表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/29

永遠と刹那の森

 ◆◇◆


 早朝。

 旅の準備を整えた一行は迷える羊の群れのように出口を求め、黙々と森の中を進んでいった。

 しかし、全く森がひらける気配はない。

 何やら奇妙だ。

 しかも、どうやら同じ場所を何度もぐるぐると回っているらしく。

 いまやって来たこの場所も。

 ……そう、明らかに、先ほどまでテントを張り野宿をしていた地点。

 その証拠に、昨晩に例の目印を付けた大木が目と鼻の先に何一つ変わらぬ様子でそびえ立っていた。

「なんでだよ」

「おかしい」

「確かに進んでいるはずなのに進んでいないのです」

 キタムラ、ヤギシマ、リプニーは緊張した面持ちで、再び足を速めてその場を抜け出す。

 ほどなく。

 それぞれの視点から辺りを見回していく。

 鬱蒼と茂った樹木はそれぞれが不気味な形をした怪物のように見えた。

 木々の隙間を足場の悪い曲がりくねった道が相も変わらず延々と続いている。

 辺りからは時折、静寂を切り裂くようにして獣や鳥の声が響き、そのたびに。

「ひゃあっ!」

 動物が苦手なのか、リプニーは声のほうへと翻訳ハンドブックを振り回していた。

 ちなみに、舗装されていない道はというと、ボコボコと窪んでいて一度、足をとられたらなかなか抜け出せそうにないことが見てとれる。

 ところどころ点在している泥ぬかるみは、きちんと訓練された馬などでないと、そのうえを跨いでいくのは難しいかもしれない。

 普段、頻繁に雨が降る隠者の森ならではの洗礼だ。

 さて。

 泥ぬかるみの類には気をつけて進んでいたはずのキタムラだが、そんな彼も、まもなく。

「うわあっ」

 ぽちゃん、という派手な音で、バランスを崩す。

「どうしたの。まさか」

「やられたよ」

 ヤギシマの心配したとおり、キタムラはぬかるんだ穴に片足をとられたらしい。

「……さっそくかい、なのです」

 リプニーからテンション低めな突っ込みが入った。

「……しかし厄介だな」

 グリモワが、ふむと顎に手を添えて目を細める。

「なにがだ?」

「……一見、落ち葉が被せてあって穴があるとはわからない。国境に近いこの辺りはかつて戦場だったともいう。だから人為的に造られた罠が未だに破壊されずに存在している場合があるの。加えて、このような鬱蒼とした深い森。傭兵や新たなプレイヤーキラーの類がいないとも限らないから、一応は注意をするにこしたことはないよ」

「ああ。俺も、当然ながら注意はしていたよ。けれど、そこに、この小説が落ちていたからさ、つい一歩進んで、ひろおうとしたら地面が割れてこのザマだ。もし、戦場だったら背後からやられて命はなかったかもね。ちなみに、これが落ちてたやつな」

 キタムラはいま拾ったばかりの、『小説』を他3人に見せて事情説明した。

「ほう、小説ですか。どれどれ」

 状況が状況だが、キタムラが持つ小説のタイトルを目にした途端に、リプニーは瞳をキラキラと輝かせていた。それも無理はない。

 それは異世界の有名作家ウィル・ホーカーが執筆した記録小説だったのだ。

 タイトルは「永遠と刹那の森」とある。

「わー。これは有名な記録書ですよ。確か、この隠者の森をモチーフにしたものです。これがどうして、ここに? あ、でも、そんなことはどうでもいいです。何かの手がかりになるかもです」

「へー。そうか。俺はあんまりこういうのは読まないんだけどさ。やっぱり脱出の手がかりになりうるのかい?」

「うーむ。私が小耳にはさんだ情報ではその小説の大半が作家ウィル・ホーカーの旅の日記で埋められているとのことです。さらに言えば、記載が難解なために、読むのが大変らしいです。暇なら読んでみてくださいまし」

「暇っていうか、ちょっとした危機なんだが今の俺は。まぁ、了解した」

 泥穴からはまっていた足をなんとか引き抜いたキタムラは、その「永遠と刹那の森」をぱらぱらとめくり速読を開始する。

 なお、これは彼が魔法文学校の学生時代に身につけた唯一といっていいほどの自慢できるスキルだ。

 ほどなく。

「おっ、これは」

 パラパラとページを軽快にめくっていたキタムラの指が止まった。

 どうやら、校閲だけに文章に粗を見つけてしまったようだ。

「あー、やっぱり本が古いからかな。共同文学通信では絶対に使えない文章が混じっているなー。まぁ、これも校閲で読みやすいように直しとくよ」

「共同文学つーしん?」

「共同文学通信っていうのは主に異世界に流通する小説の文章ルールを定めた専門機関だ。異世界に流通する小説には暗黙の文章ルールがある。それに従わないと最高に良質な内容とは言えないのさ。義務ではないけれど直しておこう」

