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#5 峠の午後


 ヨウの水晶谷での滞在も、もう一週間ほどになった。

 祭の囃子方を頼まれてここに留まったのだが、それも終わって数日経つ。

 イハサヤはなにも言わず、子供たちもヨウに心を許しているふうだったが、何か役に立てることがあるでなし、そろそろ出て行かねば……、と考えていた夕餉の後、スアンがこっそりと話しかけてきた。

「おじさん、明日出かけたいんだけど、一緒についてきてもらえる……?」

「それはお安いご用ですが」

 と、ヨウも小声で答えた。

「親父さまが心配なさるのでは……? それにハクぼっちゃんは、一緒に連れて行きなさるので……」

「お父さんには内緒よ。ハクは他の子に見ててもらうから大丈夫」

 この集落では男はもとより女も鉱山で働いている。男たちは朝から出かけ、女たちは家事を済ませた後出ていく。幼い子供の世話は、スアンのような力仕事はまだ難しい年頃の少女と年寄りの仕事だった。

 翌日、スアンとヨウは大人たちが出払った後、門番に「山菜を採りに行く」と言って集落を出た。



 山道は先だってと同様、人気がなかった。往来はあまり盛んではないらしい。ならず者に襲われた辺りではスアンは頬をこわばらせてヨウにくっつかんばかりに歩いていたが、通り過ぎるとまた少しふたりの間が開いた。

「どこへ行くんで……?」

「本当の『水晶谷』」

 スアンは振り返ると茶目っぽく笑った。

「本当の……?」

「水晶のカケラが採れるの。たまたま見つけて……私しか知らないのよ」

「わっしがついて行ってもよろしいんで……?」

「おじさんなら大丈夫」

 スアンは笑って答えたが、ヨウが

「ああ……、そうですね」

 と応えたのに何かに気づいたふうで、慌てて

「違うの、ごめんなさい、そういう意味じゃないの……」

 と言った。

「わかっていますよ」

 ヨウは笑顔のまま、そう応えた。二人は分かれ道を折れ、やがて峠に着いた。

 今来た道の片側は林、もう片側は砂や(こいし)が浮いたザレ場になっている。

「この前も、本当はここに来るつもりだったの……」

 スアンは小さく呟くとしばらく押し黙ったが、やがて明るい声で

「ここで待っていてね」

 と言うと、ザレ場をひとりで下りはじめた。

 気をつけるんですよ……!、と、声をかけたものの、一緒に下りるわけにもいかないヨウはその場に腰を下ろした。

 峠の風は心地よく空気は乾いていた。見通しもよく空も広く、気持ちのいい峠だった。その長閑のどかさにヨウはしばし時の経つのも忘れていたが、

「お待たせ」

 という明るい声に我に返った。

「ああ、……すみません、少しうとうとしていたようで」

「いいのよ、こっちはめったに人も通らないし、なんせ気持ちがいい場所だものね」

 笑ってそう言うと、スアンはヨウと並んで座った。

 少女の、微かに甘い髪の匂いが鼻腔をくすぐる。ヨウはどうにも落ち着かない思いがした。

「その、探し物はたくさん見つかったんで……?」

「ええ」

 ヨウのきまり悪さに全く気づいてないふうのスアンは明るく答えた。それから屈託なくヨウの手を取ると、その掌にひんやりとした、小さなものをいくつか載せた。

「おじさんにもあげる。水晶のカケラよ。これはね、魔除けのお守りなの」

「…………」

 自分のようなものに魔除けのお守りとは……と、ヨウはますますばつの悪い思いがしたが、それをスアンに言えるはずもなく、ありがとうございます……と、もごもごと礼を述べた。

「ちょっと待ってね、今日はおじさんにも水晶をあげようと思ってお守り袋も持ってきたのよ」

 そう言うとスアンは一旦ヨウの掌から水晶をつまみ上げ、ごく小さな巾着に入れて再びヨウに手渡した。

 蜻蛉(かげろう)の羽のように薄い、色味の違う数枚の布をていねいにはぎ合わせたその巾着は、光と表と裏の布地の重なり具合によって色味が変化する美しいものだった。谷の者が見ればすぐにそれが祭礼の晴れ着の薄衣の余り布を使って作られたものに気がついたはずだが、ヨウにわかったのはそれが丁寧にかがられた、たいそう手触りの良い品であるということくらいだった。ヨウはそれを、帯の間にしっかりと挟み込んだ。


