麦茶と狙撃手
◆◇◆
さて、相変わらずなキタムラのおかげで、つかの間の安堵が訪れ。
それぞれが一息をついて、顔にも穏やかさが戻った頃。
「軽く休むか」
やがて、4人は近くの木に背をもたれて座る。
キタムラは座っているメンバーたちのそばに行き、持参していた水筒から麦茶を紙コップに注いで差し出した。
「みんな喉が乾いているだろ。飲むといい。食い物はないが、麦茶をたくさん沸かして水筒に入れてきていた。だから麦茶だけは無限にあるぜ」
「ふ、用意がいいのん」
グリモワはもらった紙コップに口をつけて麦茶を飲む。
ごくっ、ごくと細い喉が上下して。
「ぷはぁ」
すぐに麦茶はなくなった。
それなりに喉が渇いていたらしい。
「ユツキくん」
次に彼の名を呼ぶのはヤギシマだ。
「ボクのぶんをもう一杯」
「いるのかい?」
ヤギシマはこくこく、と頷き、マントに包まれた華奢な身体を彼にすり寄せた。
「……すり……すり。なんてね」
「どーぞ。お嬢様」
青年はヤギシマにも麦茶の入った紙コップを手渡す。
「ありがと」
くぴっ、くぴと麦茶がヤギシマの喉を通る音。
その近くで。
「……にゃーふ」
いまでは貴重な一杯をすぐさま飲み干すと、グリモワは目を閉じて奇妙なため息をついた。
「さて、俺もいただくとする」
グリモワやリプニー、ヤギシマの満足そうな表情を確認したキタムラは、自分のぶんの麦茶を紙コップへと注いでいく。
そんな矢先。
ガシャッ。
ジャキッ。
茂みから突如として、まるで何かを手入れするかのような不自然な音がした。
「むっ!」
得体のしれぬ気配。
状況は一変した。
すぐさま4人は立ち上がると、緊張した面持ちで樹木と樹木の間、完全な闇をにらんだ。
「…………」
すると不自然な音は、ぴたりと鳴り止んだではないか。
明らかに自然や動物が発生させた音ではない。
「…………」
静寂が場を支配する。
相も変わらず、グリモワは淡い瞳でじっと新緑をにらみ続けている。
「お、おい」
キタムラは彼女に声をかけようとするが。
「……あとにして」
片手で制されてしまった。
「とりあえず。奥に一人、ですか。ふむ」
リプニーが短く言った。
そして、翻訳ハンドブックを取り出す。
「…………」
張りつめた空気を感じて、固まる4人。
キタムラとしては他の3人に一度話しかけて詳しく状況を把握したいが、周囲から放たれる禍々しいほどの殺気にもはや言葉は出ない。
先ほどまでと比べれば、ガラリと一変した状況に、キタムラは喉の渇きを覚えた。
手にしているコップの中の麦茶を少しだけ口に含んで、残りはその場に捨てる。
ついでに横目でグリモワを一瞥。
「………かり………かり」
彼女はのんびりと眠たそうな顔で自分の親指の爪をしゃぶっていた。
おそらく、状況が変化しつつある現在ですら多少の余裕があるらしい。
だめだ、こいつ。
万が一、プロの暗殺者が潜んでいたら、この隙だらけの戦闘スタイルはかっこうの餌食だ。だが、戦闘力はピカイチとみる。最悪の場合はここに置いていくしかないのか。
森にひそむプレイヤーキラーの間ではすでに情報が裏取引されている可能性もあった。
おそらく、正体不明の潜伏相手は、彼らがグリモワと会話していた場面を偶然にも目撃したに違いないのだ。
だとすれば。
敵の狙いがこのグリモワならば。
悪いが背に腹は……代えられないかもしれない。それこそ旅に出た以上、ヤギシマに迷惑はかけられない。
青年の頭に、最悪の場合における脱出シナリオが先を見越して浮かんでいた。
その時。
「……光の短剣よ、悪しき者を殲滅せよ。クーゲルシュライヴァー」
ザシュッ、ザシュッ!
