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ひとつだけ  作者: 滝岡尚素
第二話 幸福な遺書
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突然

 一月六日。

 僕は親からの仕送りで借りている安アパートでぼんやりとテレビを見ていた。


 どこへ出かけるあてもなかったし、何より三日前の出来事が尾を引いていた。もう二日何も食べていないがあまり空腹を感じない。そう言えばいつからこうしてたっけ? スマホを見るともうすぐ午後六時。 


 ――もういいや。どうせ、身体を気遣う必要も、泣いてくれる人もない……。

 悲観的に、いささか自己陶酔気味にそう思った時、床に投げてあったスマホが鳴った。発信者を画面で確認するが、知らない番号。


 「はい、もしもし?」

 面倒臭そうに言う――相手はたっぷり五秒、無言だった。


 「――もしもし?」

 苛立ちを押さえずに言う――いたずら電話だったら、殺してやる。


 「……あの」

 どこか聞き覚えのある声だった。


 「……管野です。管野、はるか」

 「ええ?」

 あまりにも意外な人物に、素っ頓狂な声を出してしまった。


 「どうした――んですか?」

 落ち着け、一体何をそんなに慌てているんだ――自分に言い聞かせた。


 「会って、欲しいんです」

 「僕と?」

 「ええ」

 頭の中がゆっくりと真っ白になって行く。

 確かに彼女と僕は同じサークルだし、連絡表も作ったからこうやって電話のかかって来る可能性はゼロではない。ない、のだが、先日、水原との婚約を聞かされたばかりだ。


 「今から駄目ですか?」と管野はるか。

 「いや、けれど……」

 「大介さんのことなら、心配いりません」

 僕の心の内を、彼女は既に読んでいた。


 「……分かった、どこで?」

 諦めたようにそう言った。水原への後ろめたさを、話の用件も分からない内から感じていた。


 「ありがとう。場所は――」

 彼女はいくぶん声のトーンを上げて、ここから二つ先の駅前を指定した。





 見上げると、黒い雲が張り出していた。

 雨になる空だと思った。


 正月気分が抜けきらない人達で賑わう駅前で僕は腕時計を睨んでいた。もう指定の時間を一時間オーバーしていた。

 ため息をついた。雨になる空だ、ともう一度思った。


 ――からかったのか?

 そんなことをする人ではないとすぐに否定した。だが、その判断基準は同じ僕の中にあるだけだった。


 更に時間が過ぎた。


 ――ああもう……。

 タチの悪い、僕の管野はるかへの気持ちを知っている誰かの悪戯だ。そう言えばあの電話の声は、微妙に彼女の声とは違っていたような気がする。



 ――こんなことじゃないかと思ったんだよ……。

 ため息をまた出した。同時に、雨が落ちてくる。綺麗な女性が似付かわしくない舌打ちをして僕の側を通り過ぎた。



 ――どこかで僕を、笑っているのか?

 辺りを見回す。そしてサークルの連中の顔を一人ひとり思い出し、彼ら全員を悪罵(あくば)すると、僕は(きびす)を返した。





 管野さんが死んだことを知ったのは、一月八日だった。

 二十年近く経った今でも、その日のことはよく覚えている――その日は日曜日で、僕は朝から酒でも飲もうと思い準備していた時だった。



 こんこん。

 ドアがノックされた。

 しばらく放っておくと、更に強く、ドアが鳴った。



 「はい?」

 「俺だよ」

 くぐもった声がして、田渕(たぶち)だと分かり僕はドアを開けた。

 「どうしたんだ、来るなら電話くらい――」



 そこで僕は口篭(くちご)もってしまった。目の前に立っている田渕が何となく容易ならざるものを持っているような気がしたからだ。少なくとも、酒に酔って饒舌に喋るいつもの田渕ではなかった。


 「――まあ、上がったら?」

 そう促すと、田渕は神妙な顔つきのままで靴を脱いだ。


 「それで、何の用?」

 僕は、ビールでも出してやろうと思って冷蔵庫を開ける。


 「管野さんが」

 田渕はそれだけをまず言った。よく見ると、真っ青な顔をしていた。


 「――管野さん(かのじょ)が? どうかしたの?」

 振り返ってみると、彼はまだ部屋の中で立ったままだった。


 彼は黙って頷き、腰をおろす。

 「大変なんだ」

 「何だよ、お前らしくない。もっと分かるように説明してくれよ」

 僕は缶ビールを渡す。



 「亡くなった」

 全く予想外のその言葉を僕は危うく聞き逃しそうになった。



 「冗談――だよね?」

 笑って取り合わない僕に、田渕は目を剥いた。



 「いや、本当に……、か、管野さんが……」

 「彼女が?」

 ――何を言ってるんだ。


 僕は、まだ冗談だと思っていたから話の内容を理解しようとせずに、いつ田渕がオチを言うのかその時のリアクションだけを考え始めていた。


 「彼女が」

 いかにも悲壮な田渕の声。



 「一昨日、電車にはねられて――死んだ」

 この言葉も僕は聞き逃しそうになった。その時、僕はやっと目の前の田渕の顔が嘘を言っている顔ではないことに気が付いた。



 「そ、そんな……」

 じわじわと押し寄せてくる不吉な波を頭の隅で感じた。



 「嘘でしょ?」

 そうあってほしいから、そう言った。

 だが田渕は真剣な表情のまま。僕は思わず田渕の肩を掴んでいた。



 「な、なんで?」――上擦った声が出た。

 「わからない」

 「本当に、管野さん?」

 田渕は頷く。



 「一昨日、駅のホームから転落してやって来た電車にはねられたそうだ。事故か自殺か、今のところは分からんが、多分事故だ――そうに決まってる」



 結婚を控えていたから、と言外に臭わせた。確かにその通りだ。水原との結婚を間近にして、自殺をする理由は何処にもない――はずだ。



 その時、ふと一昨日の電話の件を思い出した――待てよ、駅?

 「駅にいたって……、じ、時間は?」

 「一月六日、午後五時半過ぎだったらしい」



 頭がわあん、と鳴った。彼女がその時間、駅にいたと言うことは……。


 ――それじゃあ、あの電話は……。

 僕は顎に手を()る。


 ――彼女だったのか。

 本当に、この部屋に電話を掛けてきたのだ。


 そうして、僕に会う前に。


 ――嘘だろ……。

 茫然となっている僕を、田渕が怪訝そうに見た。


 「おい? 大丈夫か」

 管野はるかのことを想っていた僕を知っている、田渕の問い掛け。


 「あ、うん。大丈夫」

 僕が何とかそれだけ言うと、田渕は幾分声に力を込めてこう言った。


 「水原が、メチャクチャになってるんだ。一昨日からずっと、酒浸りで」

 気持ちは分かる――僕が奴の立場だったら、それくらいでは済まない。



 「今、あいつに会えるかな?」

 僕の問いに、田渕は勢い込んで口を開いた。



 「そうなんだ。ほら、お前はあいつと仲が良かったじゃん? だから、なんとかお前に……」

 「分かった、行こう」

 僕はコートを取った。

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