12:邪悪を討ち滅ぼす公爵令嬢
「久しぶりね。あの状況でよく生きていたわね。私だったら絶対死んでるわ」
エリコは笑いながらそう呟く。一方、エリアーデは固まったままだ。
「エリコ!? あんた、どうしてこんなことするの!?」
「どうしてって? 素晴らしい力を持っていたら使いたいと思うのは当然じゃない。私はね、優れた魔力を持ちながらそれを活かしきれなかったの。今はとても愉快な気分よ」
エリコは本当に楽しそうに笑う。
「エリアーデ様、あの人とお知り合いなんですか?」
「あの女は私を拉致して、魔獣の住む森で私を崖の下に捨てたのよ」
「なんてひどいことを!」
それを聞いたミトラは憤慨する。元々は公爵令嬢になりたいという誘いに乗ったのが原因なのだが、エリアーデはその辺は完全に度外視していた。
「何にしてもこのままあんたを放置しておくわけにはいかないわ! いけっ! モッフィー! でんこうせっかよ!」
『結局やるのは俺かよ! チッ、まあいい。俺の生活が滅茶苦茶になったのもあいつが原因だしな』
エリアーデの命令に従ったわけではないが、モッフィーはエリコを仕留める事を決意したらしい。ジグザグの軌道で走り、狙いを付けられないように文字通り電光石火で攻める。
「なるほど、ダイアーウルフを手懐けていたのね。その個体、なかなか優秀よ」
モッフィーが疾風の如くエリコに襲いかかる。だが、エリコは回避しようとはしない。
『ギャッ!』
モッフィーがエリコに飛びかかった次の瞬間、シャボン玉のような膜がエリコを包み、ばちりと火花を立ててモッフィーを弾き飛ばした。
モッフィーは短い悲鳴を上げ、空中で身体を捻りながら何とか着地する。黄金のつややかな毛並みに黒い焦げ跡が残っている。
「モッフィー!? 大丈夫!?」
『痛ぇなクソ! この女、とんでもねえ防壁張ってやがる』
「あら? 防壁ってほどじゃないわ。防壁を張るなら防御に集中しなきゃならないけど、こんな事だって出来るのよ」
そう言って、エリコは微笑みを浮かべながら手のひらから巨大な火球を放つ。モッフィーはそれをギリギリ回避するが、飛んでいった火球で後ろの建物がやすやすと爆発する。
『こいつ……なんて魔力だ! おい! おめぇら大丈夫か!?』
「私たちは大丈夫です。モッフィーさんこそ大丈夫ですか!?」
『正直やべぇ……』
モッフィーは動揺する。エリアーデの時は気迫に押された感じだったが、エリコは純粋に危険な相手だ。攻撃しようにも強力な防壁があるし、同時に攻撃魔法も展開出来る。
隙がまったく存在しない。これでは人間達が止められないのも無理はない。
「もうやめて! エリコ! 争いは何も生まないわ!」
その時、後ろに控えていたエリアーデが悲痛な叫びをあげた。これは決してエリコに勝てそうもないから見逃してもらうための演技とかではなく、純粋なエリアーデの魂の叫びなのだ。きっと。
「いいえ、争いは私の気分を高揚させる効果があるわ。特にあんたみたいなしぶとい人間を虐めるのが、私は大好きなの」
「そんな……エリコ! 正気に戻って! 私たち、あんなに推しの啓太君の事を語ったじゃない」
エリアーデとエリコはもともと地球のSNSで出会った間柄だ。もちろん異世界と通信しているとは露にも思わなかったが、それでも共通の話題で盛り上がった仲である。
「推し? ああ、あのブサイクの事? あんなの適当に言ってたに決まってるじゃない。若い女のコミュニティでたまたまあれを見つけて、そこでたまたまあんたがチョロかっただけよ」
エリコは心の底から嘲笑した。一方、エリアーデは下を向き、拳をぎゅっと握りしめた。その拳はプルプルと震えている。
「アハハ! 怖い? 騙されたあんたが悪いのよ。あそこで死んでいればまだ幸せ……」
「モッフィー、あんたはミトラを守ってなさい」
『あ? 何する気だよお前』
「潰す」
「は?」
唐突なエリアーデの発言に、モッフィーもエリコも目が点になる。だが、エリアーデは本気だった。力いっぱい拳を握りしめ、エリコに向かってまっすぐに突進する。
『馬鹿! 死ぬぞ!』
「うるさーい! 啓太君を馬鹿にした罪! 万死に値するわ! エリコを潰すまで私は死なない!」
もう無茶苦茶だ。エリアーデにとって、癒しをくれた推しの啓太君を馬鹿にするというのは、エリアーデの人格そのものを否定するに等しかった。
たとえ啓太君がエリアーデを裏切って婚約したとしてもだ。いや、そもそも啓太君は裏切ってないのだが。
「本当にあんたってどうしようもない馬鹿ね! いいわ、そのままみっともなく死になさい!」
エリコに向かって何の対策も取らず、猛牛のごとく突進するエリアーデは的以外の何物でもない。ただ、タコ殴りにして魔法を叩きこみ、さらに崖下に突き落としたのに生きているゴキブリみたいな女だ。
念には念を入れ、エリコはモッフィーに打ち込んだのより、さらに一回り大きな火球をエリコに飛ばす。モッフィーですら当たれば消し炭になるであろう業火だ。
何の回避行動も取らないエリアーデに火球が直撃する。爆風と火柱が上がり、辺り一面真っ赤に染まる。
「え、エリアーデ様ーーっ!」
『馬鹿野郎……! 気合や根性でどうにかなるなら苦労しねぇんだよ……!』
これ以上ないほど見事にクリーンヒットした様を目の当たりにし、モッフィーとミトラは叫ぶ。あんなものを食らって生きていられる人間などいない。
「うおおおおおおおおーーーーっ!!」
「な、何!?」
だが、次の瞬間、爆撃の中心地から飛び出してくる一つの影。エリアーデだ! 自慢のドレスはまる焼けになってかろうじて下着が残っているが、確かに生きている!
