大きい。
「もちろん、神器はとんでもない力を持ってるに! あれがあれば魔族との戦いも楽になるによ!」
「おおっ!」
「けど、重要なのはその使い手がいるかどうかだろ? そんなスゲェものに選ばれるやつなんているのかね……あーあ、この時代に勇者様みたいな人がいてくれたらなぁ」
「なあ、勇者様ってやっぱり強かったのか? お前、会ったことあるって話だったよな?」
メンフィスもカミラも、簡素な携帯食を口に運びながらその会話に耳を傾ける。伝説の勇者の物語は、小さい子供から大人まで幅広く知られている。誰もが一度は耳にしたことがある――所謂「昔話」だ。その昔話の登場人物に実際に会ったことがある生き証人、もとい生き精霊の存在は人々の関心を強く惹きつけた。
「勇者様……ジェントのことかに?」
「ジェン……それが、勇者様のお名前か?」
「そうだに、ジェント・ハーネンベルグ。ものすごく強いやつだったによ、……懐かしいにね」
ライオットは静かに夜空を仰ぐと、ぽつりと呟く。その声色はなんとなく寂しそうだった。
* * *
眠りについたジュードは、今日も夢の中であの白一色の宮殿を訪れていた。この一週間のうち、この場の夢を見たのはこれで計五回。
ここでほんの何度か手合わせをしただけだ。それなのに、現実で着実に結果が出ているとジュード自身そう思う。確認などせずともハッキリと。
今日もいつものように、鞘に収められた剣の先が芝生の上を滑る。程なくして形作った文字――名前を前に、ジュードは瞬きを打った。
『……じぇ、……ジェント、さん?』
ジュードが今日尋ねたのは、この一週間のうち五日ほどずっと手合わせに付き合ってくれた件の相手の名前である。
最初こそ「ただの夢」だと思っていたが、こうまで繰り返し見るのであれば自ずとその考えは変わる。ここ最近は強くなることばかりに集中しすぎて、肝心の名前を聞くことさえ忘れていたが。
芝生に書かれたそれを声を出して読むと、当の相手は――ジェントは一度だけ静かに頷いた。ジュードはそれを確認してから、片手で自らの後頭部を軽く掻き乱して「はは」と笑う。
『えっと……男の人だったんですね。すごく綺麗な人だから、オレてっきり……』
『――!』
ジュードとしては思ったままを告げただけだったのだが、どうやらとてつもなく大きな地雷を踏み抜いてしまったらしい。途端、場の空気が凍りついたようだった。まるですぐ近くにシヴァでもいるみたいに。
次の瞬間、ジェントが強く地面を蹴り一気に間合いを詰めてきた。そのあまりの速度と勢いにジュードは身構えるのも間に合わず、とにかく後方に飛び退いて距離を取るが、その距離もまたすぐに埋められる。
問答無用に振られる剣を直撃ギリギリの間合いで避けながら、ジュードもまた利き手に持っていた剣を構えて必死に受け止めた。
『わ、わっ! す、すみません! ちょッ、ちょっと落ち着いてくださいよ!』
初めて手合わせをした時は攻撃を受け止めるなど間違ってもできなかったが、すっかりその動きにも力にも慣れた。今では当たり前のように身体が反応する。この時のジュードにそれに気付くだけの余裕はなかったが。それに、彼のその正体にも。
小さい頃から憧れてきた、かの伝説の勇者本人に鍛えられているだなんて気付けるはずがなかった。その名は後世には伝わっていないのだから。