胸のつかえをひとつだけ
一人の夜が堪らなく辛いことがある。
それは二十年前から変わらない。どころか、何年も経つうちにどんどん濃度を増している気さえする。
水原はベッドサイドでビールを飲んでいる。既にサイドテーブルの上には何本もの空き缶。
こんな夜はどれだけ飲んでも酔えない。
「おや、ずいぶんと飲んでいますねぇ」
いつの間にか隣に男が――座っていた。
「うお」
突然のことに、水原はベッドから転げ落ちる。
「あら、申し訳ありません」
「な、な……」
水原は立ち上がり、言葉を失っている。
男はベッドサイドから水原を見上げ、にこりとする。何故か逆らえない笑顔だった。
「あ、申し遅れました、私は――」
名乗る男。水原は聞き取れなかった。
どう言うわけか促されるまま、素直に男の隣に腰掛ける水原。
「さて、あなた、何か私を必要としていませんか?」
そう言われても何のことか分からない。
「いや俺は――別に……」
――何で素直に答えてるんだ。
だが、男を追い出せない。
「そうですか? あるでしょう? 私、必要とされているところに現れるんですから」
「……そう、言われても」
「あ、これかな?」
男の手にあったのはひどく傷んだ封筒。
「おい! どこからそれを!」
水原は色をなして男から封筒を奪おうとする。
と、男の前に見えない壁でもあるのか、水原は弾き飛ばされた。
「――返せ! その、手紙は!」
水原は投げ出された床から半身を起こし、鼻を押さえながら、叫ぶ。
「なるほどなるほど」
何が分かったのか、男はしきりに頷いている。
水原は、男を見上げる。
「ひとつだけ、あなたの胸のつかえを解消して差しあげましょう」
「――?」
「この手紙を、本来の持ち主に返しなさい。それだけでいいです」
「何だと」
「あ、妹さんがいますね? その人にでも頼むといい」
男はそう言って、水原に手紙を返した。
水原は事態が飲み込めない。だが、何故かそうすべきだと言う気もした。
はるかの死の謎を、この男が解くとでも?
男は立ち上がる。にこりとする。
「いいですね? あなたがそうすれば、きっと――」
あなたのもやもやは解消されるでしょう、と言って、
男は掻き消えた。
跡形もなく。
――なん、だったんだ……。
喘ぐように呟く、酔っていたのか? だが、手に握られた手紙は紛れもなく本物。
――本当に、あの男の言う通りにすれば?
水原はうなだれる。二十年前、とつぜん奪われた婚約者。あいつの所為だと、水原は考えた。
だがそれを、あいつに確認するのも怖くて手紙のことを誰にも話せなかった。
だが、本当に、あの男の言う通りだとすれば?
――救われるとでも言うのか? 今更。
水原は立ち上がり、ベッドに投げてあったスマホを手に取る。
依然、水原は半信半疑だ。
それでも、森村洋子に発信する。
『幸福な遺書』はこれで終了です。
なお、次回は未定です。
ありがとうございました!