始まりの街①
目をさますと、知らない天井があった。起き上がって周りを確認すると、どうやら木造の家の一室のようだった。お世辞にも綺麗とは言えない部屋ではあったが、部屋の中は綺麗に片付いているようだった。状況が整理しきれなかったのでしばらくぼーっとしていると、ドアが開き、見覚えのある猫耳少女が入ってきた。あのときは一瞬でわからなかったが、よく見ると可愛らしい顔つきをしている。瞳と髪は黒に近い栗色で、男性の俺を助けたとは思えない華奢な体つきだ。
「あ、目覚ましたのです?」
彼女はぱちくりとまばたきした。
「世話になったらしいな。ありがとう」
俺は目の前の猫耳の少女に向かって深く頭を下げた。
「当然のことをしただけなのです」
少女はプイと顔をそらしてしまった。
「あ、そういえば、あいつはどうした?」
「あいつ?」
「あの丸いやつだよ。怪我はしてなかったか?」
周りを見渡すが、俺が助けた丸い物体の姿は見えない。
「さっきまで頭の下にいたのです。あ、今もいるではないですか」
「へ?」
ふと枕の場所を見るとそいつはいた。俺の枕の代わりになっていてくれたようだった。
「お前、そんなところに! どうりで柔らかい枕だと思ったよ」
「気づかない方がどうかと思うです……」
その少女は耳をうなだれて呆れているようだった。
「ところであなたはあの森で何をしていたのです?」
「この丸っこいのがちっこい犬みたいなのにいじめられてたから助けたらなんか似たようなのがわらわら湧いてきてよ。ぶっちゃけ死ぬかと思ったわ」
「プニリンを助けようとしたですか? 魔物を助けるなんて物好きな人なのです」
そう言うと少女はため息をつき、そしてベッドの俺の隣に座った。彼女の肩まで伸びた髪がふわりと揺らぎ、石鹸の匂いが漂ってきた。
「こいつプニリンっていうのか」
「ええ。魔物の一種です。人間になつくなんて本当に珍しいのです」
プニリン、という生物? を撫でるとプープーと鳴き声を出した。
「へぇ、魔物……ね」
ゲームや小説の中でしか聞いたことのない単語だ。
「魔物……は街の外にいっぱいいるのか?」
少女に問いかけた。
「は? 何を言ってるですか? 当たり前です。もしかしてそんなことも知らないから一人で外になんか出てたんです? というかここの言葉もわからないなんて、あなたいったい何者なのです?」
少女は矢継ぎ早に質問してくる。どうやら俺はこの世界では相当な常識知らずらしいのがひしひしと伝わってきた。
「いや、そんな一気に質問されても……俺も何が何だかわからないんだよ……ってえっ? 言葉は通じてるじゃん」
「これは言の葉の珠という魔具、つまりこのネックレスが……まぁ、説明する必要はないですね。特別に言葉がわかるアイテムなのです。長いので説明はまた今度です」
「はぁ」
ちょっと意味がわからない代物だが、実際俺と話せているところを見ると、その力は本物なのだろう。第一、すでに魔物だのリアル猫耳だのを見ているんだ。今更そんなことに驚くか?
「信じられないなら街の人と話してきたらいいです」
「いや、信じるけど……それで?」
「信じられないのも無理ないです……って、えっ?」
少女は困惑顔だった。目の前の男が常識も知らない上に、物分かりが良すぎるというのはもう意味がわからないのだろう。心中察する。
「だから信じるって。それより街のこととか色々教えてくれないかな? 俺ここらへんのこと何も知らないんだ」
「あ、ああ。そうですか。どうやら少し変わった方なのです……というかあなたどこから来たのです?? 言葉すら通じないなんて。旅先の言葉を学んでおくのは旅人の最低限の努力なのですよ?」
「ああ。すまん……。出身は日本……って島国」
「日本……ですか?聞いたことないです」
猫耳の少女はピクッと耳を動かした。目を爛々とかがやかせ、その見知らぬ地のことを聞いてみたいと言った感情が顔に書いているかのようだった。
「そうなのかもね」
俺は淡々と答える。おそらく、ここで日本と言っても通じないし、そもそもそんな国は存在しないだろう。
「???」
おそらくここは元いたところとはだいぶ離れたところなんだろう。それに魔物……もしかしたら全く知らない世界に来てしまったとまで考えられる。なんせこれだけ意味のわからないものがたくさんあるのだ。まぁそんなことがあり得るのかはわからないが。
「それで、この街は?」
「ルクス……という街なのです。王都の南に位置しているのです」
「聞いたことがないな」
俺は正直に答えた。しかしその答えは彼女をより困惑させる結果となった。
「ルクスを知らないとなると……かなり遠方出身なのでしょうか? どうやってここまで来たんです?」
少女は猫耳をピコピコさせながら疑問を口にした。
「それが……わからないんだ」
「困りましたね……」
そう言いながらも猫耳少女は不審な目でこちらを見ている。好奇心と不信感が顔に出ている。どうやらこの少女は相当素直な子らしい。いやでも本当にわからないんです。
「うん、困った。ところでここは?」
見知らぬ部屋で堂々と寝ていたようなのだが、どこの家なのかすらわからないんだった。ベッドをお借りしているなら感謝を言わなければ。
「私の家なのです」
少女は堂々と答えた。
「えぇっ!?」
その答えに思わず俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。少女の部屋、少女のベッドで寝てたとあればポリスのお世話になりかねんぞ。
「それは……えっと、ありがとう。でも、いいの? その俺なんか家に入れちゃって。ほら、ご両親とかは」
もう20歳を超えた男を自分の家に入れるというのは大丈夫なのか?
