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魔法食いのグリモワ

「こ、これは!」

「す、すごい。成功した!?」

 キタムラ、そしてリプニーの驚嘆の声が響き渡る中で。

 

 ———目をやれば、上級魔法使いが被るようなツバの長い帽子に懐中時計のペンダント、外套、手袋、ホットパンツに黒ニーソ、膝がぎりぎり隠れるくらいの丈の軍靴という恰好をした華奢な体躯の少女が現れていた。


 年の頃は11〜2歳程だろうか。ビスクドールのような美しい顔だちに、腰まであるさらさらの青髪、ちょっと眠たそうなルビー色の目がとてもかわいらしいが、どこか気だるそうな不思議なオーラも漂わせている。

 幼い女の子は出現するなり、何故かヤギシマをじっと見つめた。

「もしや、擬人化したグリモワちゃん?」

 彼女からの問いかけに、少女は短く答える。

「……いかにも」

 こうしてヤギシマパーティに新たな仲間として、擬人化した『魔法食いのグリモワ』が加わった。

 3人は彼女を運搬するのではなく護衛する形でこれからはともに歩みを進めることになるのだろう。

「とにもかくにもよかった。これでもう引かずに済む」

 キタムラはそんなわけで労働役を解放された。

 ついでに、戦力も増えてパーティ全体としても安泰……に見えたが、それもつかの間の安堵のようで。

 グリモワに対する3人の自己紹介が終わると、間もなく。

「……もみもみ」

 グリモワはいきなり、ヤギシマの胸に手を伸ばすとぎゅっとそれを鷲づかみにして揉んでいた。

「わわわわわ、なに!?」

 ヤギシマは仰天するも、やがて。

「ふ、ふぁああああ」

 ブレザーの上からの巧みな連続攻撃(?)を受けて、その表情は恍惚なものに変わっていってしまう。

「って、おいっ!」

 だがすぐに正気に戻って、パシンと幼女の頭をはたく。

「……いたい」

 グリモワの帽子が微妙にずり落ちそうになった。

「急になにしとるんじゃい」

「……ん、いや。胸があったから」

 魔法帽子をぐいっと戻しながら、グリモワはなんの悪びれもなさそうに答えた。

「胸があったからってどんな理由だよっ。しかも、きみに関しては女子だろ!」

「……そうだけど、グリは女子が大好きだから」

「え? それってもしや」

 ヤギシマが絶句していると。

「つまりユリなのですか? グリモワ殿?」

 すぐに間に割って入ったリプニーがダイレクトな質問を投げかけた。

 こういうシーンでの彼女は単刀直入で容赦ないところがある。

「おまえ。それをいきなり聞いちゃうのか?」

 一方、キタムラは呆れ顔だ。

 対して、グリモワは乏しい表情のままで、

「……グリは両性愛者であり中性なの。だから性別にあまりこだわりはない。つまり男子も女子もどっちも好きだ。だから胸が好きなのだ。ついでに言うと、縛ったり、縛られたりも嫌いではない。それだけのことだ」

 悠然とそう述べた。

「なるほど。特殊な性別、性嗜好……だと、つまりそういうことか」

 キタムラは納得して頷く。

「この子が言うと、不思議と説得力がありますね。って、なに納得してるんですか、わたしまで!」

 リプニーも苦笑交じりだ。

 まぁ、一応、理屈は飲み『込めた』、いや飲み『込んだ』ようである。 

「でも、だからって出会って早々に胸を揉むなよ。もっと、タイミングってものがあるだろーが! ボクからすりゃ、いくら相手が美少女でもびっくりするわ!」

 だが、ヤギシマの発言はさらに納得のいくものだったから、外野たちはなんとも言えない気分に陥った。

「やれやれ」

 さて、茶番劇からのほとぼりが冷めようかという頃。

「では地図をもとにして出発するとしよう」

 ヤギシマは先ほどの喫茶で、ポアンにもらった『ユニバーサル横メルカトラー図法の異世界地図』を取り出して、それを一気に広げた。

 これはメルカトラー図法という一般的な地図投影法で作られた地図をさらに異世界標準で統一して歪みを減らし精度を上げたものだ。このユニバーサル横メルカトラー図法で書かれた地図は、円筒投影によってすべての地域角度が正しく表示される仕組みになっているうえに、どんな異世界においても応用が利くという大変な優れものである。

「ほう、よく出来てるな」

「なかなか上物ですね」

「ボク、あんまり地図の正式な見方は分からないんだけど」

「同じく俺も得意じゃない」

「わたしもなのです。まぁ、我々なりに位置把握して方角に沿って歩くくらいでいいんじゃないですかね?」

「なるほど、ところでボクはゆとりだからまず自分の今いる場所がよく分からないっていうね」

「えっ、さすがにそれはまずい……!」

 キタムラ、リプニーはヤギシマのゆとり加減にドン引きしつつも、それぞれ異世界地図を覗き込んだ。

 静寂が再び場を包みかける中。

「……ねぇねぇ」

 グリモワは不意にヤギシマのほうに近づき、彼女のマントをぎゅっぎゅと強く引っ張りだした。

「ん、どーしたの?」

 ヤギシマが不思議そうに目線を向けると、グリモワは抑揚のあまりない声で言った。

「……グリにも異世界地図を見せてほしい。あとポアンの書簡も」

「うん。いいけど」

 彼女は地図を、見ていた2人から借りるとそのままバサッとグリモワの前に広げなおしてやる。

 そのついでにクエストについての注意点や概要を事細かに記したポアン直筆の書簡も渡してやった。これに関してはまだ誰も目を通していないのだが、まぁ別に害などはないだろう。

