怪盗と再会
「やあやあ、大きくなったね、久しぶりだね! 元気だった? 今何歳くらいなのかな? 君はどんな風に大きくなって、これからどんな風に大きくなっていくんだろうね? 残念ながら私は今追われる身でね、ゆっくりと話している暇はないんだよ。あ、君もまたあの日と同じ逃走中かな? だったら逃げるのを手伝ってあげようか? もう少し離れたところまでなら送ってあげられると思うけど」
記憶のままの怪盗イニクスは、ずいぶんとお喋りな人間だった。
「高校生になりました。夜に外を出歩いていても声をかけられない年齢に」
自分の成長を親戚でもない相手に話すのはむず痒い。
イニクスは嬉しそうに腰に手を当てて悠司の全身を何度も目で往復している。
「そっか。覚えてるよ。「もっと力を付けたら会えるかもね」……あはは、実現したのかな?」
きらりと月の光を反射するイニクスの視線を真っ向から受けても悠司の表情に変化はない。
ほとんど表情のない悠司に、イニクスは手を伸ばす。
「あの時は冗談で言ったけれど、君がここに来たということは……一緒に来るつもりと捉えていいのかな?」
その手を取れば怪盗とともに生きることになる。
泥棒ではなく、怪盗になれる。
憧れた存在と、同じになれる。
差し出された手を――取った。
「会えて嬉しいよ。俺はこの八年間ずっと、あなたに会いたくてたまらなかったから」
イニクスがほほ笑むのを見ながら、手を引く。
体勢を崩されて「おっと」と口にしながらバランスを取るイニクスに悠司は言った。
「もっと力を付けたら、捕まえるために会えるかもしれないって」
「えー……そういう意味で言ったんじゃなかったんだけどな」
困ったように笑いながらも掴まれた手を振りほどこうとはしない。触れた手の温かみが伝わってくる。
力を入れていた手に正反対の力がかかる。
イニクスが握り返してきた。
「分かった。いいよ、鬼ごっこだ。私を捕まえられるものなら、やってみて」
手を引かれてバランスを崩され、悠司は想像もしていなかった行動に慌ててバランスを取ろうとするも、先にイニクスに抱き締められた。
「はーあ。仲間ができると思ったのになあ。八年しか経ってないのにこんなに大きくなっちゃって……。時間は非情だね」
あーんなに可愛かったのに、とぐりぐり頭を撫でられる。
小さい頃はまったく意識しなかったけれど、イニクスは女性らしいボディラインをしていた。ここで言う女性らしいは昨今のアニメ等でよく見られるメリハリのあるラインを指す。
つまり、思いっきりお胸に顔がダイブしている状況なのである。
柔らかいだとか、呼吸がしづらいだとか、そういうありふれた感想もあるにはある。だが、それよりも温かみに感覚が過去に戻り、夏の風を思わせる香りがさらに加速させる。
いた。
本当にいた。
感動に似た感情に全身が支配される。
「ふう」
ふいに現実へと感覚が戻り、掴んでいたはずの手が離れていた。
イニクスと悠司の距離も開く。
「敵となったことは残念だけど、慣れているから気にしなくていいよ。敵はたくさんいるからね。けど……」
言いながらイニクスは盗んだものらしい赤い宝石についたイヤリングを取り出した。
想像していたものよりサイズの大きな一つのイヤリング。
赤い宝石は月の光を受けて色濃くきらめいている。
「大きくなった君に、これを」
「これ……って、今盗んできた?」
「そうだね。けど、私が欲しいのはこっちだから」
まさか盗んだものをそのまま返してくれるのかと思えば、イヤリングの赤い宝石部分だけを器用に取り外した。
そして、赤い宝石以外の装飾部分を投げてよこした。
金色でずしんと重みのある装飾。本当にこれを耳に付けるのか疑問に思うほどの重量がある。
「館長さんに返しておいて。あ、あとついでにこれも」
思い出したとばかりに取り出したのは白い石。これも恐らくは宝石の類なのだろう。
悠司は苦も無く受け取り、まじまじと眺める。
「展示室の入口すぐの絵の裏に隠されてたよって伝えておいてくれる?」
「どうして……」
「たまたま見つけたから。多分、そのイヤリングの本当の宝石なんじゃないかな」
じゃあよろしく、とウインクされても悠司には何が起きているのか理解が追い付かない。
「またね」
「あ、ちょっと!」
再び手を伸ばしても捕まえることはできず、イニクスは後方にステップを踏みながらそのまま姿を消した。
一人になった悠司は、イヤリングの装飾をどうするかと一瞬だけ悩んだものの、糺世に渡すことを決めて近くにいた制服警官に声をかけた。
離れたところで待たせていた海斗も呼び、糺世の車の後部座席で事情聴取されることになった。
「…………」
足を組み、腕を組んだ糺世は悠司の隣に座りながら黙り込んでいた。
上に重ねた脚には悠司がイニクスから渡されたイヤリングの装飾と見つけたという白い宝石。
車の外には指揮を執っていたという強面の刑事が睨むようにして悠司と海斗を見下ろしている。
「どうして怪盗イニクスからこれを受け取れたのかと聞いている! 赤い宝石は⁉ なぜ怪盗イニクスを捕まえなかった⁉ なぜ警察に通報しなかった⁉」
至近距離からの大声に海斗は顔をしかめているし、悠司も耳を塞ぎたくなった。
なんというか、不快感がすごい。
「なんで俺まで……」
「ごめん、乙坂」
「月館はいいんだけど……」
遠くから一部始終を見ていたからか、海斗は悠司を責めようとはしない。
悠司がイニクスを捕まえようとしたことも、逆にイニクスにいいように扱われてしまったことも、イヤリングの装飾を渡される場面も、そして警察に届け出たことも。
恐らくは一人で事情聴取を受けずに海斗を呼んだことも許されている。ただ、うるさい刑事の存在だけが不満なのだ。
細かく言えば、声も大きければ飛んでくる唾の量も多く、それがかかるから不快なのだ。
「近司馬さん、すみませんがこれを持って館長から話を聞いて来てもらえますか?」
糺世はイヤリングと宝石と近司馬という刑事に渡す。だが近司馬はすぐに受け取らなかった。
「警視、私は今この少年たちの事情聴取を……」
「事情聴取は必ずしも近司馬さんがしなければならないというものではありません」
「では警視が?」
「甥の事情聴取を私一人がするのも問題でしょう。今原さんに同席してもらいます」
「お、甥……?」
「悠司、彼がさっき言っていた新しい友達か?」
戸惑う近司馬を無視して海斗に目を向けた糺世に、悠司は静かに頷いた。
「乙坂海斗です」
小さく頭を下げた海斗に糺世も目を閉じて返した。
「兄貴が昔言っていた。一番仲の良かった友達が海外に行ってから、悠司が大人しくなったと」
「あ、あれは……!」
寂しさのあまり性格が変わったと思われていたと知って赤面する。
友達がいなくなって寂しいというのはもちろんあったが、それ以上に怪盗イニクスとの出会いに心を奪われていた。
説明すると恥ずかしい言葉の羅列になるので話せないが、糺世は尋ねなかった。
「乙坂くんだったか。家はこの街の外だと聞いた。家まで送ろう」
「え、いいんですか? 事情聴取は……」
「君は遠くから見ていただけなのだろう? なら、話を聞くのは悠司だけで十分だ」
優しい笑みを海斗だけに向け、悠司には鋭い目つきの怪しい笑顔が向けられた。