#4 神隠しの道
翌日。ヨウは再び祭殿にいた。
一夜限りの祭が終わり、男達は朝から鉱山へと出て行った。祭殿を片付けるのは女や子供たちの役目だった。
ひとりすることもないヨウはイハサヤの家にいても落ち着かず、なにか手伝えることでもないかと出てきたのだが、その頃には片付けもあらかた終わっていたようで、三々五々帰宅する女たちとすれ違った。
「あんた、昨夜はとても良かったよ」
と、声をかけてきたのはハナだ。
「ありがとうございます……」
と言いかけたヨウのそばに素早くやってくると、ハナは小さく囁いた。
「スアンちゃんはまだお御堂にいるよ、迎えに行っておあげ」
祭殿は村の奥まったところにあった。たいそう古びているが石造りのしっかりした造りで、その窓にはこの辺りではめったに見かけない玻璃が嵌め込まれている。窓はところどころ破れて玻璃も欠けたり割れたりしていたが、他の家々と同様丁寧に修繕してあって、往時にはさぞや立派であったろうことが容易に想像できた。
祭殿の辺りは、かつては集落の中心であったらしい。その先にもまだ家はあったが、今は朽ちて倒れかけたり、人気のないものばかりだった。
階段を上ったところで扉が開き、スアンが姿を見せた。
「あっ、おじさん……!」
スアンは驚いたような声を上げたが、すぐに笑顔になり
「どうしたの、こんなところへ」
と、訊ねた。
「もしかして、迎えにきてくれたの……?」
「いえ」
ヨウはばつの悪そうな様子で答えた。
「その、なにかお手伝いできることがあれば、と思ったんですが……、もう片付けはおしまいのようで」
「残念、もう終わっちゃったわ。おばさんたちもお昼には鉱山に行かなきゃだから」
そう言いながら扉をヨウのために押し開け、スアンが続けた。
「どうぞ、せっかくここまで来たんだもの。お参りしていって」
と促されて、ヨウは扉の内に入った。
窓からさんさんと光が降り注ぎ、内は石造りの建物とも思えぬ明るさだ。椅子などがなく広間のようになっているのは常からのようだ。 陽の光が玻璃のひび割れに虹色に反射し、床や壁のそこかしこがきらきらと輝いていた。
「立派でしょう、明るくて綺麗で。これだけの玻璃、どこにもないのよ」
スアンは誇らしげに言った。が、目の前の男が盲人であることに思い至り、
「……ごめんなさい」
と、口ごもった。
「いえ」
ヨウはそう言うと笑って続けた。
「嬢ちゃんはこのお社が本当にお好きなんですねえ。嬢ちゃんの口ぶりで、どんだけ大事に思っているかわかる。昨夜の祭もみなさんたいそう高揚していらした。このお社は、この村の誇りなんですね」
「そうなの」
スアンは花がほころぶような笑顔になった。
「このお御堂はお祖父ちゃん達が建てたのよ。ひいお祖父ちゃんの代から一生懸命働いて、お金を作って。今建てようと思ったって、とうてい建てられやしない。街の人にだって無理よ」
スアンの頬は紅潮してかがやき、その声には熱がこもっている。
「このお御堂は村の宝よ。もしかしたらおじさんは、ここに入った最初の『余所の人』かもしれないわ」
「それは、光栄なことで……」
スアンは心なしか淋しげに応えた。
「だって余所の人がこの村に来ることなんて、めったにないもの」
それを聞き、ヨウはやたらにものものしかった集落の門番を思い出した。
この集落が近隣とあまり上手くいっていないことは、すでにイハサヤから聞いている。目の前の少女を助けるためだったとはいえ、自分のしたことは悪手だったかもしれない……と、ヨウはかすかに思った。
その帰り道である。
祭殿では明るい笑顔を見せていたスアンだったが外に出るとすっかり無口になり、すれ違う人もないのにうつむいて足どりも心許ない様子だった。
ヨウはスアンの少し後を黙って歩いていたが、何ごとかに気づいたかのようにスアンが立ち止まり、
「あ……」
と小さな声を上げた。
目の前は辻だった。真ん中に大きな石が置かれている。その向こうは集落の中の道とも思えぬ荒れようで、長く往来が絶えていることが伺えた。周囲をよく見ると、辻の三隅に細縄を縛った小さな留石が転がっていた。
「ごめんなさい、こっちに来るつもりじゃなかったのに」
スアンはそう言うと、ヨウの手を引いて今来た道を引き返そうとした。
「ここは……」
ヨウの頰も緊張していた。杖を握る指にも力がこもっている。
「古い街道よ。村の外れを抜けて、一方は街へ、もう一方は峠へと続いてたんだって……昔は……」
なぜかスアンは最後の言葉を言い淀んだ。
「この道……ずっと昔、この村ができる前からあって、その頃には往来も多くて賑わったそうなんだけど……、新しい道ができてからはさびれて──行方知れずになる人もあったらしくて──お父さんが絶対近づいちゃだめだって……。
ここ、『神隠しの道』と呼ばれているの」
「神隠し……」
「ねえ」
と、スアンはかすかに怯えを含んだ表情でヨウに問いかけた。
「でもそんなこと、本当にあるのかな。ただ、道を歩いているだけで、ひとが消えてしまうなんて……道が荒れてるから、途中で迷っちゃうのかな……」
「嬢ちゃん」
ヨウは静かに答えた。
「親父さまの言うとおり、ここには近づかない方がいい……嬢ちゃんも、お気をつけるんですよ」
「…………」
ヨウを見つめスアンは何か言いたげに口を開いたが、言葉にはならなかった。
ふたりは踵を返し、無言のまま今来た道を歩きはじめた。
夜。みなが寝静まった後、こっそりと寝床を抜けだしたヨウがやってきたのは件の辻だった。
灯りもなく暗い三日月の光でに辻はほとんど闇に塗りつぶされていたが、もとよりヨウにはどうでもいいことだ。
夜だというのに風もなく、その辺りだけ空気が凝っているようだった。
「こんなところに……」
ヨウは我知らず呟いた。杖を握りしめ、顔を上げてまっすぐ闇の方を向いている。そのさまは布で覆われた目で辻の闇を見すかすようである。