第四話 精霊、チェインとシール
更新は毎日16時です。一章は十一話まで、短い「こぼれ話」を入れて十二話までです。その分までは予約投稿済みです。
深い青の長髪は大河のよう。礼服と言われても疑いようのない、白と青を基調とした華美な衣装だが、イクスの記憶には一致するものがない。無論ラッグにも。突然現れたことを考えても、この世界の人間かどうかも疑わしい。
「だ、誰? どこから? って、旗手? 俺が?」
「失礼、話は後だ。見たところ状況は切迫している。ここは私の力を存分に振るわせてもらうが、構わないな?」
「あ、うん。よろしく」
「では……『拘束』!」
女、チェインの周囲に十を超える青白い光の球が現れた。それが命中するやいなや、球は細長い形状に変わり、人形の手足を雁字搦めにした。イクスはその技の正体にすぐ思い当たった。異能だ。
「残りもすぐに捕えよう」
宣言通り、全ての人形が縛られるまでに時間はかからなかった。
だが、安心するのも束の間。兵士が動けない人形に槍を突き刺そうとする。
「や、やめろ!」
「こちらに引き寄せる」
チェインが手の指を曲げると縛られた人形が宙に浮き、ラッグたちの背後で着地した。
それを見た兵士が叫ぶ。
「貴様ら、その化け物共を庇うつもりか!」
「違う! この人たちは化け物なんかじゃない! 操られているだけなんだ!」
「それがどうした! こいつらに何人殺されたと思っている!」
ラッグの言葉は兵士の心に響かなかった。彼らは油断なく武器を構え、こちらへの攻撃も辞さない覚悟だ。イクスも戦闘に備えて剣を引き抜いた。
(どうする……?)
この一触即発の空気をどう乗り切るか。どれだけ考えてもラッグには思いつかない。
代わりに口火を切ったのはチェインだった。彼女は先ほどから微動だにしていない。
「兵士よ、武器を下ろせ。我々が望むのは平和的な対話だ」
「……なら、敵でないことを証明しろ」
「言葉が足りなかったようだな。そちらは我々に何かを要求できる立場ではない。対話を行うのは確定事項で、それが平和的かどうかはそちら次第だ。……対話をするのは貴様らを縛り上げた後でも、我々は構わないのだぞ?」
また、チェインの周囲に光球が浮かぶ。兵士たちは後ずさり、互いに顔を見合わせている。
しばらくひそひそと話した後、一際大柄な男が一歩前に出た。
「貴殿が長か?」
「いかにも。我らはお前らの要求を呑み、対話に応じることにする。だが信じたわけではない。お前らの出方によってはこの槍が身を貫くと思え」
「ふむ……まあいいだろう。奮戦に免じて、その強情さには目を瞑る」
チェインは緩慢な動作で振り向いて、誇らしげに目配せをした。
「ふふ、見たか? 私の巧みな交渉術によって対話の席を設けることができたぞ」
「いや交渉っていうか、ただの脅し……」
「さて、ここからは旗手の出番だ」
チェインの言う通りだ。ラッグは頭を切り替えた。当初の目的を果たすには町の協力が必要不可欠なのだから。
彼は全てを話した。町を襲ったのは村の人間だということ。けれど彼ら自身の意思ではなく、何者かに操られていること。妹のことも包み隠さず、全て。
「村一つ丸ごと操られただと? 信じられるはずがない。第一、お前の妹が真実を語った証拠もないだろう」
「てめえは馬鹿か」
強い拒絶を受けて言葉を失ったラッグに代わり、今度はイクスが口を開く。
「お、おいイクス! そんな言い方……」
「『信じられるはずがない』? さっきまで何と戦ってたんだ? てめえが知ってる人間は、手足が吹き飛んでも戦えるのか? 心臓がなくても? 頭がなくても? 俺には無理だが、てめえにはできるのか? すごいな。試してもいいか?」
隊長は思わずたじろいだ。イクスはまだ、剣を収めていない。
「根性とか気合の問題じゃねえんだよ。こいつらは操られてる。心じゃなく、体をな。むしろ操られてなきゃ説明がつかねえ。……まだ納得できねえなら、ほら、見ろよ」
イクスは倒れている人形を起こし、露出している胸部を剣で指し示した。
「この赤い模様。これは血じゃねえ。調べればわかると思うが、おそらく全部の人形にこの模様があるぜ。何かは知らねえが、いかにもって感じだろ?」
チェインによる交渉の間、イクスは縛られた人形を調べていた。そして気付いたのだ。彼らの胸にある模様に。五角形と、頂点から伸びる線に結ばれた円。それはラッグのものとは違い、赤い線で描かれている。
