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不鮮明な死神

いつのまにか天には暗雲が立ち込め始めている。

 もはや戦いは避けられそうにない。

 とうとうニャラハンは一撃必殺の呪文を唱えた。戦闘開始の合図。

「いくら説明しても分からない愚か者たちに滅びの呪文を捧げよう。……ドンナー・シュラーク」

 この言葉に共鳴するかのように暗雲の中からは青白い光が姿をのぞかせて、バチバチと威嚇するかのごとくはじけた。

 終焉。

 そんな言葉がいまの状況にはよく似合う。

「……へぇ。いきなり雷撃魔法か。伝説の杖を素材にしただけあって機動性があるな」

 グリモワは無表情のまま、上空を包み込む暗黒に手をかざした。

 それとほぼ同時。

 

 ——ババババ、バチ!


 暗雲よりの電光が刹那のうちに4人の身に襲い掛かった。

「うわっ」

 あまりにスピードが早すぎて、ヤギシマ、キタムラ、リプニーは戦闘態勢どころかその場になんとか伏せることしかできない。

 だが、それは雷鳴を響かせこそすれ、恐るべき一撃必殺の衝撃を4人に届けることはなかった。

 その前に、グリモワのかざした右手によって雷撃は吸収されていったのだ。

「……いただきます」

 グリモワはもぐもぐ、と美味しそうに右手から体内に接種した魔法を頬張る。

 ニャラハン渾身の雷撃魔法はこうしてあっさりと無に帰した。

「ごっくごく」

 当のグリモワが平然とそれを飲み干して、ふぅあっと嘆息する頃。

 身を伏せていたキタムラ、ヤギシマ、リプニーが恐る恐る顔をあげてグリモワにこれを尋ねる。

「グリモワ。おまえ。あいつの魔法を」

「まさか……。嘘みたいなのです。信じられません!」

「さっきの魔法を食べたの!? す、すごい」

 対してグリモワは悠然とした様子でえっへんと胸を張り述べた。

「……そうだよ。だから魔法食いっていうのさ。グリに魔法は一部の属性を除いて効果はないのだ」

「こ、これが魔法食いの異能!」

 ヤギシマは驚嘆のあまり目を丸くした。

 どうやらグリモワは、ヤギシマ一行が想像する以上の異能持ちだったようだ。

「ぐぬぅ! ドンナー・シュラーク」

 再びニャラハンの雷撃呪文詠唱が響く。

 剣が天に向けて掲げられると第二の雷撃魔法が降り注ぐ。

「だから無駄だと……」

 グリモワは呆れたようにニャラハンにむかって通告する。


 ——ババババ、バチ!


 しかし、それはもはや4人を対象としたものではなかった。

 鋭い発光からの雷撃により、パーティメンバーをのぞく路地にいた人々がドサドサとドミノのようにその場に卒倒していく。

 訝しげに騒動の様子を見守っていた要塞都市の野次馬たちも、いまは意識をなくして石畳の路上に伏していた。

「野次馬どもは寝ていろ」

 ニャラハンは苦虫を食いつぶしたような口調でそう吐き捨てた。

 どうやら、単なる無差別攻撃というわけではなく、騒ぎがやたらと拡大して要塞からの援軍が呼ばれるのを危惧したようだ。

 だが、これだけの騒ぎを起こせば、どのみち要塞本部のほうに連絡がいくのは免れない。効果があるすればそれが早いか遅いかの違いだけだろう。

「ほう、なるほどな」

 グリモワは状況を把握して息を吐いた。

 ニャラハン自身も、早めにグリモワを始末もしくは誘拐してここを発つなりしなければ面倒なことになるはず。

 やがて、彼は雷撃による魔法攻撃を諦めた。

「仕方あるまい」

 ニャラハンは少し残念そうな表情で天を仰ぐ。

 その後、彼は隙のない騎士のように剣を構え直すと、ふっと奇妙な歩調で横に歩きはじめたではないか。

 流れるようなステップは敵をかく乱するだけでなく足音を消す。もちろん、それは熟練の人並み外れた戦闘スキルを持つ能力者のみが成せる技である。

「わざわざ、このような外法を僕が使うことになるとはな。……魔法剣士の誇りもあったものではない。貴様はさすがだよ、グリモワ。だが、今度こそ終わりにさせてもらおう。不鮮明な死はどこからともなく訪れる。……クラール・ハイト」

