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ひとつだけ  作者: 滝岡尚素
第二話 幸福な遺書
6/33

僕と水原と管野さん

ここにあったエピソードは少し繰り上がっています。

ここから新しいエピソードです。

 一月三日。

 ゆっくりと僕は地下鉄の階段を(のぼ)った。上空に口を開けている出口は電線が交錯した青い空を(たた)えている。気圧の違いで吹く風が僕のコートを容赦なく巻き上げていく。その、ひどく冷たい風に思わず頬が引きつる。



 地上に出た。相変わらず駅前は雑多で、ある意味活気に満ちている。スマホで時間を確認すると午後六時(約束の時間)をほんの少し過ぎていた。


 ――いけね。

 僕は重い足取りで歩き出した。街は、年が始まったばかりだというのにそこそこ店が開いている。子供の頃は正月休みともなれば店は殆ど閉まっていて、穏やかな空気が流れていたものだ。


 ――あぁ、行きたくない。

 僕は今、一つの予感にとらわれている。


 だから、きょう水原(みずはら)に呼び出された時、何故かいつものように気軽に返事が出来なかった。


 と言うのも、色んな場面、その時々に、「おや」と感じることが増えていたからだ。自分の周りにいる人達が、普段は取らないような行動を取ったり、絶対言わないような台詞を言ったり――そんなことが。

 「おや」が僕の中でどんどん積み重なって、首を捻ることが一日のうちにどんどん頻度を増していて。


 考えてみたら、待ち合わせ場所の居酒屋の入口をくぐる前から僕は答を知っていたんだと思う。無意識のうちに積み重なっていた疑問符を寄せ集め、体系化し、推論を立てていた。

 そうでなければあの場であんなに冷静でいられた自分を説明できない。落ちると分かっている大学の合格発表を見に行った時のように、「やっぱり」という気持ちがあった。


 「遅かったな」

 座敷に上がると、端っこに座っていた水原が声をかけてきた。

 周りには大学のサークルの知った顔が何人もいる――どうやら僕がいちばん遅れて来たようだった。

 「ごめん、起きられなくて」

 「正月だから?」

 曖昧に僕が頷くと、彼も曖昧な笑顔を返した。


 周りの人間は、捉え所のない笑顔でめいめいお喋りをしている。僕は開いている座布団に座り、きょろきょろした。


 真っ先に見付けたい顔は水原の隣にいた。彼女は、長い黒髪を後ろで束ね薄い青のワンピースを着ていた。僕と目が合うと無言で口角を上げた。これにも曖昧な笑みを返す僕。


 「改めて、紹介、したいんだ」

 水原が少しはにかむようにして口を開く。そうして、顔をゆっくりと隣の管野(かんの)はるかに向けた。僕の予感が最悪の形で――現われようとしていた。


 「三月に卒業したら結婚する」

 ヒュー、と誰かが口笛を吹き、一斉に拍手となった。


 ――やっぱり。

 心の中で「受験票」を握り潰した。受かりっこないと分かっていたからその落胆は小さなものだった。叶うはずはないと最初から分かっていたから。管野はるかがいつも誰を見ていたか知っているから。


 けれど、僕は思わず、顔をしかめ、

 「――そっか」


 ため息とともに、それだけを言った。

 「何だよ、もっと……」


 「おめでとう水原。それから、管野さん」

 水原の台詞を強引に遮る。


 それを聞いて、水原は僕をちりっと睨んだ。

 睨まれた僕は、わけが分からず水原を見た。


 「――本心、ってことでいいんだよな」

 いつもは明るい水原の声が、何故か頼りなく、か細く僕の耳に届いた。


 「え?」

 僕が問い返すと彼は何かを区切るように大きく手を打った。


 「よし、じゃあ――俺のことで悪いけど」

 「お、乾杯か?」

 誰かがそう声を出す。


 全員にビールの行き渡るあいだ、僕はずっと上の空で何もない空間を見ていた――ありもしない自分の受験番号を探すように。


 「水原大介(みずはらだいすけ)と、管野はるかさんの前途を祝して!」

 仕切るのが大好きな男がそう声を張り上げ、全員がグラスを合わせていく。


 かちん、かちん――グラスがぶつかるごとに僕の中の感情がぷちぷちと潰れていくようだった。何とも言えない悲鳴を上ながら。


 「かんぱーい」

 隣にいた女の子がそう言って僕のグラスを弾いた。


 かちん。

 ぷちっ。


 ――まあ、そりゃそうだよね……。

 自分が泣きたいのか、落ち込みたいのか、とにかくこの場だけでも冷静になろうと思った。小さなプライドだけが僕を支えた。

 あんな苦いビールを飲んだのは、その時が初めてだった。


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