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記憶屋。  作者: 青黄 白
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お買い上げありがとうございます。

「失恋した女の記憶ってあるかしら?」

「はい、取り扱っております。初めに、こちらの書面を――」


 派手な身なりの女性が来店したのは、残暑の厳しい日だった。いつも通りに同意書を取り出すと、彼女は拗ねたように鼻を鳴らす。


「サインでしょ、分かってるわよ。ったく、買う度に書かせるんだから」

「当店の規則でございますので、何卒ご理解――」

「分かってるってば。ほんと、何回目かしらこのやりとり」


 そう、この女性は毎回買い物をしてくれるお得意様。だからこそ丁寧に接客する必要もある。しかし毎回同意書に署名する事がめんどくさいようだ。どれほどめんどくさがろうと、同意書をなくすことはないが。


「今回はね、過去の恋愛で恋に臆病になっている女役なの。それからもう恋愛はごめんだと頑なな女性の前に1人の男性に出会って、その男性に恋をしてしまうのよ。でも、あたしって失恋したことないのよね。だから、そんな女役にぴったりの記憶が欲しいわ」


 女性の言う条件に合った記憶をいくつか紹介すると、女性は質問を繰り返し、本当に自分が求めている記憶かどうかを絞っていく。他人から与えられる細かい指示は嫌いのようだが、自分が求めるものには真剣だ。今もメモを取りながら眉間に皺を寄せている。


「そうね、じゃあこの記憶にするわ」

「かしこまりました」

「ふふ、良かったら貴方も見に来てちょうだいな」






 *****






 ――女優ライアーナ主演舞台『黄昏の恋』


 額に浮かぶ汗、治まらない高揚感、大きな花束に、ライアーナは心が満たされる。自分はここまで来たのだと。

 数年前、ライアーナは舞台の主演がはれるような役者ではなかった。容姿こそ自信があったが、いざこの世界に入ってみると綺麗な顔はそれこそ大勢いたのだ。ライアーナはその中の1人にしか過ぎなくて、そこに埋もれている存在、だった。

 それが一変したのは「記憶屋」に出会ってから。役者として日々努力している傍ら、それだけでは生活できないので他の仕事を掛け持ちしていた。そんな中偶然記憶屋の噂を耳に挟むことになる。

 あくまで噂だったが、ライアーナはそれを信じて記憶屋に辿り着くことに成功したのだ。そして、なけなしの貯金をはたいて記憶を買った。当時狙っていた役に近い記憶を。

 ライアーナは容姿以外はほとんど一般的な人生を送ってきていた。だから身を焦がすような大恋愛も、死にたくなるような悲劇も、思わず涙がこぼれるほどの感動も経験したことがなかった。それが芝居にも影響しているのか、ライアーナの演技は「下手ではないが記憶には残らない」と言われることがあった。リアリティが足りない、という結論に至ったライアーナは今でも「本物の記憶」を使って演技をする。

 そして、その選択は間違ってなどいない。現に今、ライアーナの目の前にはかつて自分が求めていたものがあるのだ。あの時記憶屋を探さなかったら、これは手に入っていないもの。


「お疲れ、ライアーナ。今日の公演も成功だったわね。貴方の演技、いつも通りものすごく良かったわ」

「ありがとう。でも、公演の成功はみんなのおかげよ」

「えっ」


 ライアーナが謙虚にそう言うと、いつもライアーナの仕事を管理しているアイシャの顔が引きつる。「どうしたのよ」と返すと「この前の公演の時と反応が違ったから、驚いちゃって」とぎこちなく笑みを浮かべる。


「この前は……どんな反応をしてたかしら?」

「それは、その……いや、やっぱり私の気のせいかも! 何でもないわ、忘れて!」


 アイシャは青い顔になって、さっさと部屋から出て行った。部屋には首を傾げるライアーナが残される。部屋を飛び出した「女王様はどこ行ったのよ」というアイシャの言葉は届かなかった。




 暗い部屋に入り、電気を点ける。そこは見慣れたライアーナの家だが、どうも違和感がある。


「……私、どうしてこんな派手な部屋にしたのかしら」


 赤や金を使った部屋はとてもおしゃれでゴージャスだが、それに落ち着かない。今までは気に入っていたはずなのに、途端に自分の家ではないような気がしてくる。

 とりあえずご飯にしようと思って開けた食料庫には、酒の瓶が並んでいる。それからチーズやハム、ピクルス。明らかに酒のつまみである。調理用の肉や野菜はおろか、パンもない。


「最近舞台で忙しかったし、買い物に行けてなかったものね」




 打ち合わせがある、とアイシャがライアーナの家に訪ねてきたのは、半月は経った後だった。

 ライアーナが玄関を開けると、アイシャは一瞬にしてぎょっとした顔になる。


「ど、どうしたのよ、その服」

「え? 普通の服でしょ? どこか変かしら」


 シンプルな白の上着にキャメル色のスカート。外出するわけでもないので、特に気の張らない楽な格好のつもりだった。

 更にアイシャは部屋を覗いて絶句する。手にしていた紙袋がゴトンと落ちる。


「この、部屋は」

「ああ、模様替えしたの。気分を変えたくて」


 赤や金が基調だった部屋は、緑や水色、白といった色に変わり、ナチュラルな雰囲気でまとめられている。ライアーナはこの部屋の出来に非常に満足していたのだが、アイシャはそうでもないようだ。


「もう、ライアーナってばいい加減にしてよ! 高飛車女王様の次は地味な失恋女性にでもなるつもり? どこまで役に引っ張られるのよ!」


 アイシャは嘆く。

 舞台が始まって終わると、ライアーナはいつも別人になっている。まるで演じた人物のように趣味思考が変わるのだ。食べ物の好みさえも変わる。最初は役が取れないだけかと思ったが、毎回毎回そうだと、気味が悪い。本当にライアーナがライアーナなのか分からなくなる。どれがライアーナなのか分からなくなる。仲間も毎回戸惑っている。


 大声で叫び、呆気にとられているライアーナの表情を見たアイシャは多少冷静になったのか「取り乱してごめんなさい」と謝り、打ち合わせはまた今度にするわ、と去っていった。

 残されたライアーナとしては、何なんだか分からない。確かに1つ前の舞台では、ヒロインを敵視するご令嬢だった。高飛車でまるで女王様のような振る舞いをする少女の役。どのように演技すればいいのか――それはもう分かっていた。実際にそのような性格をしている人物が、どういう思考でその行動に到ったのか知ればいい。

 大体、「本当にライアーナがライアーナなのか分からなくなる。どれがライアーナなのか分からなくなる」とは何なのか。ライアーナはあくまで芸名である。だからと言って――


「あら……?」


 だからと言ってライアーナと   の根本は――


「え? あれ? どういうこと?」


 何度自問自答をしようとしても、返って来ることはない。


「ワタシの名前って、何……?」


 口に出した瞬間、悪寒が全身を包んだ。冷や汗も流れる。

 ライアーナは走った。次の役が決まってから、必ず行くようになったあの店に。


「お願い、誰か、嘘って言ってぇ――!」











 〔お買い上げのお客様は、副作用にご注意ください。複数の記憶を入れすぎると「記憶の混在」や「記憶の消失」等の影響がある場合がございます。問題が生じた際はお早めにお申し出下さい。〕

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