馬車が田園を駆けるとき
【第5章】
太陽がさんさんと照らし、辺りがもはや十分に明るくなってきた頃。
早朝から休む間もなく歩き続けていた4人は、ついに『隠者の森』を抜けることに成功した。
さて、次に彼らの行く手に広がっていた景色。
それはある意味、別世界とも呼べるものだった。
「いやぁ。のどかだね」
「そうだな。あの薄暗い森とは大違いだ」
美しい田園と畑。そしていくらかの民家という実にのどかで牧歌的な風景。一見したところでは、それがずいぶんと遠くまで広がっているように思えた。
「……ふむ、最短ルートなだけはある。どうやらそろそろ辻馬車乗り場に着きそうなの。せっかくなので目的地付近まで乗車していくのもいい」
しばらく歩くうちにグリモワが、すっと田園の奥域にある一角を指差した。
「ふむ。……隠者の森を抜けさえすれば、まもなくで辻馬車乗り場があるのか。いまにして思えばなかなか良いルートかもしれんな」
キタムラは嬉しそうにつぶやく。
「そうですね。ここらでいったん馬車に乗り込みましょう。時は一刻を争うかもしれません故、急がねばなりません。そして、可愛い私は休まねばなりません」
リプニーはそれだけ言うと急に一同の先頭にたち、すでにその『乗り場』にむけて足早に歩き始めていた。
「あーっ。おい、ちょっと待ってよリプニー」
「……ボクと同じでこういう時は動きがやいな」
「…………分かりやすいやつだ」
残りの者たちは先急ぐ主軸翻訳の娘に置いて行かれないよう、彼女の背を慌てて追いかけたのだった。
◆◆□
「さて、なんとか乗ることができたな。とりあえずは一安心だ」
発車ぎりぎりで乗り込むことができた魔道式馬車の客席にて。
馬車特有のゆったりとした振動に揺られながら、中央席でキタムラは額の汗を「やれやれ」というふうに手の甲で拭っている。
「時刻表を見るに、もしこれに乗れなければ、この過疎地から政府要塞に行く次の魔道式馬車はとうぶん先だったはずです。非常にラッキーです。嗚呼、神に感謝なのですよ」
キタムラの左隣に座るリプニーはブレザー制服のポケットから、小さなクロスを取り出すと胸の前で十字をきる。
意外や意外、リプニーは宗教徒なのかもしれない。
少女の澄みきったような泉色の瞳は光を浴びてきらきらと輝いており、異端すぎる性格と官帽さえ無視すれば聖地巡礼の旅をする美しく愛らしき、クセッ毛の修道女に見えなくもない。
ちなみにスカートからのぞいているむっちりとした色白の太ももは、キタムラからしても十分な加点要素であろう。
「へー、リプニーはクリスチャンなんだ。面白いなー。あははは」
左端の席に座るヤギシマが、とんがり帽子を揺らして笑う。
どうやら彼女、独特な笑いのつぼがあるらしい。
「おいおい、そこ笑うとこかよ」
キタムラはそんな雇い主の方をちらりと一瞥したのち、目線を右側にそらす。
「……にゃも」
キタムラの右隣にはグリモワがいた。
右端に座る彼女は先ほどから様子変わらず眠たそうな顔で、いつの間に取り出したのか、おもちゃのキセルをぷかぷか吹かしている。まさしくキセル乗車だ。
ガタ、ゴト。
ガタ。ゴト。
一定のリズムを刻みながら揺れる客席内で。
いま、この魔道兵器は何を望み、そしてこの先に何を思うのだろう。
全く読むことができないポーカーフェイスの娘はキセルを吹かしたままそっぽを向いて、外の景色を睨みはじめた。
キタムラの視線も彼女の視線の方へと重なって、無意識のうちにそちらへと吸い寄せられている。
気付けば、森にいた時の鬱蒼とした新緑は嘘のような快晴へと姿を変えており、限りなく澄んだ青色が空一面に広がっているようだった。
加えて、時折、吹きつける涼風が体をなでるたびに非常に気持ち良い。
「…………」
この頃には。
すでに彼の中で、右側に座るグリモワの存在は透明な泡となり、雄大な景色がそれを眺める自分を包み込みはじめていた。
ゆっくりと流れ、微妙に移り変わりゆく牧歌的な自然景観の中で。
