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ひとつだけ  作者: 滝岡尚素
第二話 幸福な遺書
8/33

時は流れる

大幅に構成を変えました。

①からどうぞお願いいたします。

 「水原!」

 僕達は彼のアパートで、ドアチャイムを鳴らす。



 どれほどの悲しみに沈んでいるかわからない、そんな相手にどう接すればいいのか、僕にも田渕にも答えはない。それでも何かせずにはいられなかった。



 少しして、がちゃ、とドアが開けられた。

 中から出てきた、目付きの悪い男と目が合った。男を見た途端、僕は軽い驚きを覚え、ほぼ同時にその驚きを相手に悟られないように急いで飲み込んだ。



 ――こいつ……。


 僕の目の前に立っている人物は水原のはずだった。けれど、数日前の笑顔や余裕は欠片(かけら)もなくて、ただ、ぼんやりとそこに立っている。僕にはそれが、とても水原だとは思えなかった。彼の脱け殻だけが、目の前にいた。



 「み、水原……」

 恐る恐る声をかけた。管野さんは死の直前、僕に会いに行っていたのだという後ろめたさがそうさせた。



 気を落すなよ、とか、彼女のためにもお前が、とか、そんなありきたりな言葉が僕の身体を素通りしていく。



 水原は小さく口を開くと、はっきりしない抑揚でこう言った。

「――帰って、くれないか」



 ぞっとするような声だった。

 そして、僕が何か言いかける前に水原は踵を返し、僕の鼻先で乱暴にドアを閉じた。



 田渕が、僕の肩を叩いた。

 「き、気にすんな。今は混乱してんだよ――あいつだって、お前が来てくれて嬉しいんだ」


 「う、うん……」

 そう言ったものの、

 ――彼女が亡くなった駅は、僕のアパートから近い。



 水原は気付いているかもしれない。

 けれど、いま僕がそれを言ったところで何になるのだろう。


 管野さんはもう、ここにはいない。

 管野さんにはもう、誰の声も届かないのだ。


 僕がささやかな罪の(あがな)いを申し出たところで、一体誰が救われる?


 もう以前の世界ではない。一つの存在が欠けたのだ。

 目を閉じると、記憶の中の管野さんの笑顔と目があった。

 彼女と交わした会話の全てが、僕の深いところでオーバーラップする。

 ――ねえ?

 彼女に声をかけた。だが、言葉を返すべき人は、既にない。

 それなのに笑顔だけは、記憶(ここ)にあるのだ。

 僕は声を立てずに泣いた。




 けれど、彼女は一体なぜ?

 どうして彼女は婚約を発表した次の日に、僕に会おうとしたのだろう。


 僕は結局、水原に管野さんがあの日、僕に会いに来ようとしていたことは言えなかった。心のどこを探しても、その勇気は――なかった。


 そして、僕にはもう一つ黙っていることがあった。僕、管野さんが僕に会いに来る理由の答えをひとつだけ持っていた。

 けれど、それはとうてい信じられるようなものではなかったし、だいいち証明する手立てがなかった。






 言えぬ台詞を抱いたまま時が過ぎた。いつしか水原とは疎遠になっていった――あの日いらい、ろくに会話もないまま。


 四月になり、就職した僕は「現実」という日々を無理矢理にでも呑み込んで生きていかなくてはならなかった。大きな現実という塊を涙を流しながら嚥下(えんげ)して、消化されぬままに生きて、いつのまにか「過去」は「遠い過去」になり、遥か彼方の昔話となっていった。



 かつて起きたこととして、管野さんへの思いもその昔話の中へ内包された。彼女のことを思い返すたびに事故のことも同時に想起され、辛さのあまり僕は何とか忘れようとした。



 そうして、この頃のことは僕の記憶の底に埋没した。

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