5.誤解と情報
「・・・・。」
ナガレの目の前にアンリの父親であり熊獣人のガロが座っている。
ガロは口を真一文字に結び、視線だけで殺せるそうな目付きでナガレを睨みつけている。
熊獣人であるはずのガロがナガレには己を殺しに来た鬼にしか見えない。
自分はガロを怒らせるようなことはしていないはずだ。
目が覚めてアンリと自己紹介した後は夕食が出来ているからとココまで案内されただけなのだから。
「父さん、黙って睨みつけてないで何か言ったらどうなの。ナガレが怖がっているわよ。」
アンリがガロの剣呑な雰囲気を注意するがガロは相変わらずナガレを睨みつけたままだ。
「・・・アンリちょっとコッチに来い。」
アンリは父親の行動を不審に思うも素直に父親の側に移動する。
ガロはナガレから庇うようにアンリの前に座りなおした。
ここに至ってナガレは何故こんなにもガロが怒りを露わにしているのかを理解した。
ガロはアンリの父親なのだ。
例え娘が人助けをした結果として拾ってきた人物だとしても俺は男だ。
理由はなんであれ娘に近づく男に対して警戒するのは父親として当たり前のことである。
そしてアンリさんは間違いなく美人だ。その上優しくて気さくな性格みたいだ。
父親のガロが心配するのも頷ける話である。ナガレも同じ男としてその気持ちはよく分かっているつもりだ
ナガレは少ない時間とは言え部屋で二人っきりになってしまった事実もあるのだ。父親が心配しない理由はない。
例え俺に非がないとしても悪いのはガロではなく自分であるとナガレも思う。
そして自称邪神と違ってきちんと会話のできる貴重な存在の彼らと仲たがいするわけにはいかない。
状況を理解したナガレはすぐに行動に移した。
「命を助けていただいてありがとうございます。それと娘さんに手を出すつもりはありませんから安心してください。もし心配ならすぐ出て行きます。」
ナガレは頭を下げて伝えるべきことをガロに伝えた。
ワシの名はガロ。ランブルク王国、南東にあるナン村で猟師をやっている元冒険者だ。
妻に先立たれた後、大事な一人娘であるアンリと一緒に狩りをしながら暮らしている。
最近はどうも体の調子が悪くて今日は狩りの仕事をアンリに任せていた。
初めて一人の狩りを行ったにも関わらずアンリは大嵐鷲という大物を狩ってきやがった。こいつは俺でも数えるほどしか狩ったことがない大物だ。やはりアンリは天才だな。近い将来を俺を超える狩人になるのは間違いない。
大嵐鷲の肉は美味く、街では高値で取引されている。肉以上に貴重なのが大嵐鷲の羽根だ。
風の性質をもつ大嵐鷲の羽根を矢に使えば飛距離が3倍近くまで伸びる。腕の良い職人に頼めば風の性質をもつ特殊な装備品や風の守護を込めたアクセサリーを作ることも可能なのだ。
そんな貴重な大嵐鷲をアンリが狩ってきたことは驚くことではない。
天才的な弓の技術を持ち既にワシの腕前を超えているアンリであれば大嵐鷲を狩ることなど造作もないことだ。
そんなことよりワシが驚かせたのはアンリが荷台に男をのせて連れて帰ってきたことだ。
アンリから詳しい話を聞くと連れてきたと言うよりも拾ってきたと言うほうが正しい。
鍛えていなさそうな若干弛んだ体格に加えて武器も持っていない。掌に何か特殊な技術を学んだ形跡もないのでそのまま部屋で寝かせておくことにした。
仮にこの男が暴れたとしてもワシやアンリに勝てるとは思えなかったからだ。
ワシは元冒険者で腕っ節に自信があるし、アンリも村の中ではワシの次に強い。
そんな風に高を括っていたのがいけなかったのか気がついた男をアンリが連れてきたとき非常に後悔した。
戦い慣れた者は寝ているときや気を失ったときも無意識下で身体が戦闘への準備をしているものなのだ。
ナガレはレベルアップで身体能力はガロを上回っていたが戦闘はド素人なので気を失った状態になると本当の無防備状態に陥っていたために強者の雰囲気を持たずガロは自分より弱いと判断してしまったのだ。
そのため起きたナガレに会って初めてガロはナガレが暴れたら自分なんかでは何の役にも立たないだろうことを理解したのだ。
冒険者時代に見たドラゴンですら霞むほどの力を持っているのがワシには分かる。
「父さん、何黙って睨みつけてないで何か言ったらどうなの。ナガレが怖がっているわよ。」
ワシの気持ちも知らないでアンリがノンキなことを言っている。
