2.スキル選択と言う名の押し付け
ペタンコ少女の管理領域のはずれに一人の男が迷い込んできた。
彼の名前は柳流。
地方国公立大学を卒業し中堅企業に就職したごくありふれた人物である。
「どこだここは?」
どこまでも闇に包まれた空間を見たナガレは夢でも見ているのかと思ったが夢の中にいながら夢と判断する方法を彼は知らなかった。
そもそも自分が現実を見ているのか夢を見ているのかを疑問に思ったとしても現実とは脳が与えられた多種多様な情報を元に判断したものであって脳には与えられた情報が正しい情報であると判断する方法はないのだからそんなことに疑問を持つ意味はない。
自分の現状を知るためにナガレは今朝からの行動を振り返る。
スーツに着替え最寄り駅へいつも通りの道を通って車で移動した。
ナガレが住んでいる場所は東京のような都会ではないので最寄り駅でさえ車で移動するのが普通だ。
最寄り駅から地方都市中心部の駅へ電車で移動する。珍しく座席が空いていたお蔭で下車する終点までの間を貴重な睡眠時間とすることができたことを覚えている。
田舎であっても座席に座れない程度には地方の中心都市に向かうサラリーマンや学生が電車に乗っているのだ。
邪魔にならないように鞄を両手で抱えていると朝の心地良い日の光が差し込み微睡へ導かれたところまでは覚えているが電車から降りた記憶はない。
夢の可能性を否定したはずなのに記憶を辿ってみると夢の可能性が再浮上した。
記憶を鮮明に思い出せるので幻覚や幻聴の可能性をゼロではないが非常に低くできたことは救いだ。
分かっていたことだが記憶を辿ってもここがどこなのかはやはり分からなかった。
結局現状を知るヒントすらナガレの記憶にはなかった。分からないことをいつまでも考えてもいても時間の無駄だ。思考を止め、周りの様子を確認する。
辺り一面闇に包まれて何も見えない。だが不思議なことに自分の手や身体をハッキリと視認できる。
不可思議な力が働いているのかそれとも夢なのか。
ただ足元は延々と闇が続いていて例え穴があったとしても察知できないので足を踏み出す気になれない。
このままここに居ても事態が動くとも思えないがナガレはどうしてもこの闇の中に足を踏み出す気にはなれなかった。
「よしよし、アタシにも運が向いてきたよ。こんな絶妙なタイミングで使える駒が増えたよ。仕込みは済んでるし後は待つだけね。」
ペタンコ少女の思惑通りにはいかない。
まっすぐ進めば仕込みの場所へ辿り着くのに男は全く動かないのだ。
「どうして動かないのよ。勿体ないけど神力を使って道を作ってやるか。」
ペタンコ少女は男を映し出している画面に拳を叩き付けで怒りをあらわにしている。
神力を出来るだけ使いたくないが時間も差し迫ってるために泣く泣くペタンコ少女は神力を使い光の道を作り出した。
足を踏み出せないナガレの考えを読み取ったかのように突然闇の中に光の道が現れる。
「闇の中に光の道。まるでこっちに来いと言っているようだ。何か罠がありそうで怖いがこのままここに止まっても事態が好転するとは思えないし、ここは虎穴に入らざれば虎子を得ずの精神で罠に飛び込むべきか。」
あからさまに現れた光の道は怪しさしか感じられない。
ナガレも同じ考えのようで光に道を進みべきか悩んでいる。しかし悩む時間は無くなる。
――ガシャンガシャンガシャン――
悩むナガレを急かすかのように何かが近づいてくる音が背後から聞こえてきたのだ。
「おいおいマジかよ。全く姿が見えないけど音がドンドンこっちに近づいて来るぞ。」
音の感じから判断すると巨大な何かが迫っていることだけは分かる。
「クソ、このままここにいたら不味い。ハァ、先に進むしかないか。」
どうやら光の道を作り出し存在はどうしてもナガレにこの道を進ませたいようだ。
ナガレは誰かに無理やり導かれた光の道に足を一歩踏み出した。
「アァァン!こいつアタシが貴重な神力を使ってまで道を作ってやったのに何で進まないのよ!アタシの神力はアンタの命より重いのよ!こうなったら進まないわけにはいかない状態にしてやるわよ!」
身を切る思いで神力を使って光の道を作りだしたのに全く男が進もうとしない。男を映し出す画面に複数の拳の痕が出来ている。
ペタンコ少女の我慢も限界に達しようとしていた。というかとっくの前に限界を突破して声を荒げて何度も拳を振り下ろしている。
「背後から巨人を嗾けてやれば嫌でも前に進むでしょ。なんで!自分の領域に自分の管轄する巨人を召喚するだけなのにこんなに神力を使うのよ!ハァ~、さすがにこれは勿体ないわ。周りが見えないから音だけでも十分ビビるでしょ。それならほとんど神力を使わないし。」
怒りに任せて巨人を嗾けようとしたが使用神力の多さに頭を冷やされると冷静に状況を判断をしもっとも効率が良い方法をペタンコ少女は選択した。前にも言ったが管理者は基本優秀なのだ。
「ハハ、ビビってやんの、ビビッてや~んの。やっと前に進んだか、こっちは時間がないってのに無駄な手間ばっかり増やして使えないヤツ。ハァ、その使えないヤツを私は使うしかないんだけどね。」
散々手間を取らされたがようやく思う方向に進み始めた。
