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2:魔獣と戦う公爵令嬢

「ハァ……ハァ……! 死ぬかと思ったわ……」


 エリコ一味に崖から投げ捨てられたエリアーデは、奇跡的に軽傷で済んだ。崖下に生い茂る木々の枝がエリアーデを受け止めたのと、その下に何か柔らかいクッションのような物があり、エリアーデはトランポリンのように地面に転がり落ちた。


「私はこんな所で死ぬわけには行かないのよ! せっかく公爵令嬢になれたんだから! 湯水のごとく使っても使いきれないくらいお小遣いをくれて、私が昼寝してる間に家事は全部終わらせる使用人がいて、温めてない冷たいご飯を出しても笑顔で食べてくれる、高貴かつ優しい彼クンを手に入れるまでは!」


 エリアーデは落下前から全身に傷を負っていたが、動けないほど深手ではなかった。もともと貴族のお嬢様という事で、身体の交換前に自分を痛めつけるのに慣れていなかったのかもしれない。


「これだからお嬢様は嫌だわ。私なんか毎日、(ます)の押し寿司みたいになりながら電車に乗ってるのに!」


 悪態を吐いたところでエリコが戻ってくるはずもないが、思わずそう言わずにはいられなかった。


「でもまあ、公爵令嬢になってしまえばこっちのものよ。さあ、世界が私を待っているわ!」


 エリアーデは崖から突き落とされた上、わずかな月明かりだけが差し込む森の中だと言うのに上機嫌だった。たとえ世界が闇に塗りつぶされようと、エリアーデの脳内にはきらきらと輝くお花畑にチョウチョが舞っている。


「ゥルルルル……」

「えっ」


 だが、エリアーデを妄想から現実に引き戻すような、低い獣のうなり声がすぐ後ろから聞こえた。恐る恐る振り返ると、巨大な狼がエリアーデを睨みつけていた。


「げえっ!? 狼!?」

「ウルオォォォォォオン!!」


 エリアーデの叫びに呼応するように狼が吠える。どうやらエリアーデのクッションになってくれたのは、この巨狼(きょろう)のようだった。


 狼はエリアーデの知っているものとはまるで違っていた。金色の体毛。紅い瞳はまるで血に染まったように輝いている。何よりも違うのは、象よりも一回り小さいくらいの巨大な体だ。


 少なくとも、地球にいる生物でない事だけはエリアーデにも理解出来た。


「ウォウ!」


 狼は低いうなり声を上げつつ、エリアーデに飛びかかる。


「いやあああああ! 送り狼ならまだしも、リアル狼に食べられて終わるのはいやああああ!」


 エリアーデは半狂乱になりながら、地面を転がってぎりぎりで狼の一撃を回避する。狼も手を抜いているらしく、即座に追撃はしてこなかった。


「に、逃げないと! でもどこに!?」


 巨大狼が舐めプしている間に、何とかしてこの状況を打破しなければならない。公爵令嬢になれたのに森の中で餌になるなんて聞いていないし認めない。


 辺りを見回すが、夜目の利かないエリアーデはろくに状況が掴めない。エリコが魔力で自分をふっ飛ばしていたが、確か魔力はほとんど持っていったと聞いている。第一、魔力の使い方なんてエリアーデには分からない。


 コマンドはどうする? 戦う? 逃げる? 防御? 道具……は無い!


「……ふざ……けるなっ!」


 エリアーデは激怒した。目の前に立ちふさがる凶暴な狼への恐怖よりも、自分の未来を阻むものへの怒りが凌駕した。


 エリアーデが辺りに目を配ると、すぐ近くに先端の尖った2メートルくらいの枝が転がっていた。エリアーデはそれを拾い、まるで槍兵のように構える。


「ウォ?」


 エリアーデの態度の変化に、狼の方が不思議そうに鳴いた。エリアーデは腰を低く落とし、迎撃態勢を取る。その瞳はもはや逃げ惑う弱者ではなく、決死の覚悟で戦う戦士のものだった。


「あんたが私の邪魔をするなら……ぶっ倒す! 私は……私は……! 湯水のごとく使っても使いきれないくらいお小遣いをくれて、私が昼寝してる間に家事は全部終わらせる使用人がいて、温めてない冷たいご飯を出しても笑顔で食べてくれる高貴で優しい彼クンを手に入れるまで、死ぬわけにいかないのよおぉぉぉぉおおおぉぉぉ!!」