「なるほど。ちなみにその問題部分というのは?」

 すでに小説をあらかた読み終えたらしいキタムラは、問題のページを指で押さえながらある一文を指摘した。

 その一文とは次の通りである。



『満天の夜空の下、私が森でウオツカを手にして、たき火に当たっていると、背後で空揚げを食していたフレンチメードが悲鳴をあげた。そうである。広場にあったうち最も大きな巨木がヴァイオリンのような奇声を発したのである』(ウィル・ホーカー著、永遠と刹那の森、より抜粋)

 


「ん、これのどこがいけないの? いたって普通じゃない。それに、校閲がされていない割りには整っているように思えるよ、ボクには」

 ヤギシマは納得いかない表情で首をひねる。

 それもそのはず、見たところで不自然なところなどなく、意味合いは十分に通じるからだ。

 しかし、キタムラからすれば、これは表外字(定められた魔法校閲ハンドブックの表記にない字のこと)のオンパレードにしか見えない。

「まぁ、見てなよ。そのうち分かるさ。おそらく、この作家はこの作品を書き下ろした時点でまともな校閲を雇わなかったんだろう。証拠はサインの形跡がないこと。普通は校閲済み小説に校閲者は特殊サインを挿入するのだけれど、この小説には、その校閲済みサインはどこにもない」

 ふっ、と笑ったキタムラは自分の面前にスクリーンを出してこの小説に含まれる誤字脱字と内容の誤りを素早く校閲用の赤ペンで校閲・訂正していく。

 やがて校閲ハンドブックが輝きだし、キタムラがそれに向けてかざした「永遠と刹那の森」に向かって次々と銃弾のような光を連射していく。

「わあっ」

 あまりに神秘的なまぶしさにヤギシマたちは目を閉じた。

「な」

 そして、彼女が気が付いたときに文章は次のように訂正されていた。



『夜空の下、私が森でウォッカを手にして、たき火に当たっていると、背後で唐揚げを食していたフレンチメイドが悲鳴をあげた。そうである。広場にあったうち最も大きな木がバイオリンのような奇声を発したのである』(ウィル・ホーカー著、永遠と刹那の森、より抜粋)



「り、理屈は全然わからないですが、すごいのです。よく見ると、ところどころが、ちがうーっ! これで満足?」

 間近で校閲の技を見届けたリプニーはわざとらしく感嘆してみせる。 

 それに対してキタムラは苦笑しつつも。

「理屈というほど難しいものではないがな。むしろ世界の文学、新聞などの媒体共通の原則に近い。たとえば、唐揚げ。唐揚げの『唐』という漢字は独自ルールで『とう』という読み方しか当時は利用できなかったんだ。なので『から』という字を表すために『唐』ではなく『空』という漢字で代用しながら作家は表現をしている。それがこの空揚げのルーツだよ。だが、それもいまでは版が変わったから、時代性により元に戻された。同じように『ヴァ』というカタカナも使用不可なんだ。だからそれは『バ』に書き換えてあげる必要がある。メーン、メードあたりは、メとイの連続するような場面では伸ばすという原則が存在していたんだけど、これも時代性からいまは伸ばしてない。基本的には使用できない漢字やカタカナなんかは代用の字で補うのが、この世界の正式な文章ルールだ。それはいまでも変わらない」

「……でも、どうして。そんなややこしいことを今いちいちしなきゃならんのだ?」

 少し不審な顔つきでグリモワはキタムラに聞いた。

 これに対して、彼は。

「公式の文章全体には、統一感をもたせる必要がある。世界の共通文章ルールにしたがえば、それだけ文章の集合体が美しく感じられて、消費者はそれをより楽しめる。そこに至るまでのロジックを組み立ててあげるのが、俺たち校閲の本来の仕事だ。まぁ、あんまり細かすぎるものや、校閲でさえ判断に迷うような字も存在するっちゃあ、するのだけれどね。そして、今これをしたのは単純に恰好つけたくてしたわけだよ、きみ」


「「「ズコ」」」

 キタムラの最後の言葉でその場にずっこけそうになる3人の少女たち。

 

 何はともあれ。

「なるほど。勉強になりました。くは」

 ヤギシマは、ひくっと頬を引きつらせて述べる。

 強がってはいるが、キタムラのこの調子に少し不安なのかもしれない。

 一方、キタムラはというと、いたって平気な表情だ。

「……こいつには何を言っても無駄かもな」

 グリモワがぼそっとした毒舌でその場を締めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