なかなか進まない状況にイライラしていたが男のビビった顔を見てそんなイライラもスカっと吹き飛んだ。
ナガレは後ろから迫ってくる音から逃れるように光の道を進んでゆく。
後ろから迫ってくる巨大な何かは足が鈍いようでナガレが前に進むごとに音は遠ざかってゆく。
後ろからの音が聞こえなくなり、ナガレが一息吐こうかと思い始めたころ光の道の終わりが見えて来た。
「どうやらあそこが目的地のようだな。あれは~パソコン?」
近所の公民館にありそうな長机上に今や中古ショップにもあるのか疑わしいブラウン管モニターがチカチカと点減していた。
どう考えてもここにナガレを連れてきた人物はあそこで何かさせたいと思われる。
ここで見えない相手のことで悩んでいる時間はない。時間が経てば巨大な何かがココまで追いかけてくるだろう。
ナガレに選択の余地はない。
長机の前に設置されていたパイプ椅子がスーっと引かれ早く座れと急かす。
「どうぞお座りくださいってか。」
気は進まないがどうすることもできないナガレは引かれたパイプ椅子へ腰を下ろしモニターに目を向けた。
「なになに、『異世界転移の前にスキルの選択をしてください。』だと?」
この現象は一体何なのだろうかとナガレは頭の隅で考えていたがここに表示されていること内容から考えるとライトノベルヨロシクの異世界転移と予測される。
人に言えば正気を疑われること間違いなしだ。
当事者のナガレは異世界に転移されることを前提に行動すべきだと考えている。
これがもし夢ならそれで良い。目を覚ました後はいつも通りの生活をするだけだ。
だが本当に異世界に転移されるのであれば心構えもなくそして目に映ることを受け入れなければあっと言う間に命を散らすことが容易に想像できるのだから。
「ここで選ぶスキルが今後の俺の人生を決定付ける。慎重に選ばないといけない。」
モニターにはいくつものスキル名が一覧となって表示されている。
スキルの効果も説明は全く無いただスキル名があるだけだ。
「これは名前から効果を連想しないといけないのか。有り勝ちな設定として強すぎるスキルには厄介な制限やデメリットがあるはずだ。そう考えないと神剣術があるのに明らかに劣化版である剣術を選択肢に加えている説明がつかない。」
《無敵》《龍魔法》《魔闘気》《神剣術》《精霊魔法》《全魔法適正》《魔力無限》など名前から推測するに俗にチートスキルと言われるスキルが多数存在している。
そう思わせること自体が狙いかもしれないがそんなことを考えたら切りがない。
だから当初の予定通りこれらは全て無視する。
「候補は《健康》《学習能力補正》《運勢アップ》《感覚補正》《器用さ補正》《目利き》あたりかな。」
ナガレは名前から判断して危険性の低いスキルを中心にピックアップした。
ただ危険性が低いからピックアップしたわけではない。その内容もしっかり吟味している。
―《健康》―
《健康》は大事だ。今までと全く異なる世界にいくことになる。海外に行くだけでも日本に無い様々な病気にかかるリスクがあるのだ、異世界ならその比でないリスクがある可能性が高い。
それに転移先の異世界が医療設備が整っている保障はない。
それに『身体は資本』と言う言葉があるように健康であることは生きていく上で最も重要なことであり、大きな財産である。
―《学習能力補正》―
『情報を制するの者は戦いを制する』と言う言葉が示すように知識は武器だ。だが異なる世界なのだ物理法則も含めて今までに蓄えた知識が役立たない可能性も十分にある。つまりこのままの状態で異世界に転移するのなら異世界の人に比べて36年分もの知識がないということになる。だから遅れを取り戻しさらに周りより優位に立つために少しもで早く多くの知識を得るために《学習能力補正》は役に立つ。
―《運勢アップ》―
分かりきっていることだが運は大事だ。運がよかったお陰で命が助かることもあればお金が手に入ることもあるし重要な人物に会うこともある。逆に運が悪ければ転んだだけで頭を打って死ぬこともある。
《運勢アップ》があれば不測の事態を回避する確率があがる。
―《感覚補正》《器用さ補正》―
感覚が鋭かったり手先が起用であれば様々な技術を習得しやすくなるはずだ。ライトノベルの異世界転生ものでは職人がお金を稼ぐ安全で確実な職業だ。《器用さ補正》《感覚補正》があれば良い職人になってお金を稼げるし戦う必要に迫られても高性能な武器や防具を揃えておける。
―《目利き》―
目利きが出来れば商売の最も基本である安く買って高く売りることができるだろう。つまり《目利き》があれば商人として身を立てる最低条件をクリアできる。
《状態異常無効》《コピー》《覇運》《超感覚》《鑑定眼》など上位互換と思われるスキルはあったがやはりどれもデメリットがありそうなので候補からは外している。
「スキルは何個選べるんだろうか。それにこれってどうやって選べば良いんだ?」
通常モニターとセットで置いてありそうなキーボードもマウスも見当たらない。
「まさかタッチパネル?いやいやブラウン管モニターにそんな機能付けれないよ・・・な?」
どうすれば良いのか分からないがダメで元々とナガレはモニターに映る《健康》の文字をタッチしてみた。すると
ブーーー!!!
