ー死神ー
これは少し昔……。いいえ、昔の誰かにとっては少し未来の物語。
誰かが生み出した地獄の中で。
誰にも理解されず。
誰にも必要とされない。
最も重要で。
最も報われない。
死神を演じた一人の物語。
錆び付きひび割れた壁に持たれ、膝を立てて座る少年の前を何十もの人が早足で通り過ぎていく。
少年は無造作に伸ばした黒い髪の隙間からその人々を睨むように眺めていた。
何も知らずに手を引かれる白い腕章のつけた小さな子供、堂々と胸を張って歩く黄色い腕章を付けた若い男。
そして。
「そこの黒章の婆さん。」
その少年の言葉に、声を聞いた全員が肩を跳ねさせて少年に目を向けた。
そしてその少年の視線が、黒い腕章をつけた老婆に向けられている事に気付いた人々は、まるで見て見ぬふりをするかのように歩みを進めていく。
流れていく人の中で立ち止まる老婆。その隣では黄色い腕章の1人の若い女が絶望に満ちた表情を浮かべていた。
老婆と若い女、そして人の流れで見えていなかった小さな子供が少年の前に立つ。
「解放政策により……。」
少年の言葉が詰まると、その意味を理解した老婆は腕章の付いた左腕の袖をまくり、肩にほられた4,692,973の数字を少年に向けて見せた。
「4,692,973番にシェター外への解放を命じる。」
そういった刹那。若い女は一歩踏み出して声を上げた。
「そんな!なんで!!」
解放。
この岩の壁に囲まれた暗闇から解放されるというは聞こえだけは良い。
しかしこのシェルターは地下1000mに作ってやっと地上の残留害物質から逃れられており、つまりそこから出ると言うことは〈死〉を意味していた。
「分かっているはずだ。完全自給自足が可能なこのシェルターでもこのまま人が増えれば俺達人間は生き伸びれない。」
だから〈仕方ない〉。
「別に1人くらいっ!!………。」
女は言いかけた言葉を飲み込み、目を伏せて下唇を噛む。
そう、1人増えたからと言って大きな変わりはない。
しかし1人でも許せば、このシェルターの信頼や治安バランスは壊れてしまう。
少年は若い女から老婆に視線を戻した。
「時刻は明日午前10時、第2シェルター方面路線跡に…。」
「ねぇ、かいほうって何?」
すると少しも動かない女の手を握った子供が少年の言葉を遮った。
その子の母親であろう女は子供に目を向けると、その目に小さな光を宿した。
「母さん。この子を連れて先に帰ってて。」
その女の言葉に老婆は優しく微笑み、子供を連れて人の流れに消えていった。
ダンッ!
その次の瞬間。石畳を叩きつける音が響き渡る
いや、その音は少年の耳にだけ届いた幻聴だった。
女が地面に頭を打ちつけた程度でそんな音は出るはずはないのだ。
「こんな事は都合のいい事だと理解しています。ですが!どうか!どうかおゆるしください!」
そう、解放政策に選ばれた者の家族は誰もがこの言葉を口にする。
それは開放政策最高責任者という、最も解放者に関わる少年に身に染みて分かっていた。
「わるいな……。」
そして少年この言葉で言い聞かせる。いつも。そして今回も。
「………。」
誰も反論は出来ない。
それは当たり前の事だった。
その〈解放政策〉によって300000人が確実に生きているのだから。自分に関わりのない者になら、300000人のためだと見て見ぬフリをするのだから……。
「何故。何故私の母を選んだのですか?」
地面に頭を付けたまま、涙声で女は問いかける。
その質問に少年はたった一言で答えた。
「前を通ったからだ。不規則に選ぶ事で平等性が保たれる。」
すると女は顔を上げ、涙と土をつけた顔で訴えかける。
「では私の母でなくてもよかった!!」
都合が悪くなったからルールに従う集団の1人をルールの例外にしろ。そう声を上げる女の言葉があまりに身勝手である事は女自身が一番分かっていた。
しかし身勝手だと分かっていても、女は言うしかなかったのだ。
ただ純粋に母を守るために。
そんな心からの叫びに、少年は顔色一つ変えず、女の目を見つめた。
「お前が生まれた時に選ばれた解放者もそう思っただろうな。」
無慈悲に突き付けられた言葉に女は目を見開く。
そして何を言おうとも無駄と気づいたのか、女は涙を浮かべた目で少年を睨みながら立ち上がり、人の波に消えていった。
「死神……。」
その小さな言葉を残して。