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#3 水晶谷2


 スアンの家はしばらく歩いた辺りにあった。周囲の家と比べると、少しばかり立派に見える。とはいえ古びてあちこち修繕の跡があるのは、他の家々と変わらなかった。

「お邪魔するよ」

 と声をかけ、ハナが引き戸を開けた。

「おう──」

 中にいた男が背中で応えた。大柄で体つきも逞しい。年の頃は四十の手前といったところか。身につけた衣服は洗いざらした粗末なものだったが垢じみたところはなく、真っ当な暮らしぶりが伺える。

 男は振り向き戸口を見やったが、ハナと一緒に入ってきたスアンの様子に息を吞んだ。

 朝着ていたものとは違う、どうやらハナのものらしい身に合っていない服から出た手足は傷だらけでところどころ包帯が巻かれ、こわばった表情のスアンの頬は赤く腫れている。

「スアン──」

 立ち上がりスアンに近づいた男は、戸口の外に立っているヨウに気がついた。

「おまえは……」

 ヨウを見る目に、一瞬殺意が浮かぶ。

「違うのお父さん、この人が助けてくれたの」

 スアンがその視線からヨウを庇うように、ヨウと父の間に立った。殺気こそ消えたものの、厳しい表情のまま男があらためて訊ねた。

「……あんたは?」

「旅の芸人でございます。音曲を生業にしております」

「……音曲師……」

「山で街の男に襲われたんだって。そこの芸人が、そいつらを追っ払ってくれたそうだよ」

 女もふたりの間に割って入った。男は刹那また殺意を滾らせたが、すばやく考えを巡らせると

「わかった。ハク」

 と、家の奥から心配そうに覗いていた、スアンよりも幼い少年に声をかけた。

「そのひとの足を洗ってやれ。ハナ、一緒に来てくれ」

「いえ──」

 ヨウは慌てて言った。

「わっしはお嬢さんを送って来ただけですんで、もうおいとましますんで」

 スアンを促しながら、イハサヤが振り返って言った。

「娘を助けてもらったんだ、あんたには礼をしなきゃならん。それに話も聞かせてもらいたいからな」

 そう言われてヨウもしかたなく上がり框に腰をかけたが、ハクと呼ばれた少年がおずおずと差し出した桶を受け取り、足は自分で洗った。


 居間にひとり取り残され、所在なげにしていると、しばらく経ってイハサヤが戻って来た。

「娘に聞いた。えらく強いそうだな」

 ヨウの傍らに座るとイハサヤはいきなりそう言った。

「いえ、決してそんなことは。相手が丸腰でしたんで……」

「そう言うがあんた目が見えないんだろう? よく娘を守ってくれた。心から礼を言う」

 ヨウは奥を伺って言った。

「お嬢ちゃんは、その……、ついててやらなくて大丈夫なんで」

「ハナがついてくれてる。こんな時に、男親ができることなんて何もねえよ」

 そう言ったあと、また怒りがこみ上げてきたのか、腕を振り上げてくそっ!、と呻いた。

「谷の女が襲われたのは、これが初めてじゃないんだ。あいつら……」

 イハサヤは言葉を呑み込むと、なぜか言いにくそうに続けた。

「あんたももう気がついてるかもしれんが、おれ達はカナルだ。この先の鉱山で水晶を掘っていて、ここらは『水晶谷』と呼ばれている」

 それを聞き、ヨウは街で耳にした噂を思いだした。

 カナルの集落が水晶鉱山を不当に占拠している上に、街へやって来ては悪事を働く。あいつらはならず者だ、余所者のくせに許せない──。

 少女を助けたとき男が怒鳴っていたのは、「カナルのガキ」という言葉だったのだ、と、ヨウはようやく思い当たった。

 カナルの民──ヨウも長い旅暮らしのなかで何度か噂を耳にし、行きあったこともあった。

 栄えた海上の国を失い、異土に散った人々。化外の民である。他郷にあってまつろわず、おのが血としきたりを守り続ける彼らはおおむね侮蔑と攻撃の対象だったが、ヨウもまた化外の者であったから、彼らに対してはもともとある種の共感を抱いていた。