短く、藪を切り裂く音。グリモワがすでに詠唱を終えていた。
傍の3人の目には、それはよく見えなかった。
だが、グリモワの放ったの光の短剣は確実に相手の居所をとらえていたらしい。
「いぎゃああああああああああああっ!」
人間の声。
それも、男のものと思われる絶叫が響いた。
「あっ、あああああ。どうしてわかったんだああああああああ」
樹木の間が激しく動き、暗闇だった場所から一人の男がごろごろと転がってきた。
安物の防護チョッキを着て、頭に傭兵が使うメットを被った中肉中背で薄い顔の男だった。離れたところには、男のものと見られる近距離用の魔道式リヴォルバーが一丁落ちている。
さすがに危ない。間一髪だ。
どうやら、敵はこちらを狙撃する前に、光の短剣で手痛くやられたらしく、おかしな方向に折れた右腕を抑えてのたうちまわっている。
グリモワは自分の足元近くに転がってきた男に対して、人間ではなく異物を見るような、ぞっとするほど冷たい視線を落としていた。
「ああああ。つううううう。うああああああああああ」
男はそのまましばらく、のたうち回り続けた。
待つこと、しばし。
少し痛みが引いてきたのだろう。男の動きが鈍くなった。
それを見たグリモワは、ガッ、と男の身体の上に、軍靴に包まれた右足を乗せて、冷静に聞いた。
「……何者? 見たところプレイヤーキラーのようだけれどさ」
これに対して男は。
「なんのことだ?」
だんまりを決め込むつもりのようだ。
だが、それはこの後に続くグリモワからの拷問の前に意味をなさなかった。
「……ほう、とぼけるつもりなんだな。なら楽しませてもらうのん」
グリモワの口元に氷のように冷たい悪魔の微笑が浮かんだ。
呪文を再詠唱。
「……えーと。クーゲルシュライヴァー。テイク2」
バキ。
ボキ。
ドゴドゴ。
ドッシャアアン。
はい完了、といったところか。
「ひいゃああああああああああああああああああああああああす」
男の叫び声は長かった。
「……そろそろ話す?」
本領を発揮したグリモワが聞く。
「話します、話しますううううううう」
男は狂ったように首を縦に振りまくっていた。
「…………」
グリモワはしばらくそれを無言で眺めていたが、やがて微笑した。
これが悪魔の姿なのか。
キタムラたちは、そんなことを思う。
「俺は……ただの…………プレイヤーキラー……だ。ああ、アンチのやつらに……街で声を」
さすがに諦めたのだろう。男が口を開いてグリモワに何かを言おうとする。
だが残念なことに、男の声がかすれているせいでよく聞き取れない。
僅かに聞き取れた『アンチ』や『プレイヤーキラー』という単語から、男がどうやら単独犯ではなさそうなこと、反政府側のさしがねで4人を狙撃しようとしていたということは容易に推測できる。
しかし、それだけでは不十分らしい。
「……グリは耳が悪くてよく聞こえないのん。貴様は具体的にはどこの誰に送り込まれた刺客なのかな?」
グリモワは珍しく声を荒げて苛立っていた。
そして。
「この……雑魚っ! もういいのん」
冷たい目で、足元の男をじっと見下ろした、かとおもうと。
次には再び、ささやかなる詠唱を開始したではないか。
……まさか。
このまま、身動きできない、この男を殺すつもりなのか!?
それは、さすがにまずい。
「お、おい。やめろ、グリモワ!」
キタムラは、そんな最悪の事態を想定して叫んでいた。
しかし、キタムラの忠告もむなしく、グリモワは呪文で、足元の男を防護チョッキごと空中に浮遊させ、重力を完全無視した形でやすやすと持ち上げていく。
「ふわああああああああああっ!」
ふわり、と宙に浮いた狙撃男が悲鳴をあげる。
キタムラたちの全身に、戦慄が駆けめぐっていく。
だが、グリモワは無感動な瞳で、これから起こるであろう惨劇をのんびりとマイペースに見守る。
「うわあああああ、グリモワ。それは、それだけはやめろっ! やめるんだああああああああーっ!」
キタムラは必死に無力な手をグリモワにむけて伸ばす。
しかし、彼女の表情は前髪に隠れてもはや読み取れない。
メンバーたちの視線がそれぞれ交差していった。
そんな刹那。
グリモワは、森に潜む何かを確実にとらえていた。
同時に、彼女は神業とも思える素早さで呪文詠唱。
その男の身体ごと、見えない巨大重力を振りぬく。
「ユツキくん。リプニーっ! 2人とも……伏せてえええええ!」
ヤギシマが大きく叫んでいた。
「ま、さ、か」
ハッ、として、キタムラは重心を落とす。
「わっ」
キタムラはそのまま傍らのリプニーを抱きかかえるように地面に倒れて伏せた。
——ズダダダ、ダダダダアアアアアアアアアアーーーン!