リーズの体を調べていれば、ラッグもこれに気付いていただろう。
「俺たちはこれを刻んだ黒幕を探していて、お前らにも協力してほしい。こっちが言いたいのはそれで全部だ。だろ、ラッグ?」
「あ、うん……」
「で、どうだ?」
まさか断るなんて言わねえよな? イクスの顔にはそんな言葉がくっきりと浮かび上がっていた。
少しの逡巡を終えた隊長は頷き、ラッグたちへの協力を約束した。イクスの高圧的な態度に思うところがないわけではないが、早急に事態を収束させたいのも事実だった。
(むむ……あの男、中々の交渉術の使い手だな……)
「ラッグ、といったか。協力するとは言ったが、その前にまず他の隊と合流したい」
「他の?」
「ああ。避難用の地下壕は町の周辺に三か所ある。襲撃の際に市民と兵士を三つに分け、散らしておいた。結果として一番近いここに奴らが集中したがな」
「なるほど……。確かに、ひとまず安全になったことは伝えておいた方がいい、よな?」
「……安全ってお前、本気で言ってるのか?」
「え?」
「見ろよ、あれ」
イクスが気怠そうに指差す先に、こちらに向かって走る人の群れがいた。
「あれは……別の地下壕に逃げた人? そうか、向こうもこっちと合流しようとしてるんだ」
「違う。よく考えろ。なんであいつらは外に出てる?」
「え? だってチェインがみんなを捕まえてくれたから、とりあえずは安全に──」
「なんで、それを、この場にいなかった、あいつらが、知ってるんだ? 誰かが教えたのか? いつ? どうやって?」
「あっ……」
「まあ、安全ってのはあながち間違いでもねえ。あいつらが外に出たのは襲われる心配がなくなったからだ。少なくとも、操られた人間には」
ラッグはここでイクスの言いたいことを理解した。リーズの発言を思い出したのだ。
進路上にいる生き物は、仲間以外皆殺しにしろ。人形はそう命令されている。
「あの人たちは襲われない……。それは、仲間だから。仲間に、なったから……」
「幸いさっきより数は少ねえ。おいお前。あいつらがここに来たら縛れ」
「私の名前はチェインだ。そして無理だ」
「え!?」
チェインの言葉の意味がラッグにはわからなかった。イクスにもだ。わかりたくなかった、が正しいかもしれない。無理。無理とは、どういうことなのか。
「私の異能は対象の自由を封じることができる。複数を相手取ることも可能だ。だが、『拘束』された者と同じだけの重量を、私が一身で背負わなければならないという制限がある」
「つ、つまり……?」
「今私が捕えているのは百二十八人なのだが、私もそれだけの重量となると、なんだ、その……もう、指先を動かすだけで限界なのだ」
「さっきからずっと動いてないのってそういう理由!?」
「ああ。動いてないのではなく、動けない。頑丈さに自信はあるがな、これ以上負担が増えると、私は自分の重さに耐えられず死んでしまうぞ!」
わなわなと震えて黙っていたイクスが吠える。
「じゃあ死ね! 誇らしげにしてんじゃねえぞ役立たず!」
「なっ……! 撤回しろ貴様! 私はさっき役に立っただろう!」
大声で不平を列挙するチェインだが、イクスはすでに彼女への興味を失っていた。
「ラッグ、俺は今からあいつらの中に飛び込んでくる」
「そ、そんなことして大丈夫なのか?」
「この状況なら仕方ないだろ。お前は兵士と協力して、首がなくなったあいつらの相手をしろ」
「え? く、首がなくなった? どういうこと?」
「俺があいつらの首を切るってことだ。それで動きを鈍らせる。あとは上手いこと取り押さえて手足を潰せ」
「そ、そんなことしたらあの人たちは死んじゃうじゃないか!」
「いいだろ別に。あれはお前の村の人間じゃないんだから」
「いいわけないだろ! その作戦は却下!」
「じゃあどうするつもりだてめえ!」
「チェインみたいに手伝ってくれる人を俺が呼ぶ!」
「できるのか?」
「できるぞ! 『招集』は、三体まで同時に精霊を実体化できる!」
答えたのはチェインだった。
「せ、精霊?」
「後で説明する! 早く助けを呼んでくれ! あ、私と同じ異能を持つ精霊はいないぞ!」
みるみるうちに大きくなる人形の群れを見て、ラッグはすぐに思考を巡らせた。
(縛る以外で、あの人たちを傷付けずに止めるには……壁か何かで囲って、閉じ込めればいい!)