 だがこのように、実際に彼らと言葉を交わし、係わりあうのは初めてのことだった。

 ヨウの思索を知ってか知らずか、イハサヤが続けた。

「奴らの魂胆はわかっている。鉱山が欲しいんだ。それでさんざん嫌がらせをして、おれ達を追い出そうとしてるのさ」

「…………」

 ヨウが黙っているので、イハサヤはまた言葉をついだ。

「冗談じゃない……鉱山は、ちゃんと金を出して買ったんだ。連中はもうあらかた掘り尽くしたとみて、金を受け取ったくせに」

「……それをなんで、今になって……?」

「新しい鉱脈が見つかったのよ」

 イハサヤは吐き出すように言った。

「鉱山を買ったのは、もう10年も前の話だ。やつらが捨てた鉱山に、安くない金を払ったんだ。それを今さら……!」

 最後の言葉はまるで叫ぶかのようだったが、イハサヤはふっ、と息を抜くと(かぶり)を振った。

「やめよう、こんな話をあんたにしてもしょうがない。大声を出して悪かった」

 と言い、少し笑うと続けた。

「俺が言えた義理じゃないが、あんただいぶ埃っぽいぜ。いい具合に湯が沸いてるから、ひと風呂浴びてくるといい」

「いえ、そんな、滅相もない──」

 思いがけない申し出にヨウは手を振ったが、それをイハサヤは遮った。

「どうせ仕舞湯だ、遠慮することはない。着替えには俺の服を貸してやるよ。ハク──」

 と、イハサヤは息子を呼ばわった。

「このひとと一緒におまえも風呂に行って来い」


 集落の共同風呂は集落の入り口にほど近いところにあった。

 鉱山から帰ってきた男たちが、帰宅する前に汗と泥を流すのかもしれない。

「仕舞湯」との言葉の通り湯はそれなりに濁っていたが、ヨウとハクの他は誰もいないのは気が楽だった。さっぱりしたあとの夕餉の卓には、つましいながらも心づくしの料理が並んだ。

 イハサヤは客人として隣に座ったヨウに杯を勧めたが、

「いえ、わっしは酒はいただきませんので」

 と断られると、あっさりとそうか、とのみ言い、ひとりで飲みはじめた。

「あんたの名前をまだ聞いてなかったな」

「……ヨウと申します」

「俺はイハサヤだ。あんたは俺の客人だ、何もできんが寛いでくれ」

 ありがとうございます、と答えたものの、歓待されることに慣れていないヨウはどうにも落ち着かなかったが、イハサヤはそんなヨウの様子も気にかけず、

「ところで」

 と話を継いだ。

「あんた、音曲師だろう。良かったらあとで一節(ひとふし)、なにか()ってくれないか」

「お安いご用でございます」

 そう応えると、ようやくヨウも笑みを見せた。


 夕餉の後にヨウが披露したのは俚謡(りよう)の中でも風流歌と呼ばれる類いで、祭の際に唱われるものだった。

 遠方の、イハサヤたちが聞いたこともなかろう曲を選んだのは、気分が変われば……というヨウの思いからだったが、果たして華やかな三弦の音色に誘われイハサヤは太鼓を叩き、ハクやスアンも笑顔になった。

「あんた三弦の腕もたいしたものだな──」

 と、イハサヤは演奏を終えたヨウに話しかけた。

「いえ」

「もしよかったら」

 と、イハサヤは言葉を継いだ。

明明後日(しあさって)夏越(なご)しの祭をやるんだが──、囃子手に加わってくれないか」

ヨウは内心驚いた。カナルの民は彼らの文化をかたくなに守るあまり、しばしば周囲との軋轢を生んでいる、ということを聞き知っていたからだ。交わることをよしとせぬ、排他的な集団であろう……、という、ぼんやりとした予断をヨウも抱いていたのだった。

「……それはよろしゅうございますが……、ここのみなさんには大切な祭でございましょう、余所者が囃子を()ることを、どう仰いますか……」

「なにを言ってるんだ、あんた音曲師だろう」

 イハサヤは笑うと言った。

「音曲師が囃子方を演るのに、なんの文句があるんだ。ましてやあんたはおれの客だ。誰もなにも言わねえよ」


 どうやらイハサヤはこの集落の中心的な人物であるらしい。イハサヤが言ったとおり、ヨウを囃子方に加えると聞いても村人たちに格別の反応はなかった。数人はヨウのなりを見て眉を顰めたが、ヨウの三弦を聴けば文句もないのだった。

 それで水晶谷の夏越しの祭の夜、祭殿にヨウがいた次第である。

 夕刻から始まった祭は夜更けまで続いた。


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