4:知名度が低い公爵令嬢
魔狼改めモッフィーの提案により、小川のほとりで休息を取り、夜が明けてからエリアーデとモッフィーは人里に向けて出発した。色々な出来事が重なったせいであまり気にしていなかったが、人心地付くとやはり身体のあちこちが痛んだ。
「でも大丈夫。動けないほどじゃないわ。元気があれば何でもできる!」
朝日に向かい、エリアーデは昨日拾った棒を振り上げ気合を入れた。
『まだその棒きれ持ってんのかよ』
「だって武器が無いと不安じゃない。槍はいいわよぉ。ファンタジーのメイン武器は剣が主流だけど、剣で槍を倒すのは相手の三倍の実力が無いと駄目って言われてるくらいよ」
『何でもいいけどよ。さっさと乗れ。昼ならずっと早く走れるからな』
モッフィーが促してエリアーデを乗せると、宣言通り彼は風のように森を駆け抜ける。植林で作られた森と違い、天然の大森林は木々がねじ曲がったり、密生していたりとかなり複雑だ。にもかかわらず、モッフィーはまったく引っかかること無くすいすい進んでいく。
そうして数時間ぶっ通しで走り続け、エリアーデとモッフィーは森を抜ける事に成功した。視界が一気に広がり、草原の向こうには人間の集落らしき建物が遠くに見えた。
「ついに人里に辿りついたわ。モッフィー! えらいっ!」
そう言ってエリアーデはモッフィーの頭をわしわし撫でるが、モッフィーは鬱陶しそうに頭を振る。
『ここからなら自分で行けるだろ。じゃあ、俺はこの辺で……』
「待って!」
エリアーデを下ろしたモッフィーが森に戻ろうとするが、その尻尾にエリアーデがしがみつく。
『ちゃんと人里には届けただろ。俺の事を称えた後、また呼びに来てくれや』
「こんな可愛らしいご令嬢がたった一人で村に行ったら、田舎で性欲に溢れた若者に何されるかわからないでしょ!」
『……つまり、村まで俺も付いて来いと?』
「そういう事。ねー、せっかくだしいいでしょ? どうせ森に戻ってもやる事無いでしょ」
『まあ、基本的には飯食って寝てるだけだがな』
「そんなの獣と一緒じゃない! もっとこう、輝かしい未来に向かって自分を磨こうとか、高尚な目的を見つけたいと思わないの!?」
『いや、だって俺は獣だし』
「とにかく! まだ完全に人がいる所まで行ってないわ。村まで付いてきて!」
『わかった! わかったからまとわりつくな!』
尻尾から振り落とそうとぶんぶん振っているが、エリアーデはまるでスッポンのように喰らいついて離さない。モッフィーは観念した。
『じゃあちょっと離れろ。準備するから』
「準備?」
エリアーデの疑問に答える前に、モッフィーは瞳を閉じ、意識を集中するように固まった。そして、金色の体毛が輝き、淡い燐光に包まれていく。光は徐々に強くなり、モッフィーの身体を完全に取り囲む。
光の奔流に目がくらみ、エリアーデは目を閉じる。そして、その光が収まった後に目を開けると、そこには謎の銀髪イケメンが立っていた。
『ふう、どうだ? 人間っぽく見えるか?』
「……誰?」
『モッフィーだよ。魔狼の姿のままで人里に行ったら大騒ぎになるだろうが』
狼の時は金色紅目という姿だったが、人の姿を模したモッフィーは銀髪に金の瞳だ。身長は190近いだろうか、引き締まった肉体は、ところどころ銀の毛皮に覆われている。顔立ちは野性的だがかなり整っており、何より特徴的なのは、耳と尻尾があるところだろうか。
「うーん、なかなかのイケメンね。でも、申し訳ないけど私、ノーマルな性癖だからケモナーはちょっと……」
『お前は何を言ってるんだよ。人化はあまり得意じゃねえんだ。人を化かすのが得意なのは妖狐だからな。でもまあ、獣人くらいには見えるだろ』
「獣人?」
『簡単に言うと、人と魔獣の中間みたいな種族だな。人間と共存してる奴もいるし、俺もその方向でいけるだろ。ああ、でも俺は人間の言葉は喋れないからな』