「両親は……いないのです」
「あ、出張とかかな?」
「いえ……その……死んだのです」
少女はまつげの長い瞳を俯かせた。これ以上は聞いてほしくないという雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「え……。ご、ごめん。デリカシーのないこと聞いちゃって」
「いえ……」
俺の失言で彼女の元気があからさまになくなってしまった。なんとかして話題を変えなければ。そう思い言葉をひねり出す。
「それじゃ、どうやって暮らしてるの? 仕事とか、学校とかは?」
あ、これ明るくない話題だ、と言った後で気づく。両親が死んだ後の子供が、学校に行けるだろうか。仕事をせずに暮らせるだろうか。
「仕事……はお師匠様のところでお手伝いをしてるのです。学校は行ってないです。勉強は自分でもできますし」
「そ、そっか。そのお師匠様っていうのは?」
必死に話を盛り上げようと話題を探す。
「街のはずれに住んでるのです。あ、そうだ! あなた、えっと……」
そういえば俺はまだ名前を言っていなかった。
アキヤマだ、と答えた。
「アキヤマ……さん? ですか。あまり聞かない名前なのです」
少女は首を傾げた。
「君は?」
「アイラです」
この可愛らしい風貌にふさわしい名前だ。
「アイラ……か。助けてくれてありがとう。体が治るまではよろしく頼む」
「全然大丈夫なのですよっ!」
アイラは笑顔で答えた。小麦色に焼けた肌に、眩しい笑顔。苦労もあるだろうに、明るい子だ。
「あ! そうだ! アキヤマさんもお師匠様のところで働かせてもらったらどうです? 素性もしれない男、なんてお師匠様きっと喜びます」
アイラは唐突な提案をした。
「素性も知らない男を喜ぶってどんな人よ……それ。でも今はありがたいかも」
ここら辺の土地について何も情報がない。仕事もない。お金もない。言葉もわからない。これでは明日の食扶持さえ危ういだろう。
「死のうとしてたってのに、明日の生活の心配とか……笑えるな」
小声でつぶやく。
「何か言いましたか?」
「いや、何でも」
死のうとしてたなんて命を助けられたこの少女には言わない方がいいだろう。それにこの子にそんなことを言えば心配されてしまうだろうし。
「体の方は大丈夫なのです?」
「ん……いや身体中が痛くてすぐには動けそうにないかな……」
起き上がることはできているものの、身体中が痛くてしょうがない。
「そうですか……では体が治ったらお師匠様のところに案内しますです」
ということはそれまでこの少女に看病される、ということに気づく。ポリス的な存在がいるとしたら、ブタ箱行き不可避ではないのだろうか。
「ああ、頼む」
逮捕を恐れつつも平静を装いながら答えた。
「それまではここでおとなしくしといてください。勝手に外に出たりなんてもってのほかです」
「うん、わかった」
「かといってただ寝てるだけ、というのも暇でしょうから治るまではここの言葉を勉強してもらうのです」
親切すぎる扱いだ。どうやったらこんなにいい子が育つのか知りたい。
「それはありがたいけど、そこまでお世話になっていいのか?」
「このまま野垂れ死にでもされたら寝覚めが悪いから仕方なく、なのです!」
アイラはプンスカと怒りながら言った。こちらに済まないと思わせない気配りまでできている。完璧な少女だった。年齢に似合わず。
「あれ、そういえばアイラは何歳なのか聞いてなかったね、聞いていい?」
さっきまでは丁寧に答えてくれていたが、そう聞くと、
「レディに齢は聞かないのです!!!」
ぴしゃりと怒られてしまった。女の子は難しいものというのはどこでも共通らしい。
それから怪我が治るまで、言葉とここの世界のことを教えて貰った。言葉は基本的には英語と似ているものの初めて触れる言語というのはやはり難しい。習得には時間がかかりそうだ。しかし、この世界で生きるなら、言葉の習得は不可欠だろう。発音にそこまで癖がないのが救いだった。一ヶ月ほどアイラの家にこもりきりで勉強した結果、体が治る頃には、日常会話くらいならできるようになった。人間、本気になればなんでもできるのかもしれない。アイラは覚えが早すぎるととても驚いていた。
この街とこの街が所属する国についても教えてくれた。ここはイタリカという国の東の方に位置する町、ルクスで、交易で栄えた街らしい。そして、アイラが俺を助けるときに使ったのは、魔法。この世界では当たり前のものらしい。詳しくはアイラがお師匠様と呼ぶ人が教えてくれるとのことだったので、詳しくは聞けなかった。
俺はどうやら前いた世界とは全く別の世界に来てしまったようだ。死のうと思ったらとんでも無いことになってしまった。でもここならクソのような上司も、俺を抑圧する社会も無い。
とりあえずはそれだけで気が楽だった。
アイラの家に引き取られてから一ヶ月半。体が治って歩けるようになり、とうとう少女に看病される生活は終わりを告げた。そしてとうとうアイラのお師匠様の元を訪れることになった。果たしてどんな人物なのだろうか。変な人じゃないといいのだけれど。