#2 水晶谷
話は三日前に遡る。
ヨウが山道も半ばにさしかかった時だ。かすかな、甲高い悲鳴が聞こえた。続いて男の怒号。
辺りは背の高い草が茫々と茂った山道である。ヨウは杖を握りしめ、草陰に隠れて声のする方へと近づいた。
「──のガキが一人前の顔をして歩いてるんじゃねえよ」
「人並みに色気づきやがって──」
男が三人。年の頃は二十代から三十代半ばというところか。口汚く罵りながら今しも手にかけようとしているのは、まだ幼さを残した少女だ。
泥のついた着衣は乱れ、ところどころが破れていた。手足にも擦り傷が見え、頬が赤く腫れているのは、殴られたせいか──。
「やめてください! やめて……!」
少女の悲痛な声は、しかし男達の欲情をさらに掻きたてた。
「誰か……、助けて……!」
「誰もいねえよ、こんな山ん中に」
男達は下卑た笑い声を上げた。乱暴に押し倒し、少女の細い脚を割り裂いて押し入ろうとしたまさにその時。
ぎゃあっ!、と、轢き潰されたような叫びがあがった。先刻、おのが一物を握り、狼藉に及ぼうとしていた男が、股間を押さえ白目を剥いて少女の脇に転がっている。
「年端もいかねえ女の子に狼藉とは、いけねえなあ」
度肝を抜かれた男達の目に、杖を構えた見慣れぬ風体の、どうやら盲目らしき男が映った。両目をぼろで覆い身につけた着衣は粗末で、背には三弦らしき包みを背負っている。
「なんだてめえ!」
「乞食風情が邪魔をすんじゃねえ!」
男達は口々に吠えたが、あっという間に叩きのめされ、
「おまえさん方、とっとと消えないと命がねえぜ」
とすごまれて
「くそっ、覚えてろ!」
というお決まりの捨て台詞を残すと、ほうほうの体で逃げていった。
「……」
「嬢ちゃん」
男が振り返り、少女は表情をこわばらせて露わになった胸元を掻き合わせたが、相手が盲目であることに思いが至ると、我知らず指先の力が抜けた。
「さっきの連中が待ち伏せしていないともかぎらない。よかったら送っていきますよ」
小半時の後、ふたりは谷間の集落の、周囲のさびれた様子には不釣り合いな、頑丈そうな門の前にいた。
「おまえイハサヤのとこのスアンだろう? どうしたんだ、……そのなりは……」
門番が少女──スアン──のひどいありさまを見咎めて言った。それからヨウを見やり、あからさまに警戒した様子で
「誰だあんた」
と、声を荒げた。
「なんでもないの、この人が助けてくれたの」
スアンは門番の視線を避けるように俯いたまま、消え入りそうな声で答えた。
「なんでもないってこたないだろう、おまえ、まさか──」
門番の言葉を最後まで聞かず、スアンが続けた。
「だからこの人も通して……。お父さんにお礼言ってもらわないと」
門の中では背の低い、簡素な家々が続いていた。石造りの家、木と土で作られた家。それらが交ざりあった家もある。いずれも古いもので、不具合を修繕して長く住んでいる様子が見てとれた。
通りに人影はなかったが、やがて一軒の家から顔を出した中年の女がスアンに気づき、走り寄ってきた。
「スアンちゃん……! あんたいったいどうしたの」
それからヨウを見、スアンを庇うようにすると気色ばんで言った。
「あんた誰だね?」
「ハナおばさん……」
見知った女に声をかけられ気が緩んだのか、スアンは涙声だ。
「山で襲われて……、このひとが助けてくれたの……」
「おいで、その格好をなんとかしないと」
ハナはスアンの肩を抱きかかえ、今出てきた家に踵を返した。それから思いついたようにヨウを振り返り、続けた。
「あんたもおいで、そこに突っ立ってられちゃひと目につく」
戸口を入るとスアンと女は家の奥へと消え、ヨウは土間に座ってふたりが戻ってくるのを待った。
旅芸人であるヨウは常に「余所者」であり、異様な風体も相まって行く先々で見咎められ、誰何されることには慣れていたが、それにしてもこの集落の人々の警戒は強いようだ。
門番と女がスアンを知っていたということは、この集落はあまり大きくはなさそうだ……とヨウは思った。そのせいだろう、人々の絆は強い。スアンの様子を見れば、子供がおとなを信頼しているのもわかった。
どれくらい待っただろう、ようやくスアンが女と現れた。破れた服は着替え、顔や手足の泥もきれいに洗い落とされていた。
「あんた、そんなとこで……。 上がり框に腰掛けていればよかったのに」
女はヨウを見て言った。
「いえ……」
ヨウは曖昧に答えた。だが女は、もうヨウからスアンに目を移していた。
「父さんもそろそろ帰ってる頃だろう、おばさんもついていってあげるからね」
そう言うとスアンを促し、戸口を出た。ヨウもそれに続いた。