あくまで魔狼のまま人型形態を取っているだけ、という事なのだろう。だが、幸いエリアーデの身体は現地での言葉を覚えているし、恐らく異世界人と会話は可能だろう。
「よーし! 準備オーケーよ! さぁ、私の領地を目指して早速情報を仕入れるわ!」
『つっても、どうやって探すんだよ』
「簡単よ。王様がナンバーワンだとしたら、公爵令嬢は……えーと、公爵と侯爵と伯爵ってどれが一番偉いんだっけ?」
『俺に聞くなよ』
「ま、まあとにかく、人間の中で相当上位の立場かつ有名人である事は間違いないわ。だから、あの村で公爵令嬢エリアーデが来た事を言えば、きっと『ああ、あの有名な!』ってなるはずよ!」
幸い名前は分かっているし、公爵令嬢であることも分かっている。ならば後は周りから情報を仕入れればいいだけだ。エリアーデは棒きれを片手に、ルンルン気分で草原を歩いて村に近付いていく。
その後、人型になったモッフィーがしぶしぶ付いていく。
それからすぐに村の入り口に辿り着いた。村はさほど大きくはなく、せいぜい百人弱いるかいないか程度だろう。畑がメインだが、一応、露店や宿らしき施設もあるように見える。
エリアーデが入口に辿り着くと、すぐに村人たちは全員エリアーデとモッフィーに目を向けた。その視線を感じ、エリアーデはご満悦で微笑んだ。
「ほら見なさい。みんな私に注目しているわ」
『そりゃ、お前みたいな変な奴周りに一人もいないからな』
モッフィーの言うとおり、村人たちはみな粗末な服を着ており、エリアーデのように上質なドレスを羽織り、片手に2メートルはある棒きれを持っていて、おまけに獣人を従えている人間は誰もいなかった。当たり前だ。
「ちょっと! そこのあなた」
「ん? お、俺かい?」
困惑している村人たちをよそに、エリアーデは意気揚々と目が合った村人に近付いた。髭をたくわえた体格のいい男性と、恰幅のいい女性の二人組だ。どうやら夫婦らしく、果物を売っているようだった。
「公爵令嬢エリアーデ推参よ! ところで私、道に迷ってるんだけど、どっちに行けば私の領地に行けるのかしら?」
「公爵令嬢様エリアーデ様? いや、俺は聞いた事ねえなあ」
「えっ」
エリアーデは目を丸くした。エリアーデとしては、「こんな辺鄙な村によくおいで下さった。ありがとうございます! ご領地はあちらでございます!」的な返答を予想していたのだが。
「だって私、ほら、公爵令嬢よ? なんかこう知ってるでしょ?」
「いやぁ、すまないがお嬢さんの事は全然知らないなぁ。まあ、良家のお方ってのは、容姿や服を見りゃ分かるがね」
髭の男性は申し訳無さそうにそう答えた。これ以上の情報は引き出せそうもない。すると、エリアーデはすぐに目線を逸らし、別の村人にダッシュで近付いていく。
エリアーデの次の標的に選ばれたのは、果物屋のすぐ近くに立っていた若い村娘だった。エリアーデはものすごい勢いで彼女の前に立つ。村娘はその剣幕に押され、ちょっと涙目だ。
「ねえあなた! こんな顔をした公爵令嬢を見たことない!?」
「す、すみません! 全然知りません!」
エリアーデは自分の顔を指差しながら、同じ質問を目に映る老若男女、果ては野良猫に至るまで質問したが、誰一人としてエリアーデの事を知っている人間はいなかった。
『おい、話が違うじゃねえか……』
「そ、そんな馬鹿な……この私が……」
エリアーデは道の真ん中で両手を着き、悔し涙を流した。こんな展開は聞いてない。公爵令嬢とは、世界から愛されるべき存在であるはずなのに。
「かわいそうに。あの娘、ちょっと頭が……」
「シッ! 聞こえるだろ!」
周りの村人たちが憐憫の表情を向けるが、幸いエリアーデには聞こえていないようだった。もっとも、鋭敏な聴覚を持つモッフィーはしっかり聞こえていたが。
『まあ、その、なんだ。元気出せよ』
エリアーデと違い、モッフィーは空気が読めるので、あまりにも落ち込んでいるエリアーデに追い打ちを掛けるような非道な真似はしなかった。