五月の怪盗3
校外学習の行き先は街の北側に位置する山林。その川沿いにバーベキューが可能な施設がある。
他のクラスはテーマパークやら街から出ている方が多くて羨ましいという声も出たが、バスに乗り込んで買い出しのためにスーパーに来ると、羨ましいなんて声は出来なくなった。
最初に決めていたものを買った後は予算の許す限り好きなものを買い漁る。
あまり来ないタイプの大型スーパーなので魚介類も豊富に取り揃えられていた。
「川魚って獲ってもいいのかなあ?」
「な、七星さん?」
店内に陳列されたものでは物足りないのか、七星が顎に指を添えて首を傾げている。
悠司は冷たい飲み物のコーナーで水だけを買った。
「乙坂、頼まれてくれないか?」
「ん?」
買ったばかりの水を海斗に託して、悠司は浦西たちと合流して買い物を続けた。
「ほらよ」
悠司に言われるままスーパーの外に出れば、春華が座り込んでいた。
俯いていて顔はよく見えないが、恐らくバス酔いして休んでいるのだろう。海斗は持っていた水のペットボトルをゆっくり春華の頭に置いた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがと……なのよ」
ゆっくりと顔を上げた春華は水のペットボトルの冷たさにホッとした表情を見せた。
「えっと……?」
目を細めて見上げられた海斗はあれ、と気付く。
悠司は春華を苦手視している。その証拠に春華のために買ったらしい水を海斗に託した。何より海斗が春華と七星を班のメンバーに誘おうとした時も悠司は焦った様子で止めようとしていた。
苦手な原因が春華のこの目にあるとしたら。
「なあ、新名。お前もしかして……」
ゆっくりと顔を近付けていく。最初は太陽の光がペットボトルに反射してまぶしいから目を細めていたのかと思っていた。
まぶしいなら手で光を遮るなりつい目を閉じるなどするはずだが、それがなかった。
「えっと……乙坂、くん?」
拳二つほどの距離まで顔を近付けてやっと、春華は海斗を認識した。
「めちゃくちゃ視力悪い?」
春華の眼前でひらひらと手の平を振る。
海斗の行動に目を瞬かせた春華は冷えたペットボトルを額にあてて苦笑した。
「……そうなのよ。見えない状態で乗り物に乗ると酔いやすくて」
「眼鏡とかコンタクトは?」
「授業中は眼鏡をかけてるのよ。コンタクトは……入れるのが怖くて」
恥ずかしさから顔を逸らした春華に、海斗はやれやれと肩を竦めながら顔を離した。
悠司が春華を苦手視していたのは目が原因――だとするなら悠司の誤解だと考えられる。もしも春華が悠司を本当に嫌っていたのなら、同じ班にはならなかったはずだ。
春華は視力が良くない。
はっきりとものを見ようとすると目を細めて凝視するのが癖になってしまっているのだろう。悠司にはそれが睨んでいるように見えていた。海斗だってそう見えた。
しかし海斗は春華から睨まれていると感じたことはない。
浦西も十和田も、そんなことは一言も言ってはいなかった。
「眼鏡、かけねえの?」
確認の意味も込めてそう尋ねた。
顔の識別が難しいほど見えていないのなら、普段から眼鏡をかけている方が人の間違いやもしもの事故を防げる。
「分かってるのだけど……コンタクトを怖がっていてはいけないことも、お医者様から言われているのだけれど……」
決まりだ、と海斗は短く溜息を零した。
「眼鏡だと、印象が怖いと言われたから……」
「誰に?」
「えっと……」
「いつ?」
「中学の頃……」
語尾が消え入りそうになっている。
罪づくりな奴だな、とまた溜息を吐きながら膝を折ってしゃがんだ。
「今の状態でも、月館は怖がってるぞ?」
「えっ……⁉」
「新名って、月館が好きなんだろ? 好きな相手に怖がられてまで眼鏡を我慢するのか?」
どうしてこんな指摘をしてやらないといけないのか自分でも分かっていない。
悠司が春華から慕われていようとも応えるとは限らない。悠司は怪盗イニクスのことばかり考えている。春華の付け入る隙はないかもしれない。
「分かっているのよ。月館くんは私のことを見てくれていないことくらい。だったら私も見ないようにしようって思っているのよ」
「見てないことはないけどなあ」
「……どういう意味?」
「だってそれ、月館がアンタに渡せって言われて持ってきたやつだし」
海斗は春華が両手に持って頭を冷やしているペットボトルを指差した。
まだ開封されていない水のペットボトルには汗が大量に流れている。
「え、……え?」
目を丸くした春華を見て、なぜかあの夜双眼鏡を覗いた先にいた彼女のことを思い出した。
「班のリーダーはちゃんと班員のこと見ててくれてんだな」
そう言って、海斗は立ち上がる。膝を伸ばしてから手を振ってスーパーの中に戻る。そろそろ会計を済ませている頃だろう。
スーパーの自動扉を越えれば冷房が外に出ていた間にうっすら浮かんでいた汗が冷やされる。
予想通り、会計のセルフレジを越えたところで悠司たちが喋っていた。
「乙坂、どうだった?」
悠司が戻って来た海斗に小さな声で聞いてくる。
「かなり気分悪そうだったけど、まだ悪そうか?」
その心配は班の仲間だからなのか、それとも春華だからなのかと意地の悪い質問が喉元まで上がってきたが飲み込んだ。
「どうだろうな。もう少し休めばいけるんじゃないか?」
「そうか。一応先生にも言っておいた方がいいかな?」
「あ、じゃあ俺が言ってくるよ」
「マジで? 頼んでいい?」
「ああ、ついでだ」
ついでとは何かと聞こうとして口を開いた悠司だったが、すぐに閉ざした。
聞かれる前に海斗が飲み物を飲むジェスチャーを見せたからだ。
飲み物を買いに行くついでに教師に春華の体調を話に行く。上手く伝わった感触から何も言わずに冷たい飲み物が並ぶコーナーに向かった。
そこで海斗は、髪の長い女の人とすれ違った。




