第三話 力が目を覚ます
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ラッグは心のどこかで思っていた。イクスはあくまで最悪を想定したのであって、実際の状況はそこまで厳しくないのではないか。まだ望みはあるのではないか。
(駄目、だ……)
現実は、彼の甘い願いを粉微塵に打ち砕いた。壊された柵。踏み荒らされた畑。散らばる矢。ここに何かが押し寄せ、争いが起こったことは疑いようもない。
進んでいくと、町の中も酷い有様だった。道沿いの露店は荒らされ、大勢の人間が血を流して倒れている。死体は、兵士ではない者の方が多かった。
「……生きてる人を探さないと!」
「それは後だ。まず、お前の村の連中を追いかける」
「場所がわかるのか?」
「遠くの方が騒がしいだろ。多分そこだ」
言われてみれば、怒号や悲鳴のような何かが聞こえる。注意しなければわからないほど遠い声だ。
「町の規模に比べて死体の数が少なすぎる。これは予想だが、避難場所が別にあって、今はそこが襲われてるんだろうな」
「そこに人がたくさんいるってことだな?」
「そうだ」
「……急ごう!」
状況はイクスの予想通りだった。崖を背負うように作られた地下壕への入り口は、すでに死闘の舞台になっている。大盾を持った兵士が人形の波を押しとどめ、後ろに控えるのは長槍を構えた兵士。彼らが槍を突き出すと人形の群れから悲鳴が上がるが、すぐに兵士の怒号にかき消された。
「くたばれ、化け物!」
「狙いは目だ! 目を潰せば足止めになる!」
「大盾隊、持ちこたえろ! 地下壕への侵入だけは絶対に許すな! ここが最後の一線だと知れ!」
「最後って……こいつら、いつになったら止まるんだよおおおおお!?」
人形たちは、自分たちの血肉が飛び散ることも厭わずに進み続ける。
この世の終わりのような光景を、イクスはどこまでも冷静に見ていた。
(今行ったところで、俺にできることはないな)
人形の数は、山で見た時とほとんど変わっていない。それらすべての首を切り落とすのは不可能ではないが、骨が折れる。それに、そんなことをすればラッグが今度こそ再起不能になるかもしれない。イクスにとってそれは避けるべき事態だった。あの村で唯一無事だった男が事件解決の鍵になるとイクスは確信していた。
「ラッグ、お前のあの刺青でどうにかできねえのか?」
「そ、そんなこと言われても……。生まれてから一回も、これが何かの役に立ったことはないんだ」
「今、役に立つかもしれねえだろ」
「そう、かな……」
「ウジウジしてんじゃねえ。いいか? 操られている人間は死んでも動けるだけだ。殺されれば死ぬ。その証拠に、見ろよ。心臓が潰されてるあいつは、さっきから一言も話してない。いいか、奴らは死ぬんだ」
「死……」
「死んだらどうなる? たとえ原因を突き止めて黒幕を倒したとしても、生き返らねえ。取り戻せねえな。ここでグズグズしてれば、あの兵士だって、村のお仲間だって、死ぬんだよ! それをどうにかできる可能性があるのはお前だけなんだよ! お前が自分で言ったんだろ!」
俺が無事だったことに特別な意味があるなら、これだと思うんだ。
「特別な、意味……」
「俺に見せてみろ! 生き残ったお前の使命を!」
「使命……!」
ラッグは、全身に力がみなぎるのを感じていた。その力が、胸の模様に集まっていることも。
(できる。これなら、この状況をどうにか……いや、違う。もっと具体的じゃないと、駄目だ)
ラッグは眼前の光景を目に焼き付ける。顔見知りの村人。町人を守ろうと必死な兵士。誰もが混乱し、恐怖し、必死になっている。あの中の誰も悪くない。悪くないのだ。彼らは例外なく被害者だった。
なら、どうするべきか。
(村のみんなの動きを止める。傷付けずに!)
その明確な意思を抱いた瞬間、ラッグの模様が凄まじい光を放った。一帯が白一色になる。
誰もが事態を把握できていない中、ラッグは揺るがなかった。己がすべきことを理解していたから。
心に浮かんだ言葉を、唱える。
「『招集』!」
一面の白はごうごうと音を立てて渦になる。
その中央に黒い何かが見えた。イクスは直感的にそれを穴だと思った。
やがて光が消え、正常な視界が帰ってくると。
「──お初にお目にかかる、『旗手』。私の名はチェイン」
見目麗しい女が、ラッグの前に跪いていた。
明日から一話ずつ、毎日更新します。