青年はしばらくの間、それに見とれて何もかもを忘れてしまう。
「ああ……」
美しく切り取られたようなこの大自然に浮かぶのは。
美しい田園風景や。
別の田園風景や。
これまた違う田園風景や。
……こちらをじぃーっと物言いたげに見つめるグリモワや。
静かなる田園風景や。
さらなる心地よさを演出する田園風景だった。
「っておい、おい、おい!」
それまで美しい田園風景に完膚なきまでに心奪われていたキタムラは、あまりにも不意打ちなグリモワのこのボケに思わずつっこんだ。
「うん? どーしたキタムラ」
当のグリモワは、キセルをくわえたまま拍子抜けしたように首を傾げている。どうやら本人にはボケたつもりはないらしい。
「どーした、じゃないよ! 田園風景の地の文! 語りのところでいきなり混じってきたから、びっくりしたじゃないかよ」
「……キタムラ。ここまできてメタネタはよせ?」
しかし、グリモワは特に悪びれることもない。
キタムラを殆どスルーする形のまま、おもちゃのキセルで新たなシャボン玉を造りだそうと、再び前をむいて息を吹くだけである。
「やれやれ」
それを見てキタムラは苦笑した。
そう。元はといえば、この少女は強力な魔道書や特殊な術式が施されたハンドブックを大量に詰め込んだ特殊金属製の移動書架。辺境の土地に住む職人リリ・グレシャムに世界魔法政府が委託して長い時間をかけて作成させたいわゆる魔道兵器なのだ。
キタムラは彼女の性格がずいぶんと偏屈で変わっているのはある種の個性だととらえることができるようになってきたし、出会ったばかりの頃とは違い、いまやこの魔導兵器擬人化娘の気まぐれな本質を知っているので、彼はそのマイペースを黙認するどころか、彼女の性格を愛おしいとすら感じるようになっていた。
「ふ、仕方ない」
ガタ。ゴト。
ガタ。ガタ。
相変わらず一定の間隔で揺れる客室内。
先ほど、この幼女によって作り出されたシャボン玉はこの揺れの中においても、ふわり、ふわりと静かな抵抗を続けていたが、そのうちついに弾けた。
短い生涯を終えたのである。
「あっ!」
と、同時にグリモワは何かを閃いたかのような瑞々しい声を上げていた。
少女の瞳は驚いたように丸く見開かれる。
「なぁ、グリモワ。シャボン玉が壊れただけだ。別にそんなに驚かなくても新作をつくればいいじゃないか」
キタムラは笑いながら彼女の肩をぽんぽんと叩いて、いたわりの言葉を掛ける。
しかし。
「……謎はすべて解けた」
一定の間隔で揺れる客席内。
唇に指を当てたグリモワ。
彼女は聞きとれないくらい小さな声で、確かにそうつぶやいた。
「え!?」
やがて、彼女は隣にいるキタムラを軽く手招きして呼び寄せる。
「……の答えがわかった。耳かして」
「ああ」
少女は顔色一つ変えずに、ずっと別の世界で考え続けていたその『心理変化』をキタムラに耳打ちでごにょ、ごにょと伝えた。
「……そ、そういうことだったのか」
少女たちの裏に隠された紛れもない初恋の心。
グリモワの推測により、それを知ることになったキタムラの表情には明らかな驚きが走っていた。
ふ、と青年が照れたように左端に目線をやれば。
「……くぅ。……くぅ」
いつの間にか、先ほどまで大きな声をあげて笑っていたヤギシマは、すやすやと聖女のように静かな寝息を立てて眠ってしまっていた。
彼女の口から直接聞くことはなかったが、おそらくは森での戦闘による疲れが相当程度に溜まっていたのだろう。
「ふむ……」
最初はすぐにその恋心についての真相を聞きたいと思ったキタムラだったが、彼女の純粋無垢な寝顔を見ているうちに思いとどまる。
「もっと、伝えるにふさわしいときがあるのかもな」
ガタ。ゴト。
ガタ。タタン。
彼らを乗せた魔道式馬車は少しずつではあるものの、田園を抜けて目的地へと近づこうとしているようだ。
「しかしいい景色だ」
キタムラはしばらくそのような田園の境界を見つめて