ナガレが《健康》の文字に触れると甲高いブザー音が鳴り響き画面にメッセージが表示される。
「ビックリしたぁ。ビビらすなよぉ。なになに、『エラー《健康》というスキルは存在しません。』」
モニターに表示されているのにスキルがないとは低予算のせいで作ったは良いが実行テストも碌にしていない欠陥システムみたいなエラーを表示している。
「コノ!・・・フ~~~。」
ナガレは膨れ上がった怒りを静めるために意識して大きく息を吐いた。
「ここで怒っても時間と体力の無駄だ。無いなら無いでほかの候補を選べば良い。」
気持ちを変えてナガレは《学習能力補正》の文字をタッチする。
『エラー《学習能力補正》というスキルは存在しません。』
《ナガレは無心で《運勢アップ》の文字をタッチする。
『エラー《運勢アップ》というスキルは存在しません。』
最悪の事態が頭をよぎってナガレには怒りよりも焦りが生まれていた。
「まさかここに書かれているスキルが一つもないってことはないよな。」
ナガレがボソっと呟くとモニターに映っていたスキル名が全て消えてしまった。
「ちょー待ち!今の冗談だから、戻して今すぐ戻して。」
努めて慎重にそして冷静にあろうとしていたナガレだが今後の人生を左右するであろうスキルが取得できなくなったと言う事態には冷静ではいられない。
なんとかモニターに先ほどまでの内容を表示させようとブラウン管モニターをバシバシ叩き始めた。
「頼む。お願いだから何かを表示してくれ。」
ナガレが叩いたからでは決してないだろうが再びブラウン管に文字が表示された。
ただ表示されたのは《無敵》の文字一つだけ。
「スキルが表示されたのはうれしいけど何故に《無敵》だけなの。嫌な予感しかしないよ。今までも良い予感なんて一つも無かったけど、それでもこれはないよ。」
どんなにナガレが嫌な予感しかなくてもナガレにできることは《無敵》スキルを選択することだけだ。
そんなことはナガレにも分かっている。選ばないでスキルを一つも持たずに異世界に転移するなど考えたくもない。
ゆっくりと右手の人差し指を画面に向けていると再び甲高い音が響き渡った。
ブー!ブー!ブー!ブー!ブー!
しかも今度は一度で鳴り止まず、ずっと鳴り響いている。
音が鳴り始めると同時にモニター上ではカウントダウンが始まってしまった。
慌てるナガレを放ってカウントダウンは進んでいく。
「ゼロになったらスキルが取得できないとか有り得る。」
ネガティブな考えが浮かんだナガレは慌ててモニターに表示された《無敵》の文字をタップした。
「早くスキルを選びなさいよね。早くしないと邪神が復活するのよ。あぁぁ、またイライラしてきた。」
ペタンコ少女は男を急かしてさっさとスキルを選ばせるために神力を使ってパイプ椅子を動かす。
「よし椅子に座ったわ。さぁ、《無敵》スキルを選びなさい。」
ペタンコ少女は初めから男に《無敵》スキルを選ばせるつもりだ。そもそも《無敵》スキルしか選べないようになっているので選ばせるとは言えない。
「ハァ、なんで《健康》を選ぶの。今度は《学習能力補正》!《状態異常無効》《コピー》ならまだしもなんでそれを選ぶのよ。そもそも何で一番分かりやすい場所にある《無敵》を選ばないのよ。そっちがその気ならコッチにも考えがあるわ。」
ペタンコ少女は手元のコンソールを操作してモニターの表示を《無敵》だけ変更する。モニターの表示内容は神力を使わなくても変更できるので迷う必要はない。
そもそも選択肢を表示していたのは男に自分で選んだ気にさせるだけのものなので無ければ無いで構わない。
「ついでにカウントダウンを表示してやるわ。」
カウントダウンに慌てた男はやっと《無敵》スキルを選択した。
「これで後は邪神のところに転移させれば対処は完了ね。ハァ、思い通りに動かないから神力も精神力も無駄に使って疲れた。後の処理はシステムに任せて今日はもう寝よ。」
ペタンコ少女は男の転移先を指定すると結果を見ることなくベットで眠りについた。
――――スキル《無敵(30分限定)》を強制獲得しました――――
ナガレの頭に情報が流れ込んできた。
「30分限定なんてどこにも表示されてなかったぞ!」
ナガレは頭に情報が流れると言う今までにない経験に驚いたがそれ以上に受け取った情報の内容に驚いて大声を上げた。
その叫びに答えるものがいない変わりにモニターから闇が溢れだした。
咄嗟に両手で顔を覆うがそんな行動は意味があるわけなくナガレは抵抗することもできずに闇に飲み込まれた。