簡易料理魔法
◇◆◇
一方。
謎の空間を落下し続けていたヤギシマたちのパーティ。
————ボシュッン!
「いったっあぁっ!」
「ぐうっあ!」
どうやら、彼女たちはどこか敷き詰められた干し草のような物体の上に落下したようだ。
おかげで運よく衝撃が和らげられて一命は取り留めた。
————スポッ。
————スポッ。
ついでにヤギシマのとんがり帽子、リプニーの官帽も遅れて彼女たちの頭のうえに落ちてきて嵌った。
「いったたたたたたた」
落下に伴う激しい激痛とシビレが当然のごとくパーティメンバーの全身を襲ってくる。
運が良くても、こればかりは避けられない。
「…………うぐ」
「……にゃはう」
「あ……たたたん」
しばらく悶絶が続いて。
その後。
「……つうう、みんな無事か?」
ようやくキタムラから他のメンバーに声が掛かった。
「まぁ、ボクはなんとか」
「……わたしも。生きてますですよ」
ヤギシマとリプニーがすぐにそれに応える。
辺り一面にこだまする反響音、そしてゴツゴツとした岩壁や、3人が落ちてきた吹き抜けのそば、急激に低くなっている天井のところどころに垂れ下がった鍾乳石。
この様子から、3人は洞窟系エリアに落ちたとみられる。
「そうか。2人が無事ならよかったぜ。それにしても、ここはなんなんだろう。なんだか洞窟みたいだけど」
「そう……ですね。この反響ぐあいと周囲の石壁を見るに、洞窟のようですね。少なくとも街や人工の建物ではなさそうなのです」
「みたいだね。でも、洞窟ならば、どうしてこんなふうに藁が敷き詰めてあるんだろ。激痛から覚めて、いきなり訊くのもなんだけど」
「俺には分からんな。人工物ではないだろうけど」
「ふーむなのです」
ぼんやりとした面持ちで考えるキタムラとリプニー。
が、2人の回答を待つことなくヤギシマの疑問は解決した。
「あ、ユツキくんの足元にあるのってまさか!」
「ん、何? この茶色いボールのことか?」
「いや、それボールじゃないよ。たぶん、卵だよ! ってことは鳥の巣なのね。ここ」
彼女が指差す先には確かにいくつかの卵があった。そのうちの半数ほどはヤギシマたちが落下した際の衝撃で割れていたが、残りの卵は無事なようだった。
茶褐色の円形は市販のニワトリ卵となんら変わらない。大きさはそれよりもやや大きいが、たいした差は見受けられない。
「ほう、これ卵か」
「そうそう。たぶん異世界の洞窟に住むオオニワトリか何かの亜種だよ。こいつの巣にボクたちは偶然にも落下して助かったんじゃないかな……、っていうきわめて楽観的な見方をしてみる」
「んー。なるほどーなのです」
「ほう、面白い意見だな。どれどれ」
キタムラは身をかがめると、無事な卵のひとつを手に取って眺めてみた。
————ぐうう〜っ。
途端に、3人のお腹が鳴る。
ヤギシマ、キタムラ、リプニーはそれぞれ朝から何も食べていなかったことを思い出す。
「あの……」
リプニーはごくっと生唾を飲み込んだ。
「ああ」
キタムラも同じだ。
「え……。2人ともまさか? ううう。怖いなぁ。でも仕方ない」
こうなれば、それぞれ意見は聞くまでもなかった。
「「簡易料理魔法を使おう」」
誰からも、異論は出なかった。
さて、簡易料理魔法。
これは異世界などに、調理器具や食器を召喚して炎で食材を加熱調理する魔法である。この魔法は補助的ではあるが、異世界で旅をする際にはよく利用されるスタンダードなものであり、ゆとり魔法使いでも比較的簡単に詠唱できることから重宝されている。なお、上級魔法使いともなれば、フルコースに近い料理を一人で作り出すことも理論上は可能とされている。
「いざ魔法書を使役せん」
ヤギシマは、持参していた魔法書を取り出して前方にかざす。
すると、またたくまに3人の面前には巨大スクリーンのように魔法書のページが投影され、大きく映し出された。
「料理魔法」
ゆとり魔法使いの問いかけに反応して、パラパラと一瞬にしてページが切り替わる。
「じゃあ、さっそく翻訳をさせていただきますですー」
リプニーは画面をまじまじと見つめる。そして、「ふむふむ」と納得したように頷くと、手にした翻訳用の羽ペンを振るっていく。
