5:資金繰りが厳しい公爵令嬢
さて、人里に着いたものの、誰一人として公爵令嬢エリアーデの事を知らなかったので、エリアーデはひどく落胆した。具体的に言うと、果物屋の隅っこの方に座りこみ、棒きれを抱えながらうつろな目で何事かぶつぶつ呟いている。
「私は公爵令嬢じゃなかった……馬鹿な……ありえない。私は騙されたんだ……こんな思いをするなら日本で鱒の押し寿司になりたかった……」
などと意味不明な供述をしており、村人たちはその得体の知れない見目麗しい少女を気味悪がって見守っている。営業妨害極まりないが、果物屋夫妻も扱いに困っているようだった。
『なぁ、その、あれだ……そのうちいい事あるさ』
虚空を見つめるエリアーデの横に座っていたモッフィーが慰めの言葉を掛けた。公爵令嬢として魔狼を称えるという目的が果たされなくなった以上、別に放置して森に帰ってもいいはずなのだが、モッフィーは意外と面倒見がいい性格なのか、エリアーデの傍にいた。
「ありがとうモッフィー。公爵令嬢じゃなかった私は、自分を公爵令嬢だと思い込んでいる精神異常者で、ボロ雑巾以下の存在よ。もう何もかもおしまいよ……」
『急に凄まじい自虐をすんなよ。別に公爵令嬢じゃなくても、丈夫な身体があるじゃねぇか』
モッフィーは苦し紛れにそう励ましたが、その言葉を聞いた途端、エリアーデの瞳に光が戻る。そして、まばゆい笑顔を浮かべてモッフィーに向き直る。テンションの上がり下がりが激しい女だ。
「それよ! なんで気付かなかったのかしら! 公爵令嬢じゃなくても、私にはエリアーデの美貌と現代日本の知識、しかも美しい心と謙虚さがあるわ! 公爵令嬢愛されルートじゃなくて、シンデレラストーリーを目指せばいいのよ!」
『だからお前のたとえ話は意味が分かんねーんだよ』
そうだ、ここは逆に考えるんだ。公爵令嬢じゃなかったら、お姫様になっちゃえばいいやと考えるんだ。むしろ王子様に見初められて結婚した方が格は上になる。難易度は上がるが、決して不可能ではないはずだ。
「よし! そうと決まったら早速お姫様ルートへ驀進するわよ! 対策本部を建てなきゃ!」
『対策本部って何だよ』
「そりゃ、往来じゃ集中出来ないもの。ちょうど村の隅っこの方に宿っぽい場所があったし、そこで一室借りて今後の方針を練るのよ」
『おい! ちょっと待てよ!』
言うが早いか、エリアーデは棒を振り回しながら村の宿のような場所へ走って行った。モッフィーもつい追いかけてしまう。
「あの獣人の兄さん、あのお嬢様の付き人かねぇ……苦労するだろうに」
エリアーデとモッフィーが走り去った後、果物屋の旦那は同情の視線を向けた。周りの人々も、全く同じ心境だった。ちなみにモッフィーは人間の言葉が喋れないので、傍から見てるとエリアーデが無言のモッフィーに延々一人で話しかけていた形に見え、それが一層モッフィーへの同情を買う事になった。
「……銭が無いズラ」
宿らしき建物は、大分古びた木造住宅で、確かに遠方から来る旅人の宿泊所であった。だが、ここでエリアーデはまたまた致命的なミスに気付いた。金を一銭も持っていなかった。
『そういや、人間ってのは価値を交換する際に金が必要だったな』
「うう……こうなったら、大切なこの棒きれを売ってお金にするしか……」
『そんなもんそこら辺で拾えるだろ……売るならお前が着てるドレスの方が絶対高いぞ』
「嫌よ! ドレスが無くなったら貴族のアイデンティティが崩れるでしょ! ……まさか、私の裸が見たいの!? いやらしい狼ね」
『なんで俺が人間のメスの裸なんか見なきゃならないんだよ!』
村には雑貨屋もあるので、一応聞くだけ聞いてみたところ、ドレスはかなり上質な物で、かなりの額になるとの事だった。だが村娘スタイルになるのをエリアーデが断固拒否した。わがままである。
念のため棒きれも雑貨屋に見せてみたが、当たり前だが買い取り拒否された。
「銭が無いズラ……」
エリアーデはがっくりと肩を落とし、再び最初の露店のある通りへ舞い戻った。公爵令嬢改めプリンセスルートを通る場合、王子様のいる場所まで行かねばならない。
となると、やはりある程度の路銀は必要だが、それを工面するにはどうすればいいのか。ドレスを売ると言う選択肢もあるにはあるが、それだとエリアーデは小奇麗な村娘にランクダウンしてしまい、王子様との接触が困難になる恐れがある。
「ほれ、お嬢様。これでも食って元気出しな」
「えっ」
再び果物屋の隅っこで体育座りをしていたエリアーデに対し、瑞々しいリンゴのような赤い果実が鼻先に突きつけられた。エリアーデが顔を上げると、最初に公爵令嬢かどうか尋ねた果物屋のおじさんがいた。
「何だかよく分からねぇが、随分落ち込んでるみたいだな。俺にはこんくらいしか出来ねえが、まあ、いい事あるといいな」
「ありがとうございます」
エリアーデは半泣きでその果実を受け取った。寒々しい懐に温かい人情が染みわたる。人間って素晴らしい。ちなみにモッフィーにもくれたが、彼は無言で果物を頬張る。
「ちょっとモッフィー! お礼言いなさいよ!」
「いいって事よ。それよりお嬢さん方、公爵令嬢の割には随分変な出で立ちだな。周りに護衛もいねぇし、どうやって山賊どもの出る山を越えてきたんだ?」
「山賊?」
エリアーデが果物を齧りながらオウム返しに尋ね返すと、果物屋の店主は驚いた表情になる。
「あんたら襲われなかったのかい? 運が良かったなぁ。森の方は魔獣がいるから大丈夫だが、街に続く山には割といるぜ? まあ、俺たちみたいな貧乏人は襲ってもメリットがねぇが、商人や軽装の貴族なんかは襲われやすいからな」
それを聞いた途端、エリアーデは店主に詰め寄るように顔を近づける。
「おじさん! その話、詳しく聞かせてくれるかしら」
「詳しくも何も、今話した通りだよ。山には荒くれ者どもがいるから近寄らんほうがいい。街に行くなら街道沿いが少しは安全だが、いずれにせよ、お嬢さん方だけじゃやめた方がいい」
果物屋の店主は、心配するような言葉を二人に掛けた。どう見ても非戦闘員のエリアーデに、長身だが丸腰の獣人のコンビでは、普通に考えたら格好の餌食になるだけだろう。
だが、エリアーデはその話を聞くや否や、満面の笑みを浮かべた。
「貴重な情報ありがとうおじさん! あ、あと果物も! 私が成り上がった暁には、おじさんを一等地で商売させてあげるから!」
「お、おう。ありがとうよ……って、お嬢さん、どこに行くんだ?」
元気に手を振りながら、エリアーデはモッフィーの腕を取って村の出口の方へ向かっていった。店主は狐につままれたような表情になっていたが、深く関わる間柄でも無いし、そのまま店へと戻って行った。
『いきなり飛び出して、どこに行くんだよ。金が無いんだから野宿しながら街を目指すのか?』
「金の工面が付いたのよ! 山賊退治に行くわよ!」
『何考えてんだお前は!』
棒きれを槍のごとく掲げ、エリアーデは高らかに山賊退治を宣言した。