「・・・アンリちょっとコッチに来い。」
意味をなさないかもしれないがアンリをワシの後ろに庇う。
この男が何を考えているのか分からないがさっきから一言もしゃべらない。
どうすればアンリを守れる。どうすれば。
「ハァ?・・フ、フッハッハッハッハ~、いや~スマンスマン。娘が男を拾ってきて気が動転してたみたいだ。許してくれ。ワシはガロ、アンリの父親でこの村で猟師をやっている。」
ガロはナガレの言葉に何も思ったのか分からないが大笑いして剣呑な雰囲気を引っ込めた。
「いえ、大事な娘さんのことです。気が立っても仕方ないことです。俺はヤナギ・ナガレと言います。ナガレとでも呼んでください。」
ナガレはガロの鋭かった視線が和らぎ笑顔を見せたことで誤解が解けたと思いにホッと胸を撫で下ろした。
ガロには心配なら出て行くと言ったナガレだがこのまま何の情報も得ないまま追い出されたら途方にくれることは間違いなかったからだ。
「それでナガレはどうして大嵐鷲に運ばれてたんだ?」
当然の疑問だ。普通生きたまま大嵐鷲に運ばれることなど有りえない。
大嵐鷲が大きく力強い鳥だと言っても暴れる生き物を掴んで飛ぶことはできない。
抵抗して暴れないように大嵐鷲は獲物を殺してから巣に運ぶのだ。
このことは絶対に聞かれると思っていたのでナガレはカバーストーリーを準備していた。
異世界から来たことや邪神の話をそのまま正直に話すつもりはない。
異世界人の扱いが分からないし、邪神の話は信じてもらえない上にナガレの話全てに不信感を持たれる可能性があるからだ。
異世界や邪神の話を省いた上でココまでの経緯を話すことにしている。
ナガレは闇に襲われて気絶させられて気がついたら森に居たという話をガロとアンリにした。
「ニホンって国も聞いたことないからその闇が原因で遠くに飛ばされたのかもしれんな。噂に聞く空間魔法の一種かもしれん。残念ながら魔法には詳しくないから分からんけどな。」
「そうですか。」
「ナガレ、元気出して。私達は魔法に詳しくないけど王都の魔法学院の研究所なら何か分かるかもしれないわ。」
分かってはいたことだが日本への帰還方法の情報はなかった。
ただ王都の魔法学院に行けば空間魔法について何か分かるかもしれないのは有益な情報だった。
話の後は夕食を食べながらナガレは二人からいろいろな話を聞いた。
知らないほど遠くの国から来ているのは二人とも分かっているので不審に思われることなくランブルク王国の物価や法律、医療事情に奴隷制度など気になることをを質問できた。
基本的に日本と同じようにしていれば同じ身分同士であれば法に触れることはないことはナガレにとってありがたいことだった。一から法を学ばないといけない事態にならずに済んだのだから。
ただ違う身分、例えば貴族に対してはこれは通用しない。通行の優先権や所有の優先権など様々な優先権があり優先権を害すれば貴族の判断で死刑にされることも有りうる。
貴族と関わらないのが一番だがナガレのような余所者はもしものときの為に商業ギルドや冒険者ギルドに所属することは必須である。
貴族から守ってくれるわけでないがギルドには法の専門家もいるので貴族から一方的に何かを要求されることを防ぐことくらいはしてくれる。要は貴族と比較的穏便に交渉できるということだ。
ナガレは身分証も必要な上に生活費も稼がないといけないのでギルドに所属しないという選択肢はない。
奴隷制度は借金奴隷と犯罪奴隷がいる。
借金奴隷は身体を資本にお金を借りる制度だ。金を貸す人と金を借りる人の間で契約を交わすのだ。簡単に言えばコレコレの仕事をコレだけの期間する契約を結ぶとお金を貸してくれるのだ。
互いに契約内容に納得しないといけないのでそうそう理不尽な扱いを受けたりはしない。
もちろん日本にもブラック企業や詐欺、貧困ビズネスなどあるように契約の不備をついた悪質なものが皆無と言わない。
犯罪奴隷は犯罪の内容により無給で決められた年数働くものだ。ちょっとした盗みくらいならどぶ攫いなどの仕事だが、大量殺人だと魔境の探索や戦争の危険任務など危険性の高い仕事をやらされる。
「明日は狩りの手伝いをしてもらうから今日はもう寝ろ。」
ガロとアンリの仕事を手伝うことで街へ入るための税金と冒険者登録するためのお金を稼がせてくれるのだ。
こんな親切な二人に拾ってもらえたことを感謝しながらナガレは眠りについた。