耳をつんざくように激しい狙撃音はそれと、ほぼ同時だった。
やられたっ!
と、思った時には、すでに生死は分かれていた。
——ズダダダ、ダダダダアアアアアアアアアアーーーン!
「あががががああああああああああああああああぐはんっ!」
銃声に混じって響き渡る断末魔。
グリモワによって、前方に投げられた男は四方八方から狙い撃ちにされて、蜂の巣となって茂みの中に落下した。
「……悪いね」
グリモワは片手で軽く十字をきった。
そう、彼女は敵の狙撃をあらかじめ予期し、呪文であえて人間の盾を作ったのである。
当然、それだけではない。
すでに彼女は魔道兵器としての戦争嗅覚で新たな狙撃者たちの潜伏場所を特定していた。
「「うっ、うおおーっ!」」
同胞の死体が落下したと思われる場所から数名のうめき声。
「……ふ、やはり。そこか」
にやりと唇の端を吊り上げたグリモワ。
彼女は、すかさず呪文を唱える。
そして敵兵の声が聞こえた茂みへと洗練された、光の斬撃と打撃を連続でおみまいする。
「……くたばってよし」
バシュウウウウウッ! ザンッ!
「「ぎゃわあああああああああああっ!」」
斬打撃の波により、藪が一瞬にして開けていく。
先ほどの男と、同じような装備の男たちが三人その場に転がった。
利き腕があらぬ方向を向き、白目をむいて泡を吹いている。
「や、やはり……。別の伏兵がいたのか。でも、まだいる可能性が」
キタムラは地面に突っ伏したまま、途方にくれたような表情でつぶやく。
「……ひぃ、伏兵! 伏兵なのですっ!」
彼の身体の下からごそごそと這い出したリプニーも、やまびこのようにその言葉を繰り返す。
「おそらく、さっきのやつを尋問している間に何人か援護にきたのでしょう。まだ残党はいるかもしれません」
これに、状況を悟ったヤギシマは深々とため息をついた。
「すると、状況は未だに……?」
キタムラの顔がさっと青ざめる。
「うーむ。敵は近距離用の魔道式リヴォルバーを持っているようですから油断できないのは確かです」
「おいおい。やっぱりかよ」
——ズダダダ、ダダダダアアアアアアアアアアーーーン!
新緑に紛れた狙撃手たちの次なる恐怖が4人を襲う。
「……疲れる。……古き鉄よ、壁となりたまえ。アルトアイゼン!」
しかし、グリモワには、この程度の銃撃は殆ど問題にならなかったようだ。
ジャキンッ!
パラパラ。
なぜならば、呪文詠唱により突如出現した分厚い金属製の盾がそれらの銃弾を全てはじき落としてしまったからだ。
もはや格が違う。
少ない魔法エネルギー消費から発射されている銃弾などは避ける必要なく、はじき返すことが魔道兵器には可能らしいのだ。
本当の意味で恐るべきは、敵よりもこの魔道兵器擬人化娘のほうかもしれない。
「す、すごい!」
この神業にヤギシマは思わずうなっていた。
——ズダダダ、ダダダダアアアアアアアアアアーーーン!
——ズダダダ、ダダダダアアアアアアアアアアーーーン!
——ズダダダ、ダダダダアアアアアアアアアアーーーン!
相変わらず、謎の狙撃手たちは4人に銃撃を浴びせ続けた。
だが、それらは夏の終わりの虚しいセミの鳴き声と対した違いはないようにキタムラには思われた。
ジャキンッ! パラパラ。
おそらく、狙撃手たちですら、途中から己の無力さに気づいてはいただろう。
もはや圧倒的な力の差が生まれてしまったグリモワとこれ以上、戦闘を続けても彼らには万に一つも勝ち目はない。
「……さて。片付ける」
やがて、グリモワはそんな彼らに引導を渡すことにしたらしい。
「……えーと。クーゲルシュライヴァー。テイク3」
ザシュッ!
グシュッ!
ボコ。
ドゴドゴ。
完了。
「…………やはり相手の割にグリが強すぎた、か。まぁ、致し方あるまい」
まもなく。
森が静けさを取り戻した頃。
樹木の枝には名もなき狙撃男たちが数名ぶら下がり、地面には同胞の屍(?)がミルフィーユの層のごとく積み重なっていた。
「さてさて、例の広場にまた戻ってきたようだ」
グリモワが苦笑するようにそう言った。