 彼がそんな謎の呪文を詠唱し終える時。

 ニャラハンの身体は少しずつ不鮮明になり、背面の光景が透けてみえていた。

 ほどなく、彼は透明な空気と一体化してその場から消えた。

「き、消えたぞ! ニャラハンが消えた!」

「まずいのです。このままではあいつに狙い撃ちにされちゃいますよ」

 キタムラやリプニーは周囲を慌てて見渡したが、もはやニャラハンの影すら見当たらない。

 ……本当に消えたようだ。

 さて、一般的な視点で見れば先ほどの呪文は上級魔法使いの『無色化魔法』と同等か、あるいはそれを凌駕する水準にあるといえた。

 このような系統の呪文の場合、通常は自分を透明化させるのが関の山だ。

 しかし、ニャラハンはそれどころか、己の装備や足音まで消滅させてみせた。これこそが彼の唱えた呪文の異質さを際立たせている点だろう。

 もはや畏怖の念すら越えて、それは驚嘆に値する。

 だが、彼の場合は本人というよりは、すさまじい異能を誇ったミラクルスタッフレベル99の功績だと言った方が正しいのかもしれない。

 現在、青年は影すらなき魔物に姿を変えている。このままでは対処の術はなきに等しい。

 しかし、あくまでも一般的な視点でみれば……ということだ。

 今回は少し事情が違う。

 殆どイレギュラー同士での戦いが続いているのだ。

「……ふーむ。なかなか面白い手でくるものだ」

 グリモワは他の3人から少し離れると、神経を集中させて辺りにルビー色の眼差しを巡らせる。

 そして五感+α。

 不鮮明な死神を確実に感知すべく己の持てる全神経を研ぎ澄ませた。


 ————ザ、ザッ。


 いま、僅かながらニャラハンの気配を第六センスでグリモワは感じる。

 しかも、それはかなり身近な距離。

 先ほどから状況を察するにニャラハンのターゲットは、グリモワ一人に絞られているようである。

 が、そうなれば、それは彼女にとってむしろ望む展開だった。

「……ふ、いつでも来やがれなの」

 実は魔道兵器な美少女(擬人化)は身の回りにすでに『奈落への落とし穴』を配備しており無論、敵が自分に斬りかかってきた時には、あらかじめキタムラからの校閲を済ませておいた彼女の十八番呪文『シュタールファレ』を発動させる気でいた。

 まさしく死角なし。

「……むっ!」

 そんな中。

 グリモワはルビー色の双眸をこれ以上ないほどに大きくしていた。

 

 ————ザ、ザ……ッ。


 足音が突如、向きを変えたのだ。

 そう、敵はグリモワを狙うふりをして、実は彼女を除く3人のほうを狙っていたようだ。

 殺戮の小さな足音は、グリモワのことを完全スルーして近くを過ぎ去っていった。

「……う、うううう。もうっ、やられたのん!」

 ニャラハンも何気に策士のようである。

 青年剣士にしてやられた『シュタールファレ』はやむなく消滅した。

 奈落への落とし穴は強力な一撃必殺魔法だが、敵が体重を乗せなければ発動しないという条件付きなのである。

 ついでに、それ自体にも時間制限があり制限された時間までに発動しなければ踏んでも何も起きなくなってしまう。

 もしやそんな呪文のデメリットをあやつに見抜かれたのか? 

 いや、あれに関しては見抜けるような代物ではないはず……だが。

 それはさておき。

 このままでは……、まずい。まずすぎる。

 やむなく、グリモワはキタムラたちのほうに顔を向けて叫ぶのだった。

「……そこのおまえら。死にたくないなら思い切り前に飛べ、バカっ!」

 3人は、この突然すぎる指令に戸惑うしかない。

「え、ええええ!? 飛ぶのかよっ!? ちょっ、ま、うわ」

「わ、わああああ」

「ええええ、急すぎるのですぅっ!」

 だが、思い切って3人がそろって前方に身を投げ出した、刹那。


 ———ドガッ!


 彼らのいた場所の石畳がえぐれて爆裂した。

 バラララ、と路肩に石の破片や残骸が舞い落ちてゆく中でようやくそれがニャラハンの一撃によるものだと3人は理解する。

 文字通り危機一髪。

 それほどまでにあざやかで、接近すら全く感じさせない完璧な奇襲だった。

 ひとつだけニャラハンにとって予定外なグリモワの咄嗟の指示さえなければすでに3人は再生不能なほどに切り刻まれていたことだろう。

 しかし、当然ながらニャラハンは追撃の手を休めるつもりはない。

 今度はグリモワのほうへと、すさまじい斬撃波を放った。

 ガレキの破片なども巻き込んだソレは、魔法ではなくれっきとした剣術。

 グリモワにとって、もっとも苦手とする攻撃ジャンルだ。

「……ち、このやろ」

 すぐさま、近くにあった店の壁面に身を隠そうと試みるが、斬撃波の効果はこれ以上ないほどに抜群だった。


 ————シュザ、ザザ、ザザザ、ザザザザアアアアアアアアアン!


「……わうううあっ!」

 店の壁が轟音と共に砕け散り、グリモワはか細く鳴き声をあげながら吹き飛ばされていった。

「……く、……はぅあ」

 やがて彼女の華奢な身体はキタムラたちの側にあった看板へとぶつかり、少女はその場に仰向けに倒れ込んだ。

 彼女が被っていた自慢の魔法帽子は吹っ飛び、まとっていた外套は一部がずたずたに破れ細身が露出している。

「……はぁ、はぁ。あ、あぐう」

 グリモワはそれでもなんとか立ち上がろうと試みるが、ダメージが嘘のように大きく身体に力が入らない。

「「「「グリモワっ!」」」

 彼女の様子を見た3人は信じられないという悲鳴に近い声を上げていた。

 だが、3人とて無事な状況とはいえない。

 それぞれが無理をして身体をひねったことに加えて、ガレキ落下による痛恨のダメージを受けており、その場から立ち上がることができないのだ。

 ————パサ。

 幸いにも、ヤギシマの目の前には魔法書が開かれた状態で落ちているが、これに関しても翻訳や校閲が動けない現在の状態ではほとんど意味をなさないだろう。 

 事態はなんとも後味の悪い最悪な結末へと向かっているように見えた。

「さて。そろそろ、この無色化魔法も制限時間を過ぎたようだ。終わりにしてやる」

 ふ、と無色化魔法を解除したニャラハンの姿が石畳の路上へ現れた。

 彼の右手にはやはり切れ味鋭い魔法剣が携えられており、先端は光を吸ってキラキラと輝きを放つ。


 ————カチ、カチ。


 と、何やら音がした。

 どうやら、グリモワの細身を通してのようである。

 あたかも精密機器が一定のリズムを刻むかのような、そんな音

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