 エリアーデが吼え猛る。当然だが、エリアーデは槍術など使えない。そもそも握っているのはただの棒きれだ。だが、それでもやるしかない。


 背を向けて逃げれば狼はあっさりとエリアーデを食い殺すだろう。ならば、前に向かって突き進むしかない。どうせ死ぬなら前のめり……いや、死ぬ気すら今のエリアーデには無い。


 なぜならば、前の自分と違い、今の身体には公爵令嬢として麗しく輝く未来がある。その障壁になるものは全て破壊する。それ以外の思考は全て吹き飛んでいた。


「ウ……ウウゥ……!」


 一方、圧倒的強者のはずの金色の狼は、エリアーデに気押されていた。この狼は人間の戦士を知っている。目の前にいる小柄な女性は、どう見てもその類の人種では無いことも理解している。


 少し前足で押すだけで折れてしまいそうな華奢な身体。泥で汚れてはいるが、それでもなお輝く金の髪に白磁のような美しい肌。戦闘力など無いも同然だろう。だが、なんだこの殺意は。


 エリアーデの碧眼(へきがん)には、一点の恐怖も曇りも無い。もしかしたら狼すらも見えていないのかもしれない。その先にある、もっと何か大きなものを見据えている。そんな風に見えた。


 一口で丸呑みにしてしまえる柔らかい肉は、狼にとってはちょうどいい御馳走だ。だが、万が一……そんなふうに考えてしまう。


「ハァ……! ハァ……!」


 エリアーデは獣よりも獣じみた荒い息を吐き、いまにも突撃してきそうな雰囲気だ。エリアーデが一歩前に進むと、狼はたじろいで一歩下がる。その凄まじい迫力に巨狼すら怯んでいる。


 それもそのはず。狼にとってはただの遊びだが、エリアーデはこれまでの人生の全てを一撃に籠めようとしている。背負っている覚悟が違うのだ。


『チッ……! 止めだ』


 狼はそう呟き、エリアーデから目をそらした。戦って負ける事はさすがに無いだろうが、軽傷くらいは負わされるかもしれない。そんなリスクを負ってまで襲いたい獲物でもない。


「犬が喋った!?」

『犬じゃねえ狼だよ! しかもただの狼じゃねえ。魔狼だぜ? 見ろよ、この立派な体躯に美しい毛並み』


 魔狼はそう言うと、自分の姿を誇示するようにくるりと宙返りをした。大型なのに非常に軽い身のこなしだ。


『ていうか、お前、俺の言葉が分かるんだな。それなりに魔力の素養があるって事か』

「なんで言葉が分かると魔力の素養があるのよ」

『俺たち魔獣は人間とは意思の疎通の仕方が違うからな。魔力の波を飛ばすんだよ。んで、ある程度の奴じゃなきゃ感知は出来ねえ。さっきのだってお前に話したんじゃねえ。独り言だよ』


 魔狼はそう言うと、エリアーデに背を向ける。


『てめぇが何者か知らねぇが、俺はお前みたいな凶暴な奴とやりあうのはごめんだ。じゃあな』


 そう言い残し、魔狼はその場を立ち去る……が、不意に違和感を感じ、後ろを振り向く。そこにはなんと尻尾にしがみつくエリアーデが!


「待って! 優しい狼さん! 私、今とっても困ってるの! 人のいる所まで連れてって!」

『知らねぇよ! いい加減にしねぇとマジで食い殺すぞ!』

「もしも私を食べたら、あんたの血肉になって末代まで不幸になる呪いを掛けるわよ」

『…………』


 本当に何者なんだこの女は。振り払うのは容易だが、この女なら本当にやりかねない。そんな凄味がある。


「大体、かわいそうな女の子を暴行しようとして、あまつさえ森の中に放置とか申し訳ないと思わないの!?」

『お前が勝手に空から降ってきたんだろうが! むしろ被害者は俺の方だぞ!』

「じゃあ後払いでお礼するから! 私、こう見えて公爵令嬢なのよ。私を助けてくれたら、あんたの黄金像を城のてっぺんに建てて永遠に称えるわ」

『コーシャクレージョー? なんだそりゃ?』

「ありていに言うと人類の長よ」


 権力を盛りすぎだろというツッコミを入れる人間は誰も居なかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] どんだけ『温めてない冷たいご飯を出しても笑顔で食べてくれる、高貴かつ優しい彼クン』が好きなのぉぉぉおおおっ?!!(笑) [一言] >鱒の押し寿司みたいになりながら電車に乗ってるのに!」…
[良い点] 鱒の押し寿司のくだりがとても好きです
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