第一章 この故に我々は戦う⑤
彼は一銭も持たないただの子供だった。そんな彼に何かを恵んでくれるところなどあるわけもなく、物乞いのやり方すら分からない彼は日が暮れる時間帯には途方に暮れていた。
「クソっ……、何も手に入らなかった」
レンはトボトボとあの女の子のところに戻っていた。合わす顔がない。しかし何も言わずに戻らなければ、彼女に見捨てられたという気持ちを抱かせるかもしれない。だからレンは嫌でも戻るしかなかった。
歩いていると、ふとお腹が鳴った。しかしレンはそれを気にしないように首を横に振った。俺は今日ご飯を食べることが出来た。あの死んだ子供のように何日も食べていないわけじゃない、と言い聞かせる。
そして少女のところに戻ったレンはばつの悪い表情を浮かべながら、小さい声で謝った。少女は布に包まりながら出会った時と同じ場所に座っていた。
「悪い。何も、手に入らなかった」
「……今まで、探していたのですか?」
「そうだ。でも何も手に入らなかった」
「ごめんなさい。私がいるから迷惑を掛けました」
「そんなことはない! 俺が、勝手にやったことだ。それに、何も手に入らなかったんだから謝られる筋合いすらないよ」
レンは自分に落胆していた。訓練所では成績最下位で、故郷でも役立たずの継子扱い、さらにはご飯一つ手に入れることが出来ないなんて、無能の極みだ。
「……なんで、泣いてるんですか?」
「……え? お、俺か?」
その言葉に驚いてレンは目元を押さえた。確かに涙が流れていた。
少女は困惑した様子であった。レン自身も困惑していた。今までどんなにつらくても泣いたことなどなかったからだ。
「……俺、赤金の訓練所で徒桜隊を目指していたんだ」
「凄いですね。私にはとてもできません」
「いや、無理だった。成績はいつもビリだし、同期たちと仲良くなることすらできなかったんだ。だって、あいつらは俺にないものをたくさん持ってるんだ。嫉妬する。憎らしい。腹が、立つ……」
「……」
少女はじっとレンを見つめる。レンは穏やかに聞いていてくれる彼女の態度に何となく安心できたのか、ぽつぽつと胸の内を打ち明け始めた。
「ムカついたから、嫌がらせとかいっぱいした。そうしたら胸がスカッとするんだ。その時は自分の劣等感とか全部忘れられた。でもそんなことをしていたら、何もかも失った。元々何も持っていなかったけど、さらに取り上げられた」
レンは思う。こんなことを赤の他人の、さらに言えば自分よりも遥かに小さくて大変な思いをしている子に話したところでただの間抜けだ。呆れるしかない。
鬼の子は生まれた時から迫害されると聞く。一方レンは一応普通に育ってきた。だが劣等感が全てを台無しにしてきた。最初から持ってなかった彼女に、自業自得で何もかも失ったレンは泣きついているのである。
「……ごめん。自分のせいでこうなったことを、他人の責任にした。しかもお前には関係もない話なのに、付き合わせちまった」
少女はゆっくりと立ち上がった。そしておぼつかない足取りでレンの下に歩み寄ってきた。レンは体を強張らせる。バカにされるか、突き放されるか、立ち去られるか……。なんにせよこの情けないバカな子供はまた一人に取り残されるだろう。
途端にレンの脳裏にあの彼が見送った淀んだ眼の死体が思い浮かんだ。
——俺も、あんな風に一人で孤独に死ぬのか?
恐怖が膨れ上がってくる。現界霊と戦って死ぬことへの恐怖は微塵もなかったのに、一人で野垂死にするのはどうしようもなく怖かった。
やがて少女はレンの目の前に歩み寄ると、視線を上げた。
「しゃがんで」
「え? わ、分かった」
言われるがままにレンがしゃがむと、少女は突然レンの頭を胸に抱いた。唐突なことにレンは困惑した。少女はそんな彼の頭をなで始める。
「頑張ったね」
「お、おい? 何を……」
「誰も理解してくれなかったんだね。辛かったね」
「……」
「分かるよ。私も何にも持ってないから。全部奪われちゃったから。持ってる人がみんな妬ましく思えるの。辛いよね」
「お、俺は……、傷つけたいわけじゃない! 出来ることなら、仲良くしたかった!」
「うん」
なんと優しいのだろうかと、レンは思った。
気が付けば、レンはもっと泣いていた。自分より頭一つ小さい子供に抱かれて、情けなく泣いていた。少女はそんなレンに優しかった。自分はもっとつらい境遇だというのに、すごく優しい声が聞こえた。
「悔しい。俺は、悔しいよ……」
「うん」
「なんで、俺だけ……、俺ばっかりこんな目に……」
「そうだね、辛いね」
レンよりも大変で辛いはずの彼女は、その後も胸に抱く情けない男の弱音をずっと聞き続けた。