正体不明の変なやつ
メンフィスに起こされて食堂に集まった面々は、箱の中から取り出したそれを見て誰もが口を閉ざしていた。
マナがこっそり見た時は眠っていたように見えたその真っ白くて丸々とした生き物は、ジュードたちが集まってくる頃に目を覚まし――現在は長テーブルの上に座っている。非常にふざけた顔で。
その身は特大サイズのマシュマロのように柔らかそうだが、目と口があることからしてやはり食べ物ではなく生き物だ。瞳孔が開ききったような目と、目の中間から指二本分ほど上の位置には黄色い小さな角まで生えている。身の丈は小型犬よりもやや小さい程度。柔らそうな身の頭頂部だろう付近にはふたつの耳までついていた。
誰も何も言えないまま、その正体不明の変なやつを眺めるしかできなかった。襲ってくるような気配も様子もないが、とにかく正体がわからない。ウサギに見えなくもないが、何かが違う。それにウサギには角など生えていない。
しかし、当の変なやつはジュードたちの困惑や疑問など露知らず、短い手らしき部分を挙げると爽やかに挨拶なぞしてきた。
「はじめましてだに!」
「……」
人語を喋ったことにも驚きではあったのだが、ただでさえ正体がわからないのに奇妙な語尾までつけてくる。もう何をどこから突っ込めばいいのか、ジュードやマナはもちろんのこと、賢いウィルやルルーナにもわからなかった。むしろ賢いからこそ余計にわからなくなる。メンフィスだけは興味深そうにまじまじと眺めているが。
「言葉を喋るとは珍しい。魔物……ではなさそうだな、魔族にも見えんし」
「むっ、魔物や魔族と一緒にするなに。ライオットはこれでも立派な精霊だによ!」
「精霊だって?」
メンフィスがそう呟くと、件の未知の生物は短い足を使ってその場に立ち上がり、胸を張ってみせる。身体全体がタマゴ型のため、どこが胸でどこからが腹なのかわからないが。
続いた言葉に真っ先に反応したのはウィルだった。
誰もが当たり前のように魔法の力を使えるのは、世界全体に精霊の力が漂っているからだ。それは彼ら精霊たちの加護で、恩恵でもある。だが、その実物を見たことがある者は――身近なところには誰もいない。
ハッキリしたのは、この未知の生物が精霊であることと、ライオットという名前らしいこと。
「お前が精霊ってことは、やっぱりあのシヴァさんって人とイスキアさんも……」
この世界にいるらしい精霊の知識は、多少なりともウィルの頭には入っている。その中で特に強い力を持つ『大精霊』と呼ばれる者たちの中に、イスキアとシヴァの名前があった。そんな大精霊の名を持つ人間が偶然ふたりで旅をしているなどあまり考えられない。それにあの力。
「そうだに、シヴァもイスキアも精霊だによ。精霊は普段は表舞台に出ることはないんだに、だけど魔族が本格的に動き始めたからこうやって出てきたんだに」
「どうでもいいけど、この喋り方鬱陶しいわね」
「ひ、ひどいに!」
カエルが潰れたような声とおかしな語尾で言葉を連ねる変なやつ――もといライオットに難色を示したのはルルーナだ。胸の前で腕を組み、胡散くさいものを見るような目で見下ろす様は随分と迫力がある。ライオットは瞳孔が開いたような目を涙で潤ませながらひとつ抗議の声を上げた。そんな様子をウィルが「まあまあ」と宥める。
そんなライオットの言葉に反応したのは、今度はウィルではなくカミラだった。
「魔族……魔族が動き始めたから精霊たちが出てきたの? 魔族を倒すために?」
「そうだに、ライオットたちは今の人間たちは嫌いじゃないに、この世界を魔族から守るために精霊が動くことにしたんだによ」
「じゃあ……魔族との戦いには精霊が加勢してくれるってことでいいのか?」
今の人間たちという言葉は純粋に気になるが、取り敢えずこのライオットを筆頭に精霊たちは敵ではなく味方と考えていいのだろう。精霊は魔族が本格的に動き出したから、その魔族をどうにかするために人間たちの前に姿を現わした――ということになる。恐らくはシヴァとイスキアも。
ジュードが確認するような言葉を向けると、ライオットは依然としてふざけた顔のまま一度ジッとジュードを見返した。
「……やっぱりマスターはそういうタイプだにね、ライオットたちが思ってた通りだに」
「ま、ますたー? ジュードのこと?」
「……イスキアたちはそこの説明はしてないのに? 困ったやつらだに……」
「い、いや、オレたちがバタバタしてたから説明の時間がなかったんだと思う、……っていうか、イスキアさんも来てたんだ」
ジュードはあの魔族の襲撃の最中、ずっとイヴリースの相手をしていたためにイスキアの姿はこの都では見ていない。だが、仲間の口振りからして、彼らは会ったのだろうということだけはわかった。
気になるのは、あの時シヴァが言っていた交信という言葉と、今ライオットが口にしたマスターという呼び名。それに――
「精霊が魔族のことを知ってるなら、あいつらがなんでオレを襲ってくるのかも……知ってるのか?」
ジュードには、グラムに拾われるまでの記憶が何もない。そんな自分がどうして執拗に魔族に付け狙われるのか、不思議に思わないはずがなかった。そのせいで仲間を危険に晒すこともあったのだから。ジュードのその一言を聞いて、仲間たちの視線は改めてライオットに向けられた。
「マスターが今気になってることは……全部、血が関係してるに。魔族はマスターが持つ力がほしいんだによ」
「ジュードが持ってる力……? それに血って……」
「人ならぬ者と心を交わす精霊族の血だに。その精霊族の中で特に強い力を持つ者のことを“マスター”って呼ぶによ。隣にいるそれはウルフだにね、人に懐かない魔物がそんなふうに大人しくなってるのが……精霊族である一番の証拠だに」
魔物と戦う時にいつも決まってジュードを悩ませていた、魔物の声。なぜなのかと疑問を抱いたことは、両手の指では全然数えきれないくらいにある。
それらは自分の身体に流れる血が原因だった。