「な、なんで!? どうして生きているのよ!?」
「くらえ! 必ッッッッ殺ッッッッ! 憎しみパンチ!」
「ぐはぁっ!?」
エリコは慌てて防壁の強度を高めたが、エリアーデはそれをシャボン玉のように割り、エリコの顔面に思いっきり右ストレートをぶちかます。エリコはたまらず地面に倒れ込むが、すかさずエリアーデは馬乗りになり、両足でエリコの腕を挟んでマウントを取った。
「つかまえたぁ……これでジタバタ出来なくなったわね」
「ひっ!?」
エリコの表情が初めて蒼ざめる。エリコは戦闘というものを経験した事がない。彼女が体験しているのは蹂躙のみだ。公爵令嬢だった時は物静かで誰からも危害を加えられなかったし、遠距離から一方的に相手を叩きのめした事しかない。
エリコの身体自体は現代日本人の女性に過ぎない。一方、エリアーデも戦闘経験はほぼ無いが、山歩きによって体力の面で分があった。
「最初は……グー」
エリアーデは瞳孔を見開きながら、半笑いで拳をミチミチと握る。エリコは必死になってエリアーデのマウントから抜けだそうとするが、太ももでがっちりと拘束されて逃げられない。
「ジャン! ケン! グーーーーッ!」
「ぶべらっ!」
エリアーデは渾身の力でエリコの顔面をぶん殴る。女の顔を殴るのはさすがにエリアーデも抵抗があるが、相手は元々自分の身体だし、悪党である。なので全く加減が無い。
「や、やべっ、やべなさ……グワーッ!」
エリコは必死になって止めさせようとするが、さらにもう片方の拳がエリコを襲う! もちろん、エリコとて魔力を使って反撃しようとするが、集中出来ない上に、なぜかエリアーデには効かないのだ。
「オラァ!」
「ひぎぃ!」
「ドラァ!」
「あぎゃぁ!」
エリアーデは両腕の拳を固く固く握り、交互にマウントパンチを繰り返す。エリコはただされるがままで、サンドバッグ状態になっている。最初は悲鳴を上げていたエリコだが、段々反応が鈍くなってきた。
『おいもうやめてやれよ。そいつマジで死ぬぞ』
「ハァ……ハァ……どうよ!?」
ドクターストップならぬモッフィーストップが入り、エリアーデは羽交い締めにされ、エリコから引き離された。顔面を50発くらい殴られたエリコは、ビクンビクンと痙攣していた。意識は失っているが、いちおう生きてはいるらしい。
まだ殴った後の興奮が残っているのか、エリアーデは獣のような荒い息を吐いていた。
「す、すごいですね……色んな意味で」
「どしたのミトラ、そんなに離れてなくても大丈夫よ。悪の魔法使いは見事討伐したわ。このエリアーデがね!」
「は、はい……そうですね。あの、それよりも服が……」
「あらやだ! 私ったらはしたない!」
よく見ると、エリアーデは下着すら燃え尽きかけていて、ほぼ全裸でエリコを殴り続けていた。今さらになって恥じらっても無意味だが、ミトラが羽織っていた小さめのローブで何とか身体を隠す。
ミトラは、エリコよりもエリアーデの方が恐ろしくなっていたが、曖昧に笑って誤魔化した。むしろ顔面が原型留めないくらいの状態で気絶しているエリコにちょっと同情するくらいだった。
『お前、防御魔法なんかいつ覚えたんだ? 魔法に耐性のある俺でも火傷するんだぞ』
「え? 防御魔法? 何それ?」
『何それって……お前、本当に何にも対策して無かったのか!?』
「してないわよ。いいじゃない勝ったんだし」
『ありえないだろ……』
「それがありえるかも! だってほら、ね?」
そう言って、エリアーデは喜色満面の笑みを浮かべ、地面にぶっ倒れているエリコを指差した。確かに、エリアーデがエリコを倒した事は間違いない。
『いや、やっぱりおかしいだろ!? なんでだよ!?』
「正義の聖女が邪悪を討ち滅ぼすのに理由など無いわ!」
そういうわけで、エリアーデの功績により、邪悪なる魔法使いエリコは見事打ち倒された。




