奈落の落とし穴
ゲームオーバー。
そんな文字列がキタムラの頭に浮かんでいた時。
「グリモワ。きみにとってボクたちはただの駒なのか!? 兵器だけに自分以外はどうなっても平気なんだな」
「……むっ。ギャグにしても寒いな」
ヤギシマの一言に対してグリモワは少しばかり反応を示す。
「お、突っ込んでくれて、ありがとう。ちゃんと人間らしいところもあるんだね。そういう良い面をきみはわざと隠しているんじゃない。違う?」
「なっ!」
少女からの問いかけに、グリモワの頬はみるみるうちに赤く染まっていく。
「……そ、そんなことない。あと、グリは褒められたって協力しないぞ」
「じゃあ、ご褒美にナデナデしてあげるならどうかな?」
グリモワの目が丸くなる。
そして言った。
「……あ、あいつを倒したらなでてくれるのか?」
「さぁ、どうだろう。なでるかもしれない。でも、どちらにしろ、ここでボクたちが死んだらもうなでてあげられないだろ」
どうやらヤギシマはうまくグリモワのやる気を引き出すことに成功したようだ。
「……ち、仕方ないな」
グリモワは頬をじんわり染めて、諦めたようにつぶやいた。
そして決意する。
しぶしぶの戦闘準備。
——ガシャッ。ガシャッ。
ついに大剣使いがキタムラたちの目の前にやってきた。絶望と恐怖を引き連れて。
「またせたな。まずは一匹目だ!」
そして、倒れ込んだリプニーに対して大剣を突き刺さんと構える。心臓を一突きにするつもりなのだろう。
だが、それは意味のない行動だった。
「「悪しき者を冥界へと導く落とし穴。……シュタールファレ」」
ヤギシマとグリモワがそう唱えた瞬間。
「ん」
男の足元には、いつの間にかさらなる漆黒が大きく口を開けていた。
「な、な、なんだこれ」
瞬時に、プレイヤーキラーは自分の犯した過ちに気づく。
そう、それは上に立つ者を奈落へ誘う落とし穴。
決して体重を乗せてはならない代物だった。
「あ、しまった」
「……いってらっしゃい。まだ見ぬ先へ」
グリモワが無感動に言ってバイバーイと手を振ると、同時に男は恐ろしき断末魔の絶叫を上げた。
「ま、待てえええええええええ。俺は反政府の連中に金で雇われていただけ……オオオゥオオアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああ」
次に訪れるは、木々のどこか冷めたざわめき。
夜風が何事もなかったかのようにグリモワの髪を小さく揺らす。
こうして、大剣使いと呼ばれたプレイヤーキラーは奈落の底へと旅立っていった。
もはや煉獄から彼が戻ってくる見込みはなかろう。
「さようなら。招かれざるお客さん。冥土の土産は大きな剣ってところかな。さて、グリモワ。これはご褒美だよ」
ヤギシマは約束どおり帽子の上から柔らかなソフトタッチでグリモワの頭をなでなでしてやった。
これは確かにご褒美と呼ぶにふさわしい愛情表現であろう。
「……わ、わわわ、ダイレクト! 恥ずかしいぞ。ばかっ!」
ヤギシマの手によって優しくなでられているグリモワの頬は摘みたてのイチゴのように染まっていく。
「……で、でも気持ちいい。つ、続けろっ」
彼女は偽りなしに両性愛者だ。
ヤギシマになでられることによって、グリモワは不思議なほどの快感を得ていた。
だが、ゆとり魔法使いはしばらくすると、すっと魔道兵器(擬人化)の頭をなでなでするのを止めて。
「はい。今回はここまで」
もちろん、グリモワはこれに反発する。
「……ふ、ふざけるなぁっ! まだなの! まだ足りないもん。もっとして」
「じゃあ、また協力してね。グリモワの力はこれから先も必要になりそうなんだもの」
「……し、しるか。まぁ、褒美があるなら協力しないでも……ないけど、な」
「それは次のお楽しみです」
「……ううむーっ。いぢわる」
ヤギシマの言葉に、ぐうの音も出ないグリモワだった。
一方で、リプニーは。
「くう、うう。にしてもグリモワ殿……に感謝なのです。ついでに、メイさんとユツキくんにも心からお礼を」
どうやら、先の戦闘でダメージを負っていた彼女は、それほど深い傷ではなかったようで軽い痛みこそまだあるものの、なんとか小康状態にはなったようだ。
しかし、けが人ということには変わりないため、回復魔法を受けるまでは安静にする必要があるだろう。
「リプニー。いま自分で翻訳はできそうか?」
「う、うう。なんとか。……本を開くぐらいはできそうなのです。……いたた」
これに、リプニーはこくりと小さく頷いた。
「よし、では。回復魔法をさっそく発動するとしよう」
キタムラがそう言うと、彼らの前には魔法モニターが姿を現していた。
「御意になのです」
リプニーの翻訳ハンドブックとキタムラの校閲ハンドブックのページがそれぞれパラパラとめくられる。
「今日の回復魔法! えーと……グーテンモルゲンッ!」
同じ魔法でも魔法言語というものは生物遷移のように、形式や並びが数日おきに微妙に変化することがある。
だが、比較的最近のうちに唱えた呪文ならば、場合によってはこのような省略形として唱えることも可能だ。
もちろん、この場合にも翻訳と校閲はそれぞれ必要となるのだがそれは致し方あるまい。
さて、魔法の詠唱を終えた時点で、水色の淡い光の環がリプニーの全身を包み込む。
そして彼女の肉体に蓄積されていたダメージは、まるで嘘のように一気に抜けていくのだった。
「わ、わわわわわ。やっぱりすごいのです」
出血を伴っていた斬撃波による傷は一瞬である程度まで完治したらしく、傷口の包帯がひらりとその場に抜け落ちる。
「ふぅ、どうやら成功みたいだね」
リプニーが感動したようにその腕を持ち上げるのを見て、ヤギシマは「よかった」と安堵の息をつく。
これでどうにかリプニーも旅を続けられそうだ。
「さて、では」
キタムラが3人に声をかける。
「うん、そうだね」
ヤギシマは彼の次の言葉を察するように頷く。
「旅に備えて寝なおしますか」
「「そっちかい!」」
少女たちは、表向きはキタムラに突っ込みを入れておいたものの内心では確かに、彼の言うことに同感だった。
さて、一行により目印となる赤いテープが巻かれた大樹が見つめる中で、冒険者の一晩を魔物から守るたき火は、何事もなかったかのようにぱちぱちと燃え続ける。




