終焉のカウントダウン
カチ、カチ。
「……10」
そう、極度のダメージを受けた魔道兵器(擬人化)は己の意志とは無関係に終焉へのカウントダウンをスタートさせていた。
『10』の数字がニャラハンやヤギシマたちの耳に飛び込むのと同時に、一瞬にして空気が凍りつく。
これまでにおいて最悪の惨事の前触れともいえる光景だった。
その場にいた全員が何よりも優先して対処すべき、この事態を一瞬で把握する。
「くっ」
キタムラはぎりぎりとやるせなく奥歯を噛んだ。
もし、グリモワが次に唱える呪文の発動を許せばその先に待つのは……まさしく要塞都市全体を巻き込んだ大爆発のはず。
「……はぁ、はぁ」
斬撃波のダメージを受けて倒れたままの魔道兵器(擬人化)はほっそりとした腹部を激しく上下させて空気を吸い込んでいた。
そして小さな白い手で首から下げていた懐中時計ペンダントを握っている。
彼女の表情はといえば、乱れた青髪が覆っていて全く窺うことができない。
カチ、カチ。
「……9」
カウントダウンは続いている。
「う……、嘘だろう」
ニャラハンがうめいた。
「お、おい。グリモワ、貴様……まさか。まさか」
彼の表情に先ほどまでの余裕はもはやない。
それどころか一気に血の気が引いていっているようだ。
一方、キタムラやリプニーも魔道兵器の異様な様子に気が付いていたが、もはや手遅れ。
なすすべがなかった。
これが噂に聞いていた魔道兵器、最凶の秘術。
グリモワを制作した、リッフェルト辺境地の魔道職人リリ・グレシャムでさえもこの秘術の発動に関してはあまりに消極的な姿勢を見せたという、いわくつきの自爆系魔法『ツングースカ』。
もし、一度でもこれの発動を許せば少なくとも半径約1000メートル以上の規模が跡形もなく吹き飛ぶ大爆発の……忌まわしき呪文だった。
カチ、カチ。
「……8」
仰向け状態のグリモワが無感動なカウント『8』を虚空に向けて吐きだす。
「これが、ポアンの言っていた危惧すべき事柄……か。半径約1000メートル規模が跡形もなく吹き飛ぶあれ……だよな。やっちまったな、ニャラハン。俺たちは、おまえや周辺住民も含めてみんな終わった。終わったんだよ。ああ……、信じられねえ」
「そ、そんな。僕が。僕が。僕が悪いのかよ? 嘘だろ。嘘だろ。なぁ、嘘だって言えよ」
事の大きさと自らの作戦失敗を悟ったニャラハンは剣を鞘に納めると、力なくその場に座り込んで涙ながらに訴える。
しかし、いまさら何を言ったところで意味はない。
破滅へのカウントダウンのみがこの状況を支配し続けている。
「ぼ、僕としたことが……。あああああああああああああああっ。頼む、すまなかった。あああああああ。ただ、僕は。自分の正義を、いま思えばそんなものを信じていただけで。死にたくない。嫌だ!」
キタムラは、ニャラハンがこれ以上の戦闘は無意味だと判断し降伏するのを認めた。
だが、その英断はあまりに遅すぎたといえる。
いまや、無力なニャラハンはそのまま路肩に倒れ込むことしかできない。
あげく恐怖で頭を抱えて震えている。
「ニャラハン、てめえは実に愚かだ。でも俺だって死にたくねぇよ……。だが、もう無理みたいだ……。間に合わん。ちくしょう!」
キタムラはもはや迫りくる死の恐怖だけではなく、多種多様な感情があふれ出すのを実感して叫んだ。
「これは……、もう無理みたいですね。でも、わたし、今まで楽しかったです。鳥かごを飛び出した冒険ってこんなに素晴らしいんだなって……ひく、ついぞ最近、知りました。そして最高の仲間たちにも巡り会えた……。でも、残念です。どうしようもないだけにどうにか運命に抗いたかったですけれど……ひく、うああああああっ、ひく!」
リプニーの声には嗚咽がまじっていた。
殆ど諦めているようだった。
いつも事態を快方へと向かわせてくれる彼女特有の明快さは今、まったく感じられない。
「……5」
破滅へのカウントはこれ以上、猶予を許さない段階まで進んでいた。
キタムラが上空を見上げれば、冷たい機械仕掛けの要塞がこちらを見下ろして笑っているようにすら見えた。
畜生が。
だが、グリモワの『ツングースカ』が発動すれば要塞もただじゃすまないだろう。
……意図的な考えが何故か彼の脳裏を横切って消えた。
ほんの僅かな冷静さはキタムラの中に残っているのかもしれない。
しかし、仮に冷静な頭でもそれだけでは無意味だ。
事態が事態なのはもちろんのことだが、まず瓦礫落下のダメージで体に力が思うように入らない。
カチ、カチ。
「……3」
カチ、カチ。
「……2」
グリモワが滅びの唄を歌うたびに、刻々と無慈悲にカウントが刻まれていく。
自爆呪文『ツングースカ』の発動を許せばもれなく、全員があの世行きなのは理解している。
だけど、この状況でどうしろと?
カチ、カチ。
もうだめだ。
魔法文学校の卒業、それからの校閲認定試験への合格。
おかげで、出会った。
ヤギシマメイに。
リプニー・ワグナーに。
異世界クエスト係員のポアン・セッターに。
ミラクルスタッフレベル99に。
魔法食いのグリモワに。
個性豊かな仲間たちに。
キタムラの頭の中ではさまざまな思い出や出会いの記憶が蘇り、走馬灯のごとく駆け抜けていた。
「ありがとな」
そして、校閲キタムラユツキはそんなありきたりな感謝の言葉を最後にしてそっと目を閉じた。
カチ、カチ。
「……1」
カチ、カチ
「……0」
終焉がいま、ありとあらゆる全てを飲み込まんとばかりに、目の前で恐ろしく強大な口を開ける。
もうダメだ。
————そんな刹那に響くのは救いの唄。
「我が英知を結集した神聖なる呪文よ、いま現実となるべく三度唱えよう……ハイリヒ、ハイリヒ……ハイリヒ」
それは確かにヤギシマの声だった。
ゆとり魔法使いで、魔法文字も読めなければ。翻訳も校閲もできないはずの文盲なヤギシマの透き通った声。
それが都市全体に共鳴してブルブルと震わせていた。
……最後の刹那に、ヤギシマメイは目の前にあった魔法書のページにおいて偶然見つけた『最上級クラスの神聖なる呪文』をたった一人で読破し、おまけに詠唱していたようだ。
昇格への野心、いや、それ以上に仲間たちへの信頼というものがもたらした、覚醒……だった。
まさしく最大のピンチに置かれたことよってヤギシマのそれまで眠っていた、魔法使いの才能が奇跡的に花開いたのである。
————カチ、カッ……。
「……停止」
グリモワのカウントダウンは、よもやの寸前、ついに停止した。