緻密な筆先が魔法書の不明瞭な言語を、現代風に翻訳して書き出していく。それは一瞬で終わったようにすら見えた。
「じゃあ、校閲お願いしますなのです」
「ああ」
キタムラは自分の面前スクリーンに現れた翻訳言語に含まれる誤字脱字と内容の誤りを素早く校閲用の赤ペンで校閲・訂正していく。
『何時がウオツカをメーンに晩酌をするぞとき、気を利かせたフレンチメードが酒の肴を持ってきてくれたら有難いことかのごとし。ヴァイオリン弾いて待て。料理魔法はいま現実になるぞよ。バイス・シュバルツ』(今日の料理魔法・校閲前)
「えーと。何時っていうのはまず変だよな。辻褄がまるで合わない。これは、とりあえず汝に直しておいた。こちらのほうが俺としてはしっくりくる。あとの文章は原文自体にあまり意味が無いみたいだから訳わからん部分もあるけど校閲ルールに従ったらこれで大丈夫のはず。メイ、一応は校閲済んだものをモニターに反映したから詠唱してみてくれないか」
「了解!」
キタムラの言葉をうけたヤギシマは青年が校閲したばかりの「魔法言語」をモニターごしに早口で読み上げた。
「えーと。汝がウォッカをメインに晩酌をするときには気を利かせたフレンチメイドが酒のさかなを持ってきてくれたらありがたいこと、かのごとし。バイオリンを弾いて待て。料理魔法はいま現実になりますよ! バイス・シュバルツ! ……いけるかな? えいっ!」
魔法詠唱を終えたヤギシマは、キタムラから受け取った卵を上空へ、ひょいっと高く放り投げてみた。
すると、何もなかった空間に、突如としてフライパンとフライ返しが出現。
殻が割れて、フライパンの中に落ちた卵をいとも簡単に砂糖入りのスクランブルエッグに変えて、そのまま消えた。
残ったのはスクランブルエッグにスプーンの入った皿が3人分だけ。
「どうやら、一発で成功したようだな」
「ラッキーなのですよ」
「まぁ、難易度は低かったからね。それにしてもよかったー。この分だと心配はいらなさそうだよ。ありがとう」
2人の仕事ぶりを間近で初めて見たヤギシマは、ほっと胸をなでおろしていた。
「まず誰からいくんだ?」
キタムラがそう言ったのもつかの間。
「じゃあ、わたしが毒見してみてやるのです」
一足先に、リプニーが自分の前に現れたスクランブルエッグの皿を取る。
「お、意外といけるのです」
彼女はそのままガツガツと皿にスプーンを突っ込み、食事をすすめていく。
どうやら普通のいり卵と比べて、大した味の違いはないようだ。
「なんか、ボクももう我慢の限界。食べる!」
「同じく」
この様子を見て安心したヤギシマとキタムラもそれぞれスクランブルエッグを食べ始めることにした。
そして、あっという間に3人分のスクランブルエッグは跡形もなく消えた。
「あー。美味しかった。ごちそうさまって感じだよ」
ヤギシマがパチンと指を鳴らすと同時に食器類は、ぼわんという音をたてて消滅。
一応、食器の消滅まで『料理魔法』には含まれているのだ。
さて、そんなこんなで腹ごしらえを済ませた3人はキタムラが魔法瓶に入れて持参してきた麦茶を紙コップに注ぐと、食後の一杯を楽しんでいた。
「あー。やっぱりお茶は麦茶に限るよなぁー」
「なのです。麦茶は人類の宝なのです。大英サンジェルマン帝国にいた時までは冷たい紅茶が多かったんですけど、もはやいまのわたしは麦茶一色なのです」
「きみ、意外と話が分かるやつだな。異国人とは思えない。メイもそう思うだろう?」
「……う、うん」
「ん、どうしましたですか、メイさん? 顔色がよくないのですよ。麦茶の精霊でもいましたですかー? なんちゃって。てへぺろ」
「いや、そんなのはいないんだけどね。いまちょっと状況がやばそうなの……敵の気配が……するの」
「えっ……」
「そう……なんだよね。言いたくはないけど、モンスターさんのご登場みたいで。は、はは」
麦茶をその場に置いてさっと戦闘態勢に入ったヤギシマは視線をさっきまでは何もなかったはずの右奥、巨岩の上へと向けた。
当然、リプニーとキタムラもそちらへと目をやる。
「あ……」
途端に、2人の手から紙コップが落ちる。
————そう、先ほどまで何もなかったそこには一羽の巨大な怪鳥が姿を現していたのだ。