一歩踏み出す勇気
「精霊族、かぁ……」
朝食後、ウィルは先ほどモチ男ことライオットから聞いた話を簡単にでもノートに纏めていた。
魔族がどうしてジュードを狙うのか、その理由はわかった。水の国で吸血鬼やアグレアスたちと戦った時にジュードの身に起きた異変も、恐らくは彼の中に流れる血の影響なのだろう。まだわからないことの方が多いのだが。
食後のデザートを持ってきたマナは、それぞれの前に容器を置いてからそのノートを覗き込む。達筆な字でびっしりと書き込まれた情報は、一目見ただけで眩暈を起こしそうだった。
「ウィルは知ってた? 精霊族っていうやつ……」
「いいや、まったく知らない。そんな一族がいるなんて聞いたこともなかったよ」
「私も。これでも国で色々な本を読んだと思ってたんだけどねぇ」
「確か、森の奥深くに隠れ住んでいるとライオット様が仰っていましたね……」
現在、食堂にはジュードとメンフィスを除く全員が揃っている。ジュードとメンフィスの二人はライオットと共に女王アメリアに報告に出たばかりだ。魔族の狙いがジュードの血と力である以上、今後の彼らの扱いがどうなるかは――女王次第だろう。彼がこの都に留まれば、きっとまた魔族がやってくるはずだ。国を治める女王としては捨て置けないことでもある。
そこで、ウィルの視線は一度テーブルの横で腹這いになって伏せるちびへと向けられた。
ウィルがジュードと初めて出会った時、ちびは既にジュードのよき相棒だったし、一番の友達だった。しかし、ウィルは魔物によって実の家族を奪われた身、あの頃は人間が魔物と仲良くしているという事実が認められなかったし、許せなかった。そのことで出会った直後に大喧嘩になったものだ。
一方で、ルルーナは故郷の母のことを思い返していた。
彼女の本来の目的は『ジュードという名の男の子を連れてきて』という母の願いのため。そして母が探しているジュードは、間違いなく行動を共にしているあのジュードだ。
母が彼を求める理由は、彼の血や力にあるのだろうか。しかし、もしそうならいったい何のために?
ジュードを連れて帰れば父が帰ってくると言っていたが、やはり彼と父はまったく結びつかない。色々な疑問は解けたが、彼女の中にある謎は深まるばかりだった。
「とにかくさ、あのシヴァさんって人もイスキアさんって人も精霊なのよね? あれだけ強い人たちが動いてくれるんだもの、魔族のことだってきっと何とか……なるわよね」
「そうですね、あれでまだお力の半分も出されていないとのことでしたし……」
そんなふたりの意識を引き戻したのは、マナとリンファの会話だった。他にもいるだろう精霊たちがあれほどの力を持っているのなら、魔族だって手を焼くはずだ。けれど、ルルーナはテーブルに肘を置いて頬杖をつくと呆れたような面持ちで呟く。
「アンタに直接関係があるわけでもないのに、別にそうまで気にすることないんじゃないの。ジュードが心配な気持ちはわかるけどさ」
「何言ってるのよ、魔族はヴェリア大陸に現れたのよ。カミラさんの家族や友達がいるじゃない、まったく無関係とは言えないんだからね」
「――!」
マナのその言葉に、それまで黙々とデザートのプリンを口に運んでいたカミラは思わず顔を上げて彼女を見つめた。
ジュードに諭されてからというもの、彼女の中には複雑に入り組んだ感情がぐるぐると渦を巻いていた。その中でも一番強かったのが罪悪感だ。ジュードが言っていたように、彼らは疲れているのにもかかわらずカミラを助けに来てくれた。ひとりも欠けることなく。
思えば、吸血鬼と戦った後も、自分は礼の言葉を口にしていないような気がする。あの時はマナとルルーナにハッキリとした歩み寄りが見られたことに安心していたせいでもあるのだが。
「あ、あの――!」
カミラはスプーンを置くと、慌てたようにその場に立ち上がった。その拍子に椅子が後ろにひっくり返ってしまったが、今は気にしていられない。仲間の視線が自分に集まる様子に一度こそカミラは軽く怯んでしまったが、やがて意を決したように口を開いた。
「わ、わたし……魔族のことでずっと頭がいっぱいになってた。助けに来てくれたみんなにお礼も言えなくて……ごめんなさい、それから……遅くなっちゃったけど、ありがとう……」
言葉を選ぶように途切れ途切れに告げられた礼と謝罪に、ウィルたちは彼女を見つめたままぽかんと口を半開きにして暫し固まっていた。何かと冷静で心を揺さぶられることが極端に少ないリンファも例外ではなく。
そんな中、いち早く我に返ったのはやはりマナだった。シンと静まり返る空気を一変させるべく努めて明るい口調で高らかに笑い飛ばす。
「あ……あははは、何言ってるのよ、カミラさん。故郷に魔族が現れたなら誰だってそうなるわよ。むしろあたしたちの方が何か無神経なこと言わなかったかなって心配な部分もあるんだけど……」
「マナってデリカシーないからねぇ。あたしたちって一緒にしないでよ、私はマナと違って無神経なことは言わないもの」
「あんたどの口がそんなこと言ってんのよ!」
こうなってしまったら、あとはいつもの口論――もといじゃれ合いだ。すっかり空気は和気あいあいとしたものに変わっている。リンファとちびはそんなマナとルルーナを交互に見遣り、ウィルは苦笑い交じりにいつものように「まあまあ」と宥めを向けてからカミラに向き直った。
「まあ、そういうことさ。俺たちの方もカミラの事情とか気持ちとか多分気遣えてない部分もあったと思う、ごめんな。だからまあ……そんな難しく考えるなよ。マナが言ったように、故郷に魔族がいるってなったら俺だって周りが見えなくなるだろうしさ」
「前線基地の問題はある程度落ち着くでしょうし、次は魔族のことですね。私たちにできることがあるのかは不明ですが……」
「ああ、確かに……精霊たちが動いてくれるなら人間の俺たちにできることは何もなさそうなんだよなぁ。まあ、力になれることがあったらもちろん協力するよ」
つい今し方まであんなにぐるぐると罪悪感に苛まれていたのに、いざ言葉にしてしまえばあとは簡単なもので。これまで仲間たちとの間にあった見えない壁のようなものがすっかりなくなったようだった。
否――見えない壁を作り出していたのは、カミラ自身だったのだ。
みんなは魔物のことばかりで魔族のことなんて真面目に考えてくれない、薄情だ、楽観的だと、常にそんな否定的な見方ばかりしていた気さえする。
「うん……うん! ありがとう!」
ヴェリア大陸の外に魔族が現れてから――ヴェリア国王が死んだと聞かされてから、ずっと余裕がなく焦ってばかりで。この時、随分と久方振りにカミラは心から笑えたような気がした。