「…………ふぅむ」

 グリモワは少し思考するように唇に指をあて、ユニバーサル横メルカトラー図法で表された広大な陸地を黙って見つめている。

 どうやら彼女は少なからずそれに関心を持っている様子。

「グリモワは地図の見方、分かるんだ?」

 ヤギシマがグリモワに尋ねた。

 それに対して少女は「……当然」、と頷いて一瞬だけ口元に笑みを浮かべた……、かと、思えば。

「……いただきます」

 グリモワはそのまま地図をはむはむ、とかじり出していた。

 その原理は全く不明だが、データ化してクッキーのように砕け散っていくユニバーサル横メルカトラー。

「あっ!」

 呆気にとられているヤギシマの前で、ユニバーサル横メルカトラーは情報粒子に姿を変えて、刹那のうちにグリモワに吸い込まれていく。

「ああああああ、ちょっと! グリモワ!?」

「な、な、な、にしてんだよ! おまえ」

「グリモワ殿っ、あんたなにやってんですかーっ!」

 これを目撃したヤギシマ、キタムラ、そしてリプニーは動揺して叫ぶが、それを完全に無視した少女は次のターゲットへと目をやる。

「……あ、ついでにこれもいただきます」

 異世界地図をまたたくまに食べ終えたグリモワ。

 彼女は、続いてポアンからの書簡を掴むとまるでピザを食べるようにして美味しそうにそれをかじった。

「……美味」

 昇格クエストについての重要事項が記された貴重な書簡は少女の特殊能力(?)によりデータ粒子化され、その華奢な身体へと吸収されていく。

「バカ、すぐに吐き出せっ!」

 動揺したキタムラは、すぐにグリモワの肩をゆすってそれを吐き出させようとした。

「……無理。食べた」

 だが、グリモワはそう言って無感動にそっぽを向いただけだ。

 もはや手遅れらしい。

「あああ、これじゃ要塞にたどり着くのは無理かもしれないな。……仕方ない。これも、この子に地図と書簡を渡したボクの責任だ。ああああああ、ボクは愚かだ」

 ヤギシマはこの状況にがっくりと肩を落として本気でうなだれ始める。

 こうなると、事態が事態だけに誰も彼女を責められないし、おまけに慰められないのだった。

 一方、当人であるグリモワは少し眠たそうなルビー色の瞳で、3人をじっと見つめて。

「……えーと。ここから政府の要塞に行くなら、隠者の森を通るのが一番早い。魔物のランクもそれほどは高くなく、突破ルートも標準的だからな」

 いま確かにそう言った。

「まさか」

 瞬時に、ある共通の考えが3人の頭をよぎる。

 ……それは、グリモワは自分が食べた異世界地図の情報や書簡の内容を、いま体内から取り出して口頭で説明しているのではないか、ということ。

「きみ、もしかして。食べた内容を取り出せるのか?」

「……データとしてはいつでも取り出せる。グリの特殊能力だ。それにグリの解説は地図を見るより、はるかに分かりやすいと思う。だから食べた。それだけのことだ」

「それなら、早く言ってよ、もう! び、びっくりしたんだからバカ」

 ヤギシマは歯切れの悪い口調で、グリモワを注意したが、もはや注意にすらなっていない。

「……ごめん。とりあえずここから先にある最初の分かれ道では右に曲がったほうがいいかもしれないな?」

 グリモワの発言を聞くかぎり、旅のルートは正確に把握しているようだ。

「じゃあ、俺たち一行をおまえの異能でこれからナビゲートしてくれるってわけか?」

 キタムラはグリモワに今一度問いかける。

「……そうだ。グリの護衛をしてもらうのだから、少しくらいは恩返しする。でも、それだけだ? あまり勘違いはしすぎるなよ?」

 そう言ったグリモワの口調には、相変わらず無機質さが漂っている。

 さて、とにもかくにも長すぎた休憩。

 そろそろ出発の時間である。

「じゃあ、グリモワの言う通り……。行くか。その最短ルートとやらで」

 キタムラは、そう言ってぐぐーっと伸びをする。

「…………」

 何故か返事がない。

「あれ、なんで」

 それもそのはず。

 その頃には彼を除いた3人はすでにかなり前方に行っていた。

「いつの間に!? 行くならちゃんと俺にも声かけろよ!」

「あ、ユツキくん。あんまり遅いと置いていくからね?」

 遠くから響いたヤギシマのそんな声につられて、「ああああ、ごめん。ちょっと、待ってくれーっ」とリュックを背に駆け出すキタムラ。

 彼らの姿がその場から消えた後。

 ジャリッ、という靴音が聞こえたかと思うと。

「ふ……、魔法食いがこんなところで見つかるとは思わなかった」

 見知らぬ男の峻厳な声が響いた。

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