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記憶屋。  作者: 青黄 白
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規約はよくお読みください。

 けたたましい音と共に現れたのは、見るからに上質な服を身を包んだ男性だった。服装とは裏腹に、髪や襟に乱れがあり、急いで店へ飛び込んできたようだ。幸運にも他に客はおらず、彼は自身の外聞を失わずにすんだ。


「いらっしゃいませ」

「この不快な記憶を買い取ってくれ」


 荒い呼吸を整えた男性は、開口一番そう言った。虫の居所が悪そうな客に深入りするのはよろしくない。速やかに記入用紙と売却用の同意書を用意した。

 男性は、慣れた手付きで書類への記入を済ませ、同意書の確認に入った。滑るように動く視線から、こういった作業には慣れているのだと伺える。

 男性の記入した用紙を確認し、改めてこの内容で問題ないかを確認する。彼はそれでいいと言っているだろうと眉をひそめた。やれやれ、契約内容の確認だというのに、彼はぞんざいな態度だ。





***




 カジノでの社交を終えたヴォルガードは、今日も夜遅くに帰宅した。玄関ホールには執事が一人、ヴォルガードを出迎える。夫が帰宅したというのに、顔も出さない妻にイラつきながら、手荷物と上着を執事に託すと、執事はいつもの通り主を浴場へと案内をした。

 執事が用意した風呂に入る。

 ――なんて気の利かない妻だ。こちらが真面目に仕事をして帰ったというのに、顔も出さない。夫に尽くしもせずに好き勝手やっているというのか、信じられない。自分みたいに妻が自由にしていても文句の一つも言わない夫はなかなかいない。妻は自分に感謝するべきだ。

 ヴォルガードは今日も妻への愚痴を零さず、黙々とベッドへと向かった。


 その数日後、弁護士を名乗る人物に「離婚」の書類を突き付けられた。

 どういうことだと聞けば、妻――エレオノーラがヴォルガードの暴力を理由に離婚したいのだという。


「暴力? そんなわけがないだろう。そもそも妻とは結婚した後もあまり会話をしていない。これは公平な言い分ではない」


 しかし弁護士は憤るヴォルガードを無視しながら、「これは証拠です」と病院の診断書を出した。

 内容は、殴る等の暴行や不同意の性的暴行で、妻が病院にかかっているというもの。一体いつ、そんなことをしたというのか。

 そんなことはあり得ないと告げると、弁護士は淡々と告げた。

 エレオノーラが暴力を受けていた様子は、下級使用人から執事まで「事実」と言っている。


「俺にそんな記憶はない、これは捏造だ!!」




 とある街のゴシップ記事に、珍しく――もない、貴族の醜聞が掲載された。

 なんでも、男性が妻である女性に、ひどい暴行をしていたという。女性の体に残された痛々しい跡には、夫の手のサイズと一致しているものもあるらしい。しかし男性は「そんな記憶はない。これは捏造だ」と叫び、裁判にまで発展。女性は「治療費はせめて払ってほしい」と訴え、最後まで認めない男性に対して、裁判所は慰謝料と治療費を払うよう命じたとのこと。


 エレオノーラは、自身の醜聞を読み終えると、新聞を暖炉へと放り込んだ。

 ヴォルガードは結婚したその日から、「自分の言うことを聞かなくて不快」「女は慎ましく男性の後ろを歩くべき」「男性を立てて自分は目立つな」「女性は夫を差し置いて自分に金を使うな」等の発言を繰り返していた。

 彼は女性を何だと思っているのだろう。それとも、彼の両親がそういう考えなのだろうか。判断は付かなかったが、そのような考えの人は、世間には少数だろう。真摯に向き合っていたら、きっと考えを変わるはずだ……そう思っていた自分を、心から殴りたい。エレオノーラは強く唇を噛み締めようとして、大きくため息をついた。


 自分をたてろと繰り返すヴォルガードの帰りを待っていたあの日。カジノから帰った夫を出迎えると、酷く酒臭かった。酒を嗜まないエレオノーラからするとかなり強烈な匂いだった。我慢できず思わず顔を顰めると、それを見たヴォルガードは激昂した。夫を見て吐きそうになるとは何事かと。お酒の匂いのせいだと言っても聞かず、執事の制止も振り切った。次の瞬間、エレオノーラは理解のできない衝撃に襲われた。頭をぶつけたのか、焦点がうまく合わない。

 ようやく視界がクリアになった時には、ヴォルガードに馬乗りにされていた。玄関ホールの冷たい大理石が、振り上げられたヴォルガードの腕が、エレオノーラの体温を奪っていく。


 エレオノーラが目を覚ますと、自分付きの侍女が泣いている様子が目に入った。どうしたのかと声をかけようとしたが、自分の喉からは擦れた空気が漏れるばかり。一瞬空白を置いた後、エレオノーラの全身を激痛が包んだ。もはやどこが痛いのかも分からない。あまりの痛みに身をよじると、気が付いた侍女が叫ぶようにエレオノーラの名前を呼んだ。

 そこから、エレオノーラは「このままここにいるわけにはいかない」と強く思った。ここにいれば、自分はいずれ殺されるだろう。夫は恐らく人間ではない。化け物だ。人間である自分と化け物が一緒にいて、うまくいくはずがない。

 どうすればあの化け物を排除できるのか――やはり、一番は「離婚」だろう。いくら家の繋がりとはいえ、公的機関を通し、あれが化け物だと証明する必要がある。そうと決まれば、さっそく公的機関でも通用する証拠を集めなければならない、自分のこの酷い怪我だって、証拠になれば忌々しさだって見て見ぬふりが出来る。

 エレオノーラはとても優秀な女性だった。


 酷い暴力を言い分に「離婚」を言い渡したところ、プライドの高いあの化け物は予想通り、お前が自分を拒否した、夫婦の営みだ、と大声を出すばかりで認めようとしない。それでもエレオノーラが意見を変えないと分かると、「どけ!」とエレオノーラを壁に叩きつけ、屋敷を出ていった。

 ところが、ヴォルガードはその日から暴力を振るわなくなった。イライラしている様子は見られるが、手は出してこない。

 今更反省したのかと思ったが、もはやそんなことはどうでもいい。

 早く化け物を排除しなくては。


 最終的に、ヴォルガードは仕事のストレスと飲酒により、妻に暴力をふるったと正しい判決が下され、離婚は成立、彼は慰謝料や治療費の支払いを命じられた。

 本人は「記憶がない、捏造だ」の一点張りで、どうやら酒のせいで記憶が曖昧なようである。

 ……あれにはもう何の感情も湧かない。あの日から様子がおかしいが、そんなこと、知ったことか。




***




 記憶屋に残された記憶には、あの男性客の『不快な記憶』が詰まっていた。いつか商品になるのかもしれないこれを、どんなものか知っておく必要がある。


「貴方とは離婚いたします」

「ハッ! 離婚するとお前は傷物と笑われるんだぞ? そんな度胸がお前に――」

「お前のような化け物と! 死ぬまで一緒にいる方がよほど屈辱なのよ!!」


 見たことのある表情で、妻は叫んだ。

 その表情は、幼いころに父が母を怒らせた時に見た顔とそっくりだった。それから母の姿を家で見なくなったが――あの時両親は、何を揉めていたのだろう?

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