「ここで水晶のカケラを拾ってお守りを作って、時々街に売りに行ってるの。お父さんには、危ないから街には行っちゃいけないって言われてるんだけど──親切な人もいるし──だから内緒なの。たいした額にはならないけど、買ってくれるお店があるから……」

 ヨウと並んで峠に腰を下ろし、スアンは問わず語りに話しはじめたが、

「でもこの頃は街に行くのが怖い」

 と言うと、うつむき声を震わせた。

「友達も街で追いかけられたって言ってたし、この前みたいなことがあると──それに──」

 明るく爽やかな峠の陽射しの中で、スアンの声は悲痛だった。

「前に言われたことがあるの。町の人が……カナルが滅んだのは、悪人だからバチが当たったんだとか……劣っているから神様に滅ぼされたんだとか……」

「神様というのは、ひとの物差しでは測れないもんじゃないですかねえ」

 ヨウはゆっくりと言った。

「神様は確かにいて、この世を眺めてらっしゃるかもしれない。だけど神様が何を思し召しかなんて、ひとの腹から生まれたわっしらにわかるはずがない。考えるだけムダなことだと思いますよ」

「おじさんはそれで納得できるの? 神様を恨まないの──おじさんだって──目が見えたら、もっと違う暮らしができたかも知れないのに」

 詰め寄るように言ったスアンに、ヨウは笑顔を見せた。

「わっしは世の中の、悲しいことや醜いものを見すぎました。ですからもう、これ以上見なくていいんですよ」

 スアンは胸を衝かれたような表情になった。

「めくらなればこそ、こうして嬢ちゃんの秘密の場所で、気持ちのいい風に吹かれてもいられるわけですしね」

 ヨウの出来の悪い軽口にスアンは困ったふうに少し笑ったが、すぐにまた沈んだ表情になった。

「お父さんが言ってたの……おじさんの三弦には悲しみがあるって。だから心が惹かれるし、信用もできるって」

 呟くようにそう言ったが、しばらくしてまた続けた。

「でも……やっぱり私は、おじさんの目が見えるようになってほしい。悲しいことや醜いものの代わりに、綺麗なもの、優しいことが、いつかおじさんの目に映ればいいのに」

 ヨウは沈んだ表情のスアンに笑いかけた。

「嬢ちゃんは優しいおひとだ。きっとその優しさが、嬢ちゃんのためになりますよ」

 それから立ち上がると、促すように続けた。

「さあもう日も高くなったようだ。そろそろ行きますかね」

「そうね。山菜も摘まなくちゃ」

 スアンも気を取り直した笑顔になり、立ち上がった。


「おじさん、海って知ってる?」

 山菜を摘んだ帰り道、スアンが訊ねた。

「知っていますよ、海辺の街も旅したことがある」

「本当? 私海って見たことない……大きな湖みたいなもの?」

 スアンの目が輝いた。

「わっしも見たことはありませんが」

 ヨウは笑いながら答えた。

「そうですね、川のように流れがあって、向こう岸が見えない大きな湖のようなものでしょうか。多分嬢ちゃんが考えているより、ずっとずっと大きいですよ。向こう岸はわっしらが知らない国で、大きな船がないとたどり着けないそうです」

「船……」

 スアンは川で見かける渡し船を思い浮かべた。いくら思いを凝らしても、彼方へ続く水の上をどこまでも行く大きな船、というものが、どうしても想像できないのだった。

「私たちのご先祖は、海から来たんだって。おじさんは知ってた?」

 再びスアンが訊ねた。

「ええ、聞いたことがあります。海に浮かぶ国があったと」

「私たちは海から来たのに、私は海を知らない……」

 スアンは夢見るように続けた。

「見てみたいなあ、海を……。 遠い、どこか知らないところに行ってみたい……」

「…………」

 帰るべき故郷、待ってくれている家族があれば、旅はたしかに楽しいものだろう。だが俺の旅は、そうしたものではなかった……。

 寄る辺のない漂泊の旅。ヨウはカナルの民を思った。

 彼らの「旅」も、同じようなものだったはずだ。ヨウは旅に無邪気に憧れるスアンに、微かな痛みとともに愛おしさを覚えたのだった。

 スアンもそれ以上何も言わず、ふたりは無言で帰路を辿った。


 のんびりと山を下り集落の入り口に戻ってくると、門にたどり着く前に門番がふたりの姿を認め、叫んだ。

「スアン! 無事だったか!」

 見ると目の色が変わっている。

「……え?」

 スアンはきょとんとしていたが、ヨウは敏感に異変を察していた。

「早く入れ、おまえの家にみんな集まってるから、お御堂に行くんだ。ハクもお御堂にいるから」

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