かぼちゃん
私が小学二年生の時の話である。
私は動物が大好きな子供だった。
友達に動物を飼っている子が多かったのもあり、ペットへの憧れは日々募るばかりであった。
私は毎日毎日飽きもせず、「わんちゃんが飼いたい」、「ねこちゃんが飼いたい」と、お母さんに泣きついていた。
そんな時、決まってお母さんは、「うちにそんな余裕はありません」、「お父さんが動物アレルギーなのを知っているでしょ」と言って、決して「飼ってもいいよ」とは言ってくれなかった。
それでも私は諦めきれず、お母さんに、ペットが欲しい、飼いたいと言い続けていた。
そんなある日のことだ。
仕事帰りのお母さんが、スーパーの袋と、お花屋さんの、小さな紙袋を持って帰ってきた。
わたしが、「紙袋の中身はなあに?」と聞くと、
お母さんは小さな紙袋の中から観賞用の小さなカボチャを取り出して、「今日からこの子が家族の一員になります」と言った。
私は理解が追いつかなかった。
どうやら、私があまりにもペットが欲しいと泣きつくものだから、それを見かねたお母さんは、犬や猫の代わりに、カボチャを買ってきたらしい。
けれど、当然私は、カボチャに犬や猫の代わりが努まるものかと、全然納得がいっていなかった。
そんな私の心の内を知ってか知らずか、お母さんは「この子に名前を付けてあげて」と言った。
私はカボチャを家族の一員として受け入れるつもりは毛頭なかったが、一応頭をひねらせて、そのカボチャに「かぼちゃん」という名前を付けた。
次にお母さんは、「なら、かぼちゃんにお顔を付けてあげましょうよ」と言って、私に油性マジックを手渡した。
私は、悩んだあげく、どうせなら笑ったお顔を描いてあげようと思い、にっこり笑顔のお顔を描いてあげた。
次の日から、かぼちゃんは玄関の下駄箱の上で暮らすようになった。
はじめはなかなかかぼちゃんを受け入れられなかった私だが、
気がついたら、学校に行く前の「行ってきます」と、帰ってきた時の「ただいま」を、かぼちゃんに言うのは日課となってしまっていた。
かぼちゃんは、いつもにっこり笑顔だけれど、たまに泣いたり、怒ったり、表情がコロコロ変わるようになっていた。
私にとって、かぼちゃんはすっかり、「家族」になっていたのだ。
かぼちゃんは観賞用のかぼちゃである。
根を生やしているわけではないから、枯れないし、腐らない。
だから、かぼちゃんとの別れがやってくるなんて、思ってもみなかった。
しかし、その日は突然、やってきた。
いつも通り、かぼちゃんにただいまを言おうと、かぼちゃんに目を向けた時である。
私はかぼちゃんのお尻の辺りに、小さな、黒いシミがあることに気づいた。
最初は気にならないサイズだったそれは、やがてかぼちゃんの後ろ半分を覆うくらい、大きくなった。
かぼちゃんは、観賞用のカボチャだ。
だから枯れないし、腐らない。
けれど、「カビ」からは逃れられなかった。
盲点だった。
私の家の玄関は湿気が酷かったのだ。
気づいた時には、遅かった。
かぼちゃんは、天国に行ってしまった。
心にポッカリと穴が空いたようだった。
けれど、かぼちゃんをこのままにしておく訳にはいかない、かぼちゃんを元いた場所に還してあげなくちゃ。
私は、家の庭に、小さなお墓をつくって、かぼちゃんを埋めた。
かぼちゃんは私に、「物」ではない、たくさんの「モノ」を与えてくれた。
かぼちゃんのことは絶対に忘れないからね。
今まで本当にありがとう。
天国でもどうか、お元気で。
けれど、物語はここで終わらなかった。
あの日、庭で遊ぼうと思って、庭に向かった私は、かぼちゃんを埋めた所から、小さな芽が出ていることに気づいた。
はじめは周りの雑草と変わらない様子だったそれは、いつの間にか、太い、太い、ツルを生やしていた。
私はその日から、ツルにお水をあげるようになった。
かぼちゃんに、また会えると信じて。
かぼちゃんにはいつ会えるだろうか、早く会いたいな、帰ったらお水をあげなくちゃ。
そんな想いを抱えて、学校から帰ってきたある夏の日のことだった。
見ると、家の前に車が止まっている。
おばあちゃんの車だ。
私は「ただいまー!」と勢いよく玄関の扉を開けて、リビングに向かった。
しかし、そこに居たのはお母さんだけだった。
「あれ?おばあちゃんは?」
「んー?外にいるはずよ?」
何となく、嫌な予感がした。
私はすぐに、庭へ、かぼちゃんの元へと向かった。
庭にはおばあちゃんがいた。
おばあちゃんは、しゃがんで草むしりをしていた。
おばあちゃんの傍らには、雑草の山が出来ていた。
雑草の山の中には、太いツルが混じっていた。
おわり