ラッグの意思が固まると同時、胸の模様が輝き始める。『招集』の異能が発動した。光は一面を埋め尽くし、やがて消えた。
引き換えに、女を残して。
「お? ……お~、実体化だ~」
その声があまりに間の抜けたものだったから、ラッグたちは思わず脱力してしまう。
背の低い、のほほんとした印象の女だった。自分の短い金髪と緑の貫頭衣を興味深そうに撫でる様は、まるで新しい玩具を与えられた子供のようだ。
「あなたが旗手~? あたし、シール~。よろしくね~」
「う、うん……。よろしく」
「それで、何すればいいの~?」
「ええっと、あの人たちを止めてほしいんだけど」
「どの人たち~?」
「ほら、あそこの、こっちに走ってきてる……」
「お、あれか~。任せて~。『幽閉』」
『ゆうへ~い』といった発音だったが、異能は正しく発動している。金色に輝く半球状の壁が人形たちを完全に閉じ込めた。殴られ、蹴られ、体当たりされるが、壁には傷一つ付かない。
「こういう感じ~?」
「すごい、完璧だ! ありがとう!」
「ずるいぞ!」
ラッグの言葉を聞くやいなや、チェインが抗議の声を上げた。
「旗手! 私にはお礼を言わなかったじゃないか!」
「それ、今じゃないと駄目かな!?」
「駄目だ!」
「ええ……。じゃあその、ありがとう、チェイン」
「どういたしましてだ、旗手よ!」
(くだらねえ)
その本音は心に隠しつつ、イクスは異能の壁の中に目を向けた。
人形の数はおよそ四十。程度に差異はあれど、そのことごとくが負傷していた。だが、服や体に付着している血で、返り血としか思えないものもある。彼らがいた地下壕に生存者はいないだろう。
「おいお前……シール、だったよな」
「うん。あなたは~?」
「俺はイクス。お前に聞きたいことが──」
「イクス、よろしくね~」
「お前に──」
「よろしくね~」
「……よろしく」
調子が狂う。
「お前に聞きたいことがある。あの異能……『幽閉』には、どんな制限があるんだ?」
「えーっと、中から出られない代わりに外から入り放題なのと~、囲える広さには限界があるのと~、広さに関係なく一か所しか囲えないのと~、地面の中には壁がないのと~、あ、そうそう。あたしの異能って、あたしが寝ると消えちゃうんだ~」
シールの異能の詳細。それは重要な情報だった。だからこそ口を挟まずに記憶に努めていたのだが、最後は聞き捨てならない。
「寝ると、消える?」
「そうだよ~」
「……お前、何日までなら徹夜できる?」
「え~、一日でも無理無理~。もう今眠いからね~」
実体化は体力を消費するのだという。慣れないことするのは大変だね~、とシールがわらった。
つまり、人形を長期的に閉じ込めるのは不可能だということだ。今はいい。だが、チェインも限界を訴えている中、夜が来たらどうすればいいのか。
「ラッグ」
「な、なに?」
「精霊を呼べ。操られてる人間をまとめて潰せる奴だ」
「だから、その方向性は絶対に駄目だって!」