五月の怪盗2
校外学習の前に体力テストがある。
全学年、数ある項目を順番に回る。
ボールを投げたり、反復横跳びをしたり、上体起こしをしたり、長座体前屈をしたり。
悠司はほとんどの競技である程度の注目を浴びていた。
「……月館」
短距離の記録を終えた悠司は、海斗に後ろから両肩を掴まれて名前を呼ばれた。
「俺さ、結構足には自信あった方なんだけどさ、お前なんなの?」
「なんなの、とはなんだ?」
「陸上部より速いっておかしいだろって言ってんの! 何、月館って中学は陸上やってた?」
「やってない。少し練習を見させてもらったりはあるけど、それだけだ。常に帰宅部」
悠司は中学に上がって本格的な部活動が始まると周囲が盛り上がる中、頑なに部活に入らなかった。
自分で体を鍛えることは続けていたが、それを何かのスポーツに使うつもりはまったくなかった。
「帰宅部がそんなに動けるかよ……って、まさか、あの人が関係してるのか?」
「……悪いかよ」
馬鹿にされたように思えて、海斗を睨みつける。
しかし海斗に肩を竦められて怒りはすぐに鎮火した。
「一途だよな」
体操服の袖で額の汗を拭い、まだテストに興じている生徒が多いグラウンドを見渡す。
「初めて会った時からずっと鍛えてんの?」
「時間のある時だけな。鍛えてるって言っても、一応動けるようにしてるくらいだから腕とか腹筋とか別に……」
そう言いながら腕を上げてみたり体操服の裾を少しだけ捲ってみたりして筋肉の付き具合を海斗に見せる。
海斗の想像するようなものではないはずだ。
人差し指でつんつんと触った海斗は目を大きく開いて悠司を見る。
「細マッチョ」
「いや、そこまで鍛えてな……」
比較対照がいないので悠司は自分の身体がどれほど仕上がっているのかを意識したことはない。人差し指だけで触っていた海斗の手が悠司の筋肉という筋肉を調べていく。
触る度に「ほお」だの「マジか」だの小さく驚いている。
「おーい、二人とも何イチャイチャしてんだよ?」
「やっぱりお前らってそういう仲だった……⁉」
校外学習の班決めをきっかけに仲良くなった浦西と十和田が悠司と海斗を見つけて声をかけた。
二人は水を飲んできたのか首回りや手が濡れている。
「そういうお前らだっていつも二人セットじゃないか。人のこと言えるのか?」
わざと悠司の肩に腕を回した海斗が二人をからかう。回された腕は運動の直後ということもあってかなりの熱さをもたらした。
熱い、と文句を言いながら海斗の腕から逃れる。
「さっきまで他のクラスのやつと一緒だったよ。一緒にすんな」
十和田が笑いながら反論する。こういった軽口のたたき合いになるまでが早かったと思うが、誰もそれを指摘しようとしない。
「……こいつといると、いろんな女子から絡まれるぞ」
このままだとだらだらと四人で行動しながら中身のない会話に巻き込まれる気がして、海斗の背を押して二人の前に出させた。
案の定、浦西と十和田は興奮気味に海斗に詰め寄り目を輝かせた。それに乗じて悠司は三人から離れた。
「あ、おい月館! どこに行くんだよ⁉」
二人に挟まれた海斗が離れて行こうとする悠司を呼び止める。
悠司は振り返って小さく笑った。
「トイレだよ。付いてくるな」
付いてくるな、と言われれば一緒に行動することは難しい。行き先がトイレならなおさら。
無理に付いて行こうとすればまたからかわれる。と想像した海斗は渋々「おう」と返事をするしかなくなった。
本当にトイレに行くつもりはなかったのだが、口に出した手前トイレの方向へ向かうしかなくなり、悠司は体育館のトイレを目指す。
体育館の中は現在、女子が体力テストを行っていた。
堂々と覗く趣味など持ち合わせていないが、どんな風にやっているのかと横目にちらりと見てみれば、春華の姿が見えた。
七星を始めとした女子五人ほどでグループを組んでいるらしい。七星以外は他のクラスだった。
そのまま通り過ぎようとすると、春華が悠司の視線に気付いた。
(やべっ)
気付いた時にはもう遅く、目が合ってしまった。
ここで目を逸らして無視をすればより嫌われ度が上がりそうで、どうしたものかと頭の中を巡らせる。
だが、先に反応を見せたのは春華だった。
強く睨まれたかと思えば、目を見開き、顔を覆った。
まったく訳の分からない行動に困惑したまま、悠司はまたトイレへ向かって足を踏み出した。
後で怒られたりしないだろうか、と不安だったが、怒られるどころか声を掛けられることもなかった。
その日の終わりのホームルームで、校外学習の班に分かれて話し合う。
行き先は街の北にある山林。その中の川辺にバーベキューの施設があるので、そこでバーベキューを行うことになっている。
今回の話し合いでは、何を焼くか、材料は何が必要かを決める。班ごとに内容が異なるので、当日は他の班との行き来も増えるだろうと担任は言う。つまり、班の個性を出せと言っていた。
「いや、バーベキューで個性って無理だろ」
「同感。肉焼かずに何を焼くんだよ」
「川魚って獲ってもいいのかなあ?」
「……七星さん?」
班員の意外な一面も垣間見つつ、話は進んでいく。
話し合いの間、春華がほとんど何も発言しなかったが悠司も似たようなものだった。
放課後になって海斗とどこか寄ってから帰ろうかとすると、「悪い」と笑顔で断られた。
「俺、部活に入ることにしたんだ」
「部活? いいけど、何部?」
「写真部」
意外な選択に悠司は一瞬何も答えられなかった。
海斗はスポーツに向いたポテンシャルと人柄を持っている。それがまさか写真部とは。そもそも写真部なんて部活があったのかという方にも驚いている。
「というわけで、放課後は俺忙しいから!」
「あ、うん。別にいいけと」
元々一人で過ごすはずだった高校生活。突然一人にされたところで予定通りに戻るだけでしかない。
素直にそう言うと海斗は大袈裟に憤慨した。
「もうちょっと寂しがってくんね⁉」
「そうは言っても、放課後は空けておいた方がいいしな……」
糺世との取り決めで悠司は怪盗イニクスを捕まえる外部の組織になった。責任者は糺世なので、いつでも糺世からの連絡を取れる状態にしておく必要があった。
なのでアルバイトをし辛い弊害が出ている。
さすがにアルバイトくらいはしたいものなのだけれど。
「そっか。まあ、俺も部活が休みの日くらいあるし、その時は一緒に帰ろうぜ」
「え?」
「もうちょっと友達を大事にしようぜ?」
大きく肩を落としたまま部活に向かう海斗を見送り、悠司はすぐには帰らず教会に向かった。
教会は相変わらずがらんとしている。
シスターや神父は懺悔室に入っているのか、聖堂には悠司一人しかいない。
静かな空間で一人、壁際に置かれた椅子に座って目を閉じる。
海斗と知り合って以降、こうして一人で何も考えずにゆっくりする時間がなかったように思う。
教会の中は、時間がゆっくり